徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

”それでもボクはやっていない”

2007年02月08日 10時00分57秒 | 映画・社会

この映画は、誰でもが無実の罪におとしめられる可能性があることを証明したものです。
満員電車での痴漢行為は、その被害者の告発によってのみ事件が成立し、被害者の証言のみが立件される要因なのです。

その周りの状況や環境、雰囲気や風潮(この映画の場合、被害者が女子高校生ということで世論が同情的であったということ)によって誰でもが加害者になりうると言うことが分かりました。
つまり、誰もが無実の罪に問われるということです。

  

日本の裁判制度の問題を指摘されていますが、外国の裁判制度を知らない我々には、良いのか悪いのかの判断も出来ませんが、昔から「疑わしきは被告人の利益に・・・」と言うことがどれだけ難しいのかよく分かりました。

このようなはっきりした証拠がなく、被害者の告発だけで事件が成立されれば、いくら無罪を唱えても、その無罪であるという証拠がなければ、警察は起訴し、検察は裁判にかけてしまうことになるのです。
このとき、警察や検察の面子が大きく左右され、裁判所もまた余程の確実かつ客観的な証拠がない限り、有罪としなくてはならないようです。

特にこの映画のように痴漢行為での事件では、事実誤認され、無罪を押し通した場合でも、99.9%有罪になるようです。

無罪を主張しても、逮捕され取調べられ、留置場に入れられ、それも無罪を言い続けると2ヶ月も3ヶ月も入れられ、裁判ともなれば半年、いや1年以上も掛かるようです。
自分は”やってない”としても、警察で”やりました”といえば、罰金だけで済み、無罪放免となることを、当番弁護士などは、加害者に進めますが、これもまた自分が無罪である場合、過酷なことであり、納得の出来ないことなのです。
裁判となれば、裁判費用は勿論、保釈するのにも保釈金、証人さがしの費用などが必要で、お金以外にもその人の人生をも狂わしてしまうのです。

この映画の監督の周防正行氏曰く「外国だったら満員電車をつくる電鉄会社を訴えるのでは・・・・」と・・・・