ハリウッドが、なぜこの映画を作ったのでしょうか?
この映画を見るのは、誰を対象にしたのでしょうか?
日本人向けとしか思えないのですが、日本人と共に、諸外国の人々に見て欲しいのです。
この映画には、あの大戦で、天皇の存在や役割がどのようなものであったのかが、日本人の心情と共に描かれています。
歴史認識が問題されていますが、歴史とは過去の繋がりであり、立場立場で思惑が異なります。
まして、勝者の理論だけで決まるものではなく、その時一瞬だけで評価出来るものではないと思います。
この映画には、そこだけを見るのではなく、長い歴史と文化の積み重ねが歴史ということを教えてくれたのではないでしょうか?
以下、 ネタばれを含んでいます。
1945年8月30日、太平洋戦争で降伏した日本にGHQを引き連れたマッカーサー(トミー・りー・ジョーンズ)が降り立ちました。
彼の最初の大仕事は、真の戦争責任者を探すことで、その密命を帯びたのが、日本文化の専門家であるボナー・フエラーズ准将(マシュー・フォークス)でした。
この映画は、フィクションとノンフィクションが混在しています。
密命を帯びたフエラーズ准将は、大学時代、日本人留学生アヤ(初音映峲子)と恋に落ちるが、彼女は、父親が危篤で急遽帰国してしまい、それから13年、占領軍として来日した准将は、仕事の合間に彼女を探します。
映画として物語性を出すためなのでしょうが、出来ればドキュメント性をもっと表に出して欲しかった。
ただ、アヤの叔父の鹿島大将(西田敏行)の英語力には感心させられました。
マッカーサーの密命により、東条英機(火野正平)、や近衛文麿(中村雅俊)を始めとする政府要人に戦争責任者は誰・・・天皇の戦争責任はどうか・・・尋問を繰り返しますが、なかなかはっきりした証言、証拠がありません。
特に近衛公は、「なんでも白黒をはっきりするものではない。武力による破壊は、お互い様であり、対外侵略も欧米諸国もやっているのを、日本は真似をしただけだ」
どこかで聞いたことがあるフレーズですが・・・・
夏八木は、この作品が遺作となりました。 フェラーズとアヤ
宮内次官の関谷貞三郎(夏八木勲ー故人)に「天皇は開戦の決定にあたっていかなる役割を果たしたのか」との問いに、「陛下は、明治天皇の歌を詠まれたのです」と答え、朗々と謳いあげます。
「よもの海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ」
深夜に、内大臣 木戸幸一(伊武雅刀)がフェラーズを訪れます。
天皇が降伏を受諾して、反対する陸軍を封じるために玉音放送に踏み切りますが、それを奪おうと陸軍兵士が皇居を襲撃したということを聞かされます。
だが、その証拠となる記録はなく、戦争を始めたのは、誰だか分からなかったのですが、どうやら終らせたのは天皇であるということが、分かってきます。
確たる証拠はつかめない中、内大臣の木戸幸一(伊武雅刀)は、ポツダム宣言の受諾を決定した御前会議の様子を、フエラーズに伝えます。
反対のある中、陛下は「私に同意して欲しい」と述べ、そのまま退席することによって、受諾が決定したことを話ます。
レポートをマッカーサーに提出しますが、それを読んだマッカーサーは、「証拠がないではないか」と。
フェラーズは「証拠はありません。でも有罪にする理由も見当たりません」と。
アメリカにとって、天皇制という理解出来ない制度と日本人の独特の価値観、忠誠と服従、そして天皇に対する崇拝は、全くの”謎”なのに違いありません。
マッカーサーは、兎も角天皇とはどんな人物なのか、本人が直接会うことにしました。
ここで、かの有名な天皇とマッカーサーの並んだ写真を写しますが、軍服でラフな格好のマッカーサーに対して、緊張した面持ちの天皇との対比は、その立場の様子をはっきりと表しています。
写真のあと、通訳と2人だけになると、マッカーサーに言った天皇の言葉が、日本の将来を決めることになりました。
「私は、国民が戦争遂行にあたって、政治、軍事両面で行った全ての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねます」と・・・・
この話は、よく知られた内容ですが、ここではその経緯がはっきりと分かりました。
米国本土で天皇を処刑にせよという声が上がる中、マッカーサーが、天皇を裁判にかけないと決めた瞬間だったのです。