「ナチスの手口に学んだら」で問題となった7月29日の麻生太郎副総理兼財務相の講演は、靖国神社参拝の問題にも触れていた。
朝日新聞デジタルに掲載された「発言の詳細」(全文ではないらしい)から一部引用する。
確かに、マスコミが、ささいなことを針小棒大に取り上げて、閣僚や官僚の首を取ったり、政策をつぶしたりすることはある。
しかし、だから一切騒ぐな、静かにやれというのも無茶な話で、言論の自由は重要だろう。
そして、靖国参拝問題は、そのような騒ぐ側だけの問題なのだろうか。彼らが騒ぐように、格好のネタを提供した者はいなかったのか。
靖国問題の経緯をちょっと振り返ってみたい。
主権回復後、吉田茂首相は靖国神社に参拝した。続いて首相となった鳩山一郎と石橋湛山は参拝しなかったが、その後の岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄は皆参拝した。そして彼らの参拝は特に問題視されなかった。
しかし、彼らは8月15日に参拝したのではなかった。主に春と秋に開かれる例大祭に合わせて参拝したのだった。
8月15日に初めて参拝した首相は田中角栄の後任の三木武夫である。1975年のこの日、三木首相は全国戦没者追悼式に出席した後、自民党総裁専用車で靖国神社を訪れ、肩書なしの「三木武夫」と記帳して参拝し、「私人」であることを強調した。
これ以後、首相や閣僚の靖国参拝の是非と「公人」か「私人」かが問われることになる。
しかし、このころは中国や韓国はまだ靖国参拝を問題視してはいなかった。
1978年10月17日、靖国神社はA級戦犯14名を合祀した。しかしこれは公表されず、翌年4月に初めてマスコミに報じられた。
厚生省は既に1966年にA級戦犯の祭神名票を靖国神社に送っていた。しかし当時の筑波藤麿宮司が合祀を保留していた。1978年3月20日の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によってようやく合祀されるに至った。
昭和天皇がこの合祀に不快感を示していたことが後にいわゆる「富田メモ」により明らかになった。昭和天皇が以後靖国神社を参拝することはなかった。
靖国神社は戦争責任者であるA級戦犯を神としてまつっているとの批判を受けることとなった。
しかしこの時点でも、中国や韓国は靖国参拝を問題視してはいなかった。
靖国参拝が外交問題になったのは、1985年の中曽根康弘首相による「公式参拝」の時である。
「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根は、靖国神社の「公式参拝」にも当初から意欲を示していた。宗教的意味をもたない形式であれば首相の「公式参拝」は可能であるとして、8月15日、公用車で閣僚と共に公務として靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳したものの、「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく本殿で一礼する形式で参拝し、玉串料でなく供花料を公費から支出した。
国内でも批判は高まったが、この時初めて中国、韓国の政府から強い批判の声が上がった。両国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを問題とした。
中曽根が以後在任中に靖国神社を参拝することはなかった。自民党はA級戦犯合祀の取り下げ、あるいは分祀を働きかけたが、神社側に拒否された。
なるほどマスコミが騒がなければ国際問題にはならなかっただろう。
しかし、マスコミが騒ぐ原因となったのは、
1.8月15日の参拝
2.A級戦犯の合祀
3.「公式参拝」の強行
であり、1と3は自民党政権、2は靖国神社によるものである。
これらを行った者に責任はないのだろうか。
これらを無視して、「昔は静かに行っておられました」「いつのときからか、騒ぎになった」と、何の変化もないのに突然マスコミが騒ぎ出したかのように語る麻生の見識には疑問がある。
そしてこれらが問題となるのは、結局のところ、わが国の政教分離原則と靖国神社の存在がどうしても抵触することと、わが国にきちんとした公的な戦死者を追悼する施設がないからではないか。
「お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい」
私もそう思う。
中曽根は首相時代に、国のために命を落とした人に感謝を捧げる場がなくして誰が国に命を捧げるか という趣旨のことを言っていた。感謝を捧げる場がなくても国に命を捧げることは必要ではないかと思うが、そうした感謝の場はあっていいし、あるべきだろう。
しかし、その場が、何故一宗教法人である靖国神社でなければならないのか。
何故一宗教法人に、国家が追悼する対象者を決める権限があるのか。
靖国神社と国との関係が不透明なままであることが、そもそもの問題の原因ではないか。
かつて麻生は、靖国神社を政治から遠ざけ、静かな祈りの場とする必要があるとして、靖国神社が宗教法人を自主的に解散させ、国が関与する特殊法人に移行し、無宗教の国立追悼施設とするという案を唱えていた。
私もできるものならこれに賛成だが、靖国神社は反対だろうから、新たな国立追悼施設の建設が現実的ではないかと以前述べた。
この気持ちは今も変わらない。
与党に復帰し、副総理を務める今、その実現に向けて力を尽くしていただきたい。
(関連過去記事
靖国神社と新追悼施設に思うこと(上) )
朝日新聞デジタルに掲載された「発言の詳細」(全文ではないらしい)から一部引用する。
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。
何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。
確かに、マスコミが、ささいなことを針小棒大に取り上げて、閣僚や官僚の首を取ったり、政策をつぶしたりすることはある。
しかし、だから一切騒ぐな、静かにやれというのも無茶な話で、言論の自由は重要だろう。
そして、靖国参拝問題は、そのような騒ぐ側だけの問題なのだろうか。彼らが騒ぐように、格好のネタを提供した者はいなかったのか。
靖国問題の経緯をちょっと振り返ってみたい。
主権回復後、吉田茂首相は靖国神社に参拝した。続いて首相となった鳩山一郎と石橋湛山は参拝しなかったが、その後の岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄は皆参拝した。そして彼らの参拝は特に問題視されなかった。
しかし、彼らは8月15日に参拝したのではなかった。主に春と秋に開かれる例大祭に合わせて参拝したのだった。
8月15日に初めて参拝した首相は田中角栄の後任の三木武夫である。1975年のこの日、三木首相は全国戦没者追悼式に出席した後、自民党総裁専用車で靖国神社を訪れ、肩書なしの「三木武夫」と記帳して参拝し、「私人」であることを強調した。
これ以後、首相や閣僚の靖国参拝の是非と「公人」か「私人」かが問われることになる。
しかし、このころは中国や韓国はまだ靖国参拝を問題視してはいなかった。
1978年10月17日、靖国神社はA級戦犯14名を合祀した。しかしこれは公表されず、翌年4月に初めてマスコミに報じられた。
厚生省は既に1966年にA級戦犯の祭神名票を靖国神社に送っていた。しかし当時の筑波藤麿宮司が合祀を保留していた。1978年3月20日の筑波の死後、後任の宮司に就いた松平永芳によってようやく合祀されるに至った。
昭和天皇がこの合祀に不快感を示していたことが後にいわゆる「富田メモ」により明らかになった。昭和天皇が以後靖国神社を参拝することはなかった。
靖国神社は戦争責任者であるA級戦犯を神としてまつっているとの批判を受けることとなった。
しかしこの時点でも、中国や韓国は靖国参拝を問題視してはいなかった。
靖国参拝が外交問題になったのは、1985年の中曽根康弘首相による「公式参拝」の時である。
「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根は、靖国神社の「公式参拝」にも当初から意欲を示していた。宗教的意味をもたない形式であれば首相の「公式参拝」は可能であるとして、8月15日、公用車で閣僚と共に公務として靖国神社を訪れ、「内閣総理大臣 中曽根康弘」と記帳したものの、「二拝二拍手一拝」の神道形式ではなく本殿で一礼する形式で参拝し、玉串料でなく供花料を公費から支出した。
国内でも批判は高まったが、この時初めて中国、韓国の政府から強い批判の声が上がった。両国は、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを問題とした。
中曽根が以後在任中に靖国神社を参拝することはなかった。自民党はA級戦犯合祀の取り下げ、あるいは分祀を働きかけたが、神社側に拒否された。
なるほどマスコミが騒がなければ国際問題にはならなかっただろう。
しかし、マスコミが騒ぐ原因となったのは、
1.8月15日の参拝
2.A級戦犯の合祀
3.「公式参拝」の強行
であり、1と3は自民党政権、2は靖国神社によるものである。
これらを行った者に責任はないのだろうか。
これらを無視して、「昔は静かに行っておられました」「いつのときからか、騒ぎになった」と、何の変化もないのに突然マスコミが騒ぎ出したかのように語る麻生の見識には疑問がある。
そしてこれらが問題となるのは、結局のところ、わが国の政教分離原則と靖国神社の存在がどうしても抵触することと、わが国にきちんとした公的な戦死者を追悼する施設がないからではないか。
「お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい」
私もそう思う。
中曽根は首相時代に、国のために命を落とした人に感謝を捧げる場がなくして誰が国に命を捧げるか という趣旨のことを言っていた。感謝を捧げる場がなくても国に命を捧げることは必要ではないかと思うが、そうした感謝の場はあっていいし、あるべきだろう。
しかし、その場が、何故一宗教法人である靖国神社でなければならないのか。
何故一宗教法人に、国家が追悼する対象者を決める権限があるのか。
靖国神社と国との関係が不透明なままであることが、そもそもの問題の原因ではないか。
かつて麻生は、靖国神社を政治から遠ざけ、静かな祈りの場とする必要があるとして、靖国神社が宗教法人を自主的に解散させ、国が関与する特殊法人に移行し、無宗教の国立追悼施設とするという案を唱えていた。
私もできるものならこれに賛成だが、靖国神社は反対だろうから、新たな国立追悼施設の建設が現実的ではないかと以前述べた。
この気持ちは今も変わらない。
与党に復帰し、副総理を務める今、その実現に向けて力を尽くしていただきたい。
(関連過去記事
靖国神社と新追悼施設に思うこと(上) )