碓氷峠の第三橋梁にいたく感動した自分は、琵琶湖疎水関連建造物も観たいと思っており、先の京都・奈良訪問の際に真っ先に実現。
しかも、宿泊ホテルの近くに辰野金吾設計などの日本を代表する赤レンガ建造物が多く、予想外の赤レンガ祭開催♪となった。
↑南禅寺金堂
目指す琵琶湖疎水水路閣は、この金堂を右手に曲がって直ぐのところにある。
しかし、寺院に居りながら全く別のものを目指すのもオツですな。
ってか、そもそも仏像が少ない禅宗寺院には足が向かないし。
↑お!緑の向こうに赤レンガ!
↑重厚で素晴らしい!
しかも、人や電鉄が渡るのではなく、水が渡るのだ。
↑水路閣図面
アーチの大きさがランダムなのは地形に応じて?
琵琶湖疎水は、明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、舟運・発電・上水道・灌漑用水などの目的で作られたが、現在は京都市に上水を提供するのが主な目的となっている。
↑近代建築越しに見る南禅院。
二つの歴史が重なり合う風景・・・よろしおすなぁ。
↑まるで騙し絵。
レンガはイギリス積みだね。
↑アーチの上に更に小さなアーチを乗せるのは、意匠と言うよりは構造力学的なもの故?
↑上に上がると水路があった。
此処には毎秒2トンもの水が流れる。
琵琶湖疎水は、この水路閣以外にも蹴上発電所や疏水記念館、そして水路に沿った哲学の道散策など、まだまだ見どころ満載なのだが、どーしてもその日中に拝観したい寺院があったので、またの機会に・・・と言うことに。
そして、件の寺院を無事に拝観し、ホテルにチェックインしたのが17時頃。
重たい荷物を置いて、財布とデジカメ(コレ重要)とケータイだけ持って、周辺をブラブラ散策。
そうしたら、5分も歩かぬ間に辰野金吾発見!
ひゃっほう♪
↑みずほ銀行京都中央支店
これは、1906年に第一銀行京都支店ビルとして竣工された。
しかし、時を経た1999年に耐震性に問題アリとして全面取り壊されてしまい、現在の建物は2003年にレプリカ再建されたもの。
当時の意匠をそのまま再現したのだけど、新しいだけに何となく空々しい感じがする。
しかし、考えようによってはこれだけ新しいのだから、相当先の時代まで辰野金吾を伝えるであろう、と喜ばしいことだ。
赤レンガに白のラインが走るデザインは辰野式と呼ばれ、辰野金吾特有の意匠。
↑明治期の近代化建築ってのは、ホント観ていて飽きない。
↑こちらは京都文化博物館
みずほ銀行からちょいと歩いたところに、また辰野式発見。
これは、1906年に日本銀行京都支店として竣工されたもので、辰野金吾とその弟子である長野宇平治による設計。
国の重文。
写真が激しく傾いてるのはご愛嬌ってことで・・(汗
何せ、この前の人通りが激しくて、通行の邪魔にならないようにと、とりあえず押したシャッターなので・・
↑先のみずほ銀行とは、また違った雰囲気
↑・・と、その並びに河合塾、あ、違った、
中央郵便局
この郵便局は、1871年に郵便制度が発足した時に東京・大阪と共に設置された郵便役所が前身と言った、日本で最も歴史ある郵便局のひとつ。
設計は、当時逓信省営繕課の吉井茂則と三橋四郎。
しかし、明治期の建物では現代の郵便業務に対応出来ないことから、外壁を残して内部は改築されている。
解体して現代ビル建築にするよりもコストが掛かったろうに、残してくれてブラボーだぜ。
↑ゆうちょのカードを持って来りゃ良かったなァ・・ ←アホ
↑京都国立博物館本館
1895年に竣工。
宮内省内匠寮技師の片山東熊の設計で国の重文。
みずほ銀行京都中央支店、京都文化博物館、中央郵便局は烏丸御池にあり、この京都国立博物館は東山七条にあって最終日に観た。
さっすが、国の宝物を収蔵しようって器は素晴らしい。
以上が今回の旅で出会った赤レンガ建造物。
しかし、タクシー・ドライバーさんの話だと、烏丸御池界隈だけでもまだまだあるとのこと。
舞鶴にも沢山あることだし、今度は是非とも近代化建築狙いで京都に来たいなぁ。
なんと素晴らしい!
このアーチの作りなど、まさに赤レンガは芸術の極み。
京都は昔気質の宮大工さんが造るような純日本建築物しかないと思っていたけど、こぉんなにステキな近代建築物も残っているのですね~♪
こんな所で、1日過ごせたカメさんが実に羨ましいです。
それと、舞鶴には倉庫や工場系の赤レンガ建築が多く、京都は横浜と同じかそれ以上の近代化建築の宝庫なのです。
京都国立博物館は遠方からしか観ませんでしたが、入館してジックリと観たい建築であります。
それにしても、禅宗の古刹とレンガ・アーチ・・・このミスマッチにやられました!