(2007.11.13追記)
この記事のタイトルは当初「朝日は「素粒子」と社説を訂正せよ」という威勢のいいものでしたが、誤りが含まれていることがわかったため、その点について注釈を付けるとともに、タイトルを修正しました。誤りの内容については、本文中に赤字で示した注釈と、静流さん及び私のコメントを参照してください。
(以下2007.11.10に投稿した本文。赤字は2007.11.13に追記)
『朝日新聞』の朝刊2面に「ニュースがわからん!」というQ&A形式の解説コーナーがある。
昨日の朝刊では、「防衛省の「文民」、誰のこと?」というタイトルで、文民統制を取り上げている。
《A 「文民」は、「シビリアン」を訳して戦後にできた言葉だ。「シビリアンコントロール(文民統制)」とは、軍事に対して政治が優先し、民主的に統制することを意味する。かつて軍部の暴走を止められなかった反省から戦後、憲法66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めた。自衛隊予算はもちろん防衛出動なども国会承認を受けなければならない。重要事項は首相と関係閣僚による安全保障会議で審議する。
ア じゃあ、今だと「文民」は福田首相や石破防衛相ってこと?
A 政府の見解では①旧軍の職業軍人で軍国主義思想に深く染まっていると考えられる者②現職の自衛官――は文民ではないとしている。自衛隊の最高の指揮監督権は首相にあり、防衛相が統括すると規定されている。
ア 証人喚問された守屋前次官は?
A 防衛省には「制服組」といわれる陸海空自衛官と、「背広組」といわれる内部部局(内局)の職員がいる。事務次官も含め、内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが、法律では「自衛隊員」であり、政治の統制を受ける側に入る。
ア へえ。背広組の職員も「隊員」なの。》
全くそのとおりだ。
(いや、そのとおりではありませんでした。私はこれまで内局職員も軍人であり文民ではないと主張してましたが、朝日の記事はここで「内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが」と、文民であると述べています。私はここの「文民」を「文官」と読み違えてしまっていました。)
では、私が以前指摘した、コラム「素粒子」や社説の、背広組イコール文民とする記述は何だったのか。
朝日は速やかに訂正記事を出すべきだろう。
(いや、だから訂正する必要はありません。背広組イコール文民とする朝日の主張は一貫しています。誤読に基づいて記事を書いてしまい申し訳ありませんでした。)
この記事のタイトルは当初「朝日は「素粒子」と社説を訂正せよ」という威勢のいいものでしたが、誤りが含まれていることがわかったため、その点について注釈を付けるとともに、タイトルを修正しました。誤りの内容については、本文中に赤字で示した注釈と、静流さん及び私のコメントを参照してください。
(以下2007.11.10に投稿した本文。赤字は2007.11.13に追記)
『朝日新聞』の朝刊2面に「ニュースがわからん!」というQ&A形式の解説コーナーがある。
昨日の朝刊では、「防衛省の「文民」、誰のこと?」というタイトルで、文民統制を取り上げている。
《A 「文民」は、「シビリアン」を訳して戦後にできた言葉だ。「シビリアンコントロール(文民統制)」とは、軍事に対して政治が優先し、民主的に統制することを意味する。かつて軍部の暴走を止められなかった反省から戦後、憲法66条に「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めた。自衛隊予算はもちろん防衛出動なども国会承認を受けなければならない。重要事項は首相と関係閣僚による安全保障会議で審議する。
ア じゃあ、今だと「文民」は福田首相や石破防衛相ってこと?
A 政府の見解では①旧軍の職業軍人で軍国主義思想に深く染まっていると考えられる者②現職の自衛官――は文民ではないとしている。自衛隊の最高の指揮監督権は首相にあり、防衛相が統括すると規定されている。
ア 証人喚問された守屋前次官は?
A 防衛省には「制服組」といわれる陸海空自衛官と、「背広組」といわれる内部部局(内局)の職員がいる。事務次官も含め、内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが、法律では「自衛隊員」であり、政治の統制を受ける側に入る。
ア へえ。背広組の職員も「隊員」なの。》
全くそのとおりだ。
(いや、そのとおりではありませんでした。私はこれまで内局職員も軍人であり文民ではないと主張してましたが、朝日の記事はここで「内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが」と、文民であると述べています。私はここの「文民」を「文官」と読み違えてしまっていました。)
では、私が以前指摘した、コラム「素粒子」や社説の、背広組イコール文民とする記述は何だったのか。
朝日は速やかに訂正記事を出すべきだろう。
(いや、だから訂正する必要はありません。背広組イコール文民とする朝日の主張は一貫しています。誤読に基づいて記事を書いてしまい申し訳ありませんでした。)
と言うことで、内局と幕僚監部の統合再編という日本型の文民統制が欧米型の文民統制から見て持っている捻れの解消に乗りだしたようです。
新たな捻れの発生にならにゃエエのですが。
軽く検索かけてみただけなのですが、新年には大臣が特別チームでの検討を始めるとの号令をかけているようで、後はこれで省内の意見が統一できれば違ってくるんでしょうけど。
良きにつけ悪しきにつけ、日本型の文民統制には特徴がありました、それを多分皆切り捨てるのか、良いところを取り込むのか、今後見守っていく必要があるのかもなあ、と思います。
ここしばらくお忙しそうですね。そちらほどではありませんが私も何かと多忙で、あまりネットにアクセスできません。
23日の朝日の朝刊で探してみたのですが、該当記事は見当たりませんでした。
ガソリン国会で、その種のテーマはもう注目に値しないと判断されたのかもしれないですね。残念なことです。
さて、本日の国会にて、石破大臣によるシビリアンコントロールの意味についての政府見解がありました。残念ながらその部分がちょうどニュースと重なって生放送で見られなかったのですが、本日夜のテレビニュースか、明日の朝刊各誌で取り上げられるはずですので、チェケラ!!
私も読んだ本を誤読していたり、読んだ解釈がおかしかったりするかも知れませんから、お読み頂いて判断頂いた方が良いかと思います。
それで、日本型の「文官優位型文民統制」がどの様な経緯で形成されたものなのか、それがどの様に戦後の防衛問題に絡んでいったのかと言う辺りは押さえていて損は無いと思うんです。
で、それをふまえた上で、じゃあ、どう理解するのか、どう評価できるのか、そして、どこへ向かうべきなのか、そこで始めて身のある議論が成り立つのではないでしょうか。
ぶっちゃけ、このエントリや前のエントリで例に挙がっていた朝日や毎日の担当記者がそこまで考えてんのかなあ、とは思ったりしますが。
>ちょっと余談
アマゾンのレビューでは触れていなかったのですが「戦後政治と自衛隊 」に関して言えばちと構成に関して単純な二項対立で割り切った表現になっている部分があります、読んでみるとちょっと違和感を感じるかも知れません。
しかし、他の資料と合わせて読んで事実だけを丹念に追うのはそんなに難しい事じゃありませんし、入手しやすい入門書としての価値が下がるわけでもありませんのでわざと触れていません。
紹介していただいた本にもいずれ挑戦したいと思います。
あの認識に至る際、実に参考になった資料がありまして、以前このBLOGの別エントリにコメントしたことがあるのですが、幾つかは県立クラスの図書館になら収蔵されているようですし、入手が比較的簡単なモノもありますので再度ご紹介します、参考になれば幸いです。
<戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/476641215X/
<戦後日本の防衛と政治>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642037586/
<戦後政治と自衛隊>
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4642056122/
読めるものから手をつければいいと思いますが、戦後日本の政軍関係がどの様に成立していったのか、何故そうなっていったのかを押さえる事は、今日、または未来の事を考えるに当たって実に参考になるのではないかと思う次第です。
それ、すごい殺し文句ですね(笑)そう言われれば二の句がありません。情報ありがとうございました。後藤田氏の件は存じませんので、そのあたり自分でも勉強しなおします。
これは、欧米型文民統制の原則から言えば確かに誤解なのです、しかし、それを日本に導入するに当たって、最初は理解不足から、それからだんだん状況の変化によって「文官優位の原則」が付与された、ある意味欧米型から見れば捻れた文民統制の形になった、と言うのが現状で、それを欧米型はこうだから間違いだと評価するのはちょっと一方的ではないかな、と言うお話です。
>静流様
>で、誤解するんです。現役(あるいは仮に現役官僚でも)が大臣であることの問題点を、官僚の上に将軍がいることが問題である、と。
歴史的経緯を読んでみると、あながち誤解でもないようです、文民統制を咀嚼し、当時の日本に当てはめていく段階で変質していったと考えると割とわかりやすいです、日本型の文民統制には「文官優位」がセットになってるんですよ。
ここら辺、当事者の証言を読んでみると面白いんですが確かに当初、そう言う勘違いはあったようです、元々内務省の官僚が警察予備隊からの立ち上げに関わったわけでして、彼らは戦前戦後の経験から軍隊(とそのシステム)にすげえ不信感を抱いているわけです、で、アメリカからの指令に従って、警察予備隊を立ち上げるに当たって、文民統制の概念を導入する際に、ちっと内容を弄るわけですよ。
日本側当事者にとって「文民統制」原則は耳慣れないものであったし、通訳の不備も重なり、「文民統制」とは文官官僚が制服組を統制するものであるという誤解が生じている訳です。
で、この制度の解釈の過程で従来の日本の行政組織には馴染まないとの判断から国警の組織形態を念頭に置き、これにアメリカ型の「文民統制」を部分的(組織全体のトップを非制服とする点)に導入しようとしました、このとき「文民優位」の原則が生じたんです。
当時の警察予備隊の問題として、総監部側の人材不足という現実もあったんですよ、旧軍正規将校が追放状態だった当時は、実務を担う部署への人材配置が難航しており、幕僚監部の実力は無いも同然だったと言う話でして、自然と行政経験豊富な旧内務官僚を抱える本部が優位になるのはある意味当然であったんですね。
こうして、本来ならば組織全体のトップの下に両者並立した形で直結するはずの文官(本部)と制服(総監部)が上下の関係になってしまい、結果的にはアメリカ側が構想していた組織形態とは違った形で成り立ってしまったんです。
で、後日その認識に修正が成されなかったのか、と言えばそうでもない辺りが面白いんですが、彼ら官僚もその後欧米型文民統制の理解をしているンですね、その辺り後藤田さん等の証言が残っているようです、じゃあ、何故文民統制を欧米型に修正しなかったのか、それは当時の状況によるモノであって、誤解と勘違いと言い切れない所があります、前に確か資料を紹介したと思うんですが、あの辺りは読んでみると面白いですよ。
で、欧米型、日本型どちらの制度が正しいかどうかは今この場で判断出来ることでもないような気がしますが、日本で今導入されている文民統制はどういうものでどういう成立過程を経たモノであったのか、と言う辺りを理解した上で見てみるとまた違った世界が見えてくるんじゃないかと愚考するのですが。
で、ぶっちゃけ言えば朝日にしろ毎日にしろ、その辺り実際日本ではこう使われているが、実はこうであって、例えば欧米で言うところの文民統制とはこう違う、等の理解をしている様子も、それらを示しもしないのに文民統制を持ち出すから認識のずれが生じて混乱を招くんじゃないかな、と思うんですけどね。
ここまでは正しいですよね。で、この後がおかしくなります。大臣が軍から出て省の上に立ったからおかしくなったんだと。違うんですよね。海軍省から現役の高級官僚を引っ張り出して海軍相にしても同じことですよ。(問題は現役の人間を大臣につけたことにあるのに)
で、誤解するんです。現役(あるいは仮に現役官僚でも)が大臣であることの問題点を、官僚の上に将軍がいることが問題である、と。
それを反省して官僚の将軍に対する優位性が求められていると、こう勘違いするようになった。それから類推して文官の武官に対する優位性をシビリアンコントロールだと思い込んだ、ということでしょう。
軍事組織は文武両道で構成され、「武」を軍隊が「文」を省が担当します。
これら両者に該当しないのが文民で、文民によるコントロールとはこれらの外部が統制に携わるということですから、文官の武官に対する優位という意味で用いるのは誤用ですよね。
企業の外部コントロールに該当するのが文民統制なのに、朝日新聞の言い分では、単に一企業内の総務部による営業部への優位性にしかならないわけでしょ。
おっしゃるとおり、該当箇所が「文民として」では私の文章の意味が通りませんよね。
私は、ここを「文官として」と読み違いをしていました。
新聞の現物で確認したら、私が引用したとおり「文民として」となっています。
つまり、背広組を「文民」とする点で、朝日の立場は一貫しています。
したがって、私が記事本文で「全くそのとおりだ。では、……」と述べたのは誤りです。
他人に「訂正せよ」と迫っている記事で、自分が誤読して、誤った主張をしているとは、何ともお恥ずかしい限りです。
朝日新聞及び当ブログの読者の方々にお詫びし、訂正します。
静流さん、ご指摘に感謝します。
私は、「自衛隊員」が文民ではないものと考えていたのですが、朝日の今回の記事によると、政府解釈では「自衛官」が文民ではないとされているようですね。つまり、事務官や技官といった職員は文民であると。けれども「自衛隊員」として政治の統制を受ける側になるというのが政府解釈なのでしょうか。
もしそうなら、朝日の報道がそれを踏まえたものになるのは当然ですね。どうも、私の理解が浅かったようです。
ただ、仮に背広組もまた文民であるとしても、背広組が制服組を統制することもまた文民統制だ言わんばかりの「素粒子」、社説の主張にはなお疑問が残ります。もっと深く調べてみたいと思います。
「全くそのとおりだ。」と深沢さんが仰るならば最後のAの発言の、「事務次官も含め、内局職員は文民として大臣を補佐する立場だが、」はオリジナルでは「・・・文官として・・・」でなければなりませんし、オリジナル自体が「・・・文民・・・」としているなら朝日は一貫して間違っているということになります。再考よろしくおねがいします。
正直、朝日の記者がいかにまともに教育されておらず質がばらついていることの現れであり、それらの違いが表すことに対してどう言う影響が出るかと言うことに関してホントに無自覚なのでしょうな。