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徳川将軍家の墓

2007年02月13日 15時27分42秒 | 江戸時代とは・・・・・

徳川将軍15代の墓所は、初代の家康、3代目の家光の二人は、日光東照宮に葬られていますが、それ以外の将軍の墓は、上野の寛永寺と芝の増上寺の2箇所にあります。

しかし、最後の将軍の慶喜の墓は、寛永寺の飛び地である谷中にあるようです。
慶喜が亡くなったときは、寛永寺の斎場で、神式にのっとって葬儀が営まれ、葬儀委員長を務めたのが元幕臣の渋沢栄一で、会葬者は7千人を超え、明治天皇の大葬に次ぐほどの盛儀といわれました。

   
    慶喜の墓所             寛永寺にある綱吉の霊廟(重文)

なぜ慶喜の墓が谷中にあるのか、なぜ神式で葬儀が行なわれたのか、諸説があります。
まず、墓が他の将軍と離れた場所となったのは、寛永寺が徳川家を滅亡させた慶喜を、お寺に入れるのをこばんだからと言われています。
そして、神式で執り行われたのには、寛永寺側も困ったことでしょうが、この時彰義隊の生き残りなど、旧幕臣たちが怒鳴り込んだのが真相らしいのです。

徳川の将軍で神式の墓にいるのは慶喜だけではありません。
家康も神式で、東照宮が祀ったのだそうです。
慶喜は、子供のころから尊王思想を叩き込まれ、神式を選んだのもそのせいかもしれません。

    
    増上寺の空撮               家継の霊廟(重文)

なお、芝の増上寺には、2代将軍の秀忠、6代将軍の家宣、7代の家継、9代の家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍が葬られて、それ以外の将軍は日光に葬られている家康、家光以外は、上野の寛永寺に葬られています。

ちなみに家康の墓は、栃木県、静岡県、愛知県など9ヶ所もあるそうです。
武田信玄の墓は全国16ヶ所、織田信長にいたっては18ヶ所もあるそうです。
興味のある方は、調べてみてはどうでしょうか?