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法務総裁(大臣)をも取り調べた検察

2020-05-22 07:16:25 | 現代日本政治
 18日付け毎日新聞のコラム「余録」は、先の検察庁法改正騒動に関連して、検察人事に政治が介入した事例を挙げている。

 東京地検特捜部が法務総裁(現法相)・大橋武夫を詐欺の共謀容疑などで取り調べたのは、占領末期の1951年。気にいらない最高検次長を強引に交代させた法務行政トップに、検察は捜査権を使って対抗した▲特捜部は48年に昭和電工の贈収賄疑獄で、芦田均前首相や福田赳夫大蔵省主計局長(後の首相)ら政官界の大物など計64人を逮捕。吉田茂首相や大橋は「国家あっての検察だ。特捜の横暴は許せん」と憤っていた▲「検事の人事権は総裁にある。嫌なら辞めろ」と迫る大橋に、検事総長ら首脳陣は「検察官は意思に反して異動させられない」と検察庁法の規定を盾に抵抗し、対立は政治問題化した▲いよいよ人事が閣議決定される日の朝、異動を拒んだ最高検次長の木内曽益(つねのり)は検事総長公邸で記者会見した。「(朝鮮戦争の)時局重大の折、辞表を出した。私の闘いは国民の支持を受け、検察官の身分保障も認識されたと思う」▲次は東京地検検事正の更迭を狙う大橋に、検察は詐欺事件の質問書を突きつけ、国会で容疑を説明。特捜部長自ら本人を聴取した。不起訴処分になったが、暮れの内閣改造で無任所大臣に降格され、半年後、閣外に去って以来10年余、入閣できなかった▲大橋が起用した最高検次長は、法務事務次官、東京高検検事長と栄進したが、あと一歩で検事総長になれず政界へ転身。当選後、大阪地検特捜部に公選法違反(買収)で起訴され、有罪となった。69年前の話だが、検察人事に政治が介入した重い教訓である。


 簡にして要を得た名文だと思う。新聞コラムかくあるべし。

 ところで、このコラムの末尾は、「検察人事に政治が介入した重い教訓である」としめくくっているが、これはどういう趣旨だろうか。
 検察人事に政治が介入すると政治家がこういう報復を受けるから、うかつに触れない方がいいということだろうか。

 私がこの、いわゆる「木内騒動」にからんで起こったことを知って思ったのは、検察とは何という恐ろしい組織だろうか、ということだ。

 このコラムで名を挙げられていない「大橋が起用した最高検次長」とは、岸本義広のことである。
 今岸本の名で検索してみると、Yahoo!ニュースに転載された、竹田昌弘・共同通信編集委員のこんな記事が目にとまった。騒動の詳細がよくわかる。
 
検察人事に介入、かつては倍返し 70年近く前の「木内騒動」、さて今回は?

 この騒動の背景には、木内ら経済検事と、岸本ら思想検事の対立がある。

 木内は、戦前に「日糖疑獄」や「シーメンス事件」という汚職を手掛け、検察に「不羈(ふき)独立の精神」を確立したと言われる元司法相、小原直の門下生。〔中略〕「検察は政治と結託してはならない。軍部と結んで国民を弾圧した暗い思想検察のイメージを払拭し、新しい検察を再建できるのは、汚れた手の思想検察ではない」として、思想検事には差別的な人事異動を続けた。 〔中略〕
 木内が東京地検検事正のとき、腹心の馬場義続(よしつぐ)を東京地検次席検事に引き上げ、馬場が47年、後に「特別捜査部(特捜部)」と改称する隠退蔵事件捜査部を創設した。〔中略〕その後、次長検事の木内が馬場を東京地検検事正に引き上げ、2人が経済検察を率いた。 〔中略〕
 大橋は内務官僚出身で、弁護士でもあった。元首相浜口雄幸の娘婿。衆院議員に初当選したばかりだったが、吉田茂が法務総裁に抜擢した。大橋や吉田には、政治家を敵視し、多くが無罪となった昭電疑獄や炭鉱国管汚職を立件した経済検察に対し「国家あっての検察であることを忘れたのか、絶対に許さない」という思いがあったとみられる。公職追放とならず、地方にいながら思想検察の中心人物となった岸本は、政治家との付き合いが広く、木内による差別的な人事への不満を彼らに伝えるなどして、復権を狙っていた。


 コラムが挙げている昭和疑獄では、芦田均も福田赳夫も逮捕されたが無罪になった。炭鉱国管汚職では田中角栄も逮捕され、無罪になった。
 政治家が経済検察に批判的になるのは当然ではないのだろうか。

 後年、政治家に転身した岸本が有罪判決を受けた買収にしても、「「この程度の買収を摘発するなら多くの候補者が引っかかる」との同情論もあった」(渡邉文幸『検事総長』中公新書ラクレ、2009、p.127)ともいう。

 こんな恐るべき組織を、神聖不可侵であるかのように扱うことに、私はやはり疑問を覚える。


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