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鉄道事故の原因は・・・

2005年10月25日 11時25分15秒 | 鉄道のよもやま話

今日25日は、福知山線事故から丁度半年が過ぎました。 遺族の方々始め負傷された方々には、お見舞いと今後このような事故のないようにと祈らざるを得ません。

福知山事故を起こした同型の207系

事故を起こした運転手のその時の状態は、遅れを取り戻すための無謀な運転だったのか、病気で意識がなかったのか、はたまた疲れから眠っていたのかと、色々取りざたされています。 事故現場から1.5Km手前で120Km/Hの速度を記録していますが、その時わずかな常用ブレーキを掛けた後の40秒間は、運転手が何をしたのか、何の記録も無く空白の40秒になっています。

鉄道は正確が当たり前!!を連載していますが、その中で鉄道が正確に運行出来ない要因について、乗客の乗り降りによる遅れや自然災害について述べてきました。
しかし、それ以外にも事件(事故とは違い飛び込み事件などの人身事故のこと)や設備装置の故障ヒューマンエラーなどありますが、事故は、それらが入り乱れて発生し、事故となって大きな被害が生み出されます。

日本で最初の鉄道事故は、1874年10月11日に発生した、新橋駅構内でのポイント故障による脱線転覆事故です。

その後多くの事故が発生しています。
主なものとして、1951年4月24日の桜木町事故は、碍子交換工事中に誤って架線が切断され垂れ下がり列車が架線に接触して炎上して死者106名を出しています。

    
桜木町事故炎上した車内   鶴見事故      

1947年2月25日には、八高線列車脱線転覆事故が発生しました。これは下り勾配での過速度により脱線転覆し184名の死者がでました。

三河島事故は、1962年5月3日に常磐線三河島駅構内で支線から本線に進入した貨物列車が赤信号を見落とし安全側線に侵入して脱線、本線を塞さいだ所を本線の上下の列車が次々と衝突し、死者160名を出しました。


三河島事故           三河島事故の構内

他に1963年の鶴見事故、1972年の北陸トンネル列車炎上事故、1984年の阪急六甲駅衝突事故、1986年の山陰本線餘部鉄橋転落事故、1991年5月14日の信楽高原鉄道列車追突脱線事故、etc・・・・

まだまだありますが、これらの事故は、あらゆる要因が積み重なり発生しています。

特に、人的要因、ヒューマンエラーと呼ばれるものが多く「うっかり」「思い込み」「あわてた」などがありますが、大事故は、小さなエラーの積み重ねが不幸にも起こった時に発生します。

世に言う「考えられない事故」の多くは、ヒューマンエラーが関わっていますが、小さなエラーは、何時発生しても可笑しくありません。