徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画 「少年 H 」

2013年08月12日 20時01分23秒 | 旅行・観光

作家 妹尾河童 の自叙伝 長編小説が刊行されたのが1997年。
当時、ベストセラーとなったものの映画化です。

「少年H」のHは、妹尾家の長男 肇(はじめ)(吉岡竜輝)の頭文字のHであり、それ以外に何の意味もありません。
洋服の仕立て屋の妹尾家が、昭和初期から終戦まで、家族が時流に流されながらも力強く生きる家族愛の話です。

この映画は、妹尾洋服店の店主 妹尾盛夫(水谷豊)とその妻 妹尾敏子(伊藤 蘭)が実際の夫婦でもあり、その共演が話題となりました。

この映画は、政治にも、戦争にも、何のかかわりもないはずの一般庶民が、どんどんその戦争の渦の中に巻き込まれてゆき、平和な家族を崩壊してゆく様子を、写しだしてゆきました。


   

 

平和な家庭にも、住んでいる町にも、戦争はヒタヒタと襲ってきます。
近所のうどん屋の兄ちゃん(小栗 旬)が、政治犯として逮捕され、招集令状がきて出征したはずのオトコ姉ちゃん(早乙女太一)が脱走して、憲兵に追われ、自殺するという不穏な空気が町全体に漂います。

やがて、戦争がはじまると、その統制は益々厳しくなり、自由な発言も出来ない環境となる中、Hは、「おかしい」「なんでや?」と盛夫に聞くが、しっかりと現実を見ることを言い聞かせます。

Hの疑問は、今の人をも共有出来るものですが、それだけ素朴で且つ素直さが当時の人は言いたくとも云えなかったことなのです。  それが戦争なのでしょう・・・・

  


敏子がクリスチャンという関係で、家族全員で教会に行っていましたが、牧師さんが、アメリカに帰ることになりました。
帰った牧師さんから絵ハガキがHの元に送られてきます。
その絵ハガキは、ニューヨークのエンパイヤステートビルが写っており、こんな大きなビルを建てるアメリカに勝てるはずがない等を考え、それが元でスパイと疑われます。

中学校に入ったHには、軍事教練ばかりの授業にも疑問を抱きます。
そうこうするうちに、戦況は不利になり、神戸の街にも空襲が襲い、町が消滅します。
盛夫が消防署に務めて留守であり、Hは、洋服屋の命であるミシンを持って逃げようとしますが、火の回りが激しく、置いて逃げます。

空襲の経験のない我々にも、その恐ろしさが伝わり、疑似体験出来、この恐怖感は、二度としたくないとつくづく思わざるを得ませんでした。

焼夷弾とは、言葉では幾度も聞いていたのですが、逃げまどう人に容赦なく降ってくる光景は、目を避けました。
そして、あのバケツリレーの意味がないことを・・・・・

  

街は、見渡す限り焼け野原となり、その中から、民衆は、力強く立ち上がります。

先般見た映画「終戦のエンペラー」とは違う視点から戦争を語っています。
つまり、爆弾を落す側の論理と落される方の論理との相違点が浮き彫りになってきます。
出来るなら、両方を見た方が、より理解が深められることでしょう。

どちらも一面の焼け野原となった街の様子(東京と神戸)が写されています。
戦争は、あらゆるものを破壊してしまいます。
この光景を見て、人類をも破壊しかねない戦争は、絶対にしないことを、誓わざるを得ません。

最後に、H少年が、「この戦争は、一体何だったんや」と言った言葉が、耳に残りました。

Hの家族も、それぞれが新しい一歩を歩み始めます・・・・・