昨日、
思いっきり浴びるぞぉぉぉぉ~っ!!!
と叫んでみたものの・・・
・・・・・
・・・・・
軍資金が無い!
(T△T) アウアウ~
何せ、子カメ達二人揃って卒業&進学なもので・・・。
謝恩会やらお別れ会の会費、進学準備諸費用、予備校代年間一括納入・・・そんでもって、その前には車買っちゃったし。
おっと、書道教室の受講料も年間払いだった!
ヽ(  ̄д ̄;)ノ ハラホレヒレハレー
そんなサイアクの経済状況下、この前日光くんだりから花の上野まで行けるのか?!
ん?ん?でも待てよ。
鈍行往復ならパスモで行けるから交通費ゼロ。
東博の年間パスポートを持っているので観覧料ゼロ。
アメ横界隈に多数存在する安くてマズイ回転寿司でお昼を済ませ、唯一の買い物図録購入(コレだけは外せない)で、総額3500円で上がるぞ!
散り際の桜見物と仏浴代、しめて3500エン~♪
o(@^◇^@)o
良かった。良かった。
♪~(^^~)(~^^)~♪♪
↑ 東博にて明後日から開催。
記念講演会に申し込んでいるのだけど、申し込みが遅かったので抽選を通るかどうかが心配。
「薬師寺飛鳥から平城へ」東野治之氏(奈良大学教授・日本古代史)
「薬師三尊像について~初期律令国家の理想仏~」金子啓明氏(東博特任研究員・彫刻史)
定員380名、毎回応募多数で抽選(つーか先着順だと思ってる)なんだよね。
平城遷都1300年記念事業のせいか、単なる寺宝展と言うよりは薬師寺を通して観る奈良(または平城の都)みたいな構成を取るらしい。
そんでもって、目玉の金堂薬師三尊像のうち日光月光両菩薩は、光背を外した状態で360度の視野が得られる展示になるそうで、仏像の背面感を気にするカメにとっては嬉しい限り。
勿論、仏像である前に御仏であるのだから、信仰の対象の拝観として如何なものか・・とのジレンマは付きまとうけれど。
・・・去年は仏浴の旅・奈良詣でが出来なかっただけに、この企画展は嬉しい限り。
浴びるぞ!浴びるぞ!思いっきり浴びるぞぉぉぉぉ~っ!
運慶作「大日如来坐像」が国内に留め置かれて良かった・・・。
落札推定価格10億円以上、と聞いた時には
日本国民の皆様!このカメに、どうぞ10円づつ恵んで下さいな!
と、本気で考えたぞ。 またかいな!この間は1円づつ恵んで貰ってマイバッハだったろーが!
・・・件の大日如来坐像、カメは東京国立博物館にて拝観し、その大日様を取り上げた研究紀要を購入した。
地元・栃木県(足利市)から立て続けに二体の「運慶作」が発見され、一体は光得寺所有で、もう一体は個人所有。
今回の「流出騒ぎ」は後者の個人蔵のもので、持ち主の売却の申し出に対し文化庁は何の返答も出来なかったらしい。
能無し文化庁!死んでしまえ!
それにしても、その持ち主は国の宝を自分の宝と思ったのだわね~。
その勘違い振りこそ国宝級!
何はともあれ、海外流出の事態を免れて良かったっす。
三越が代表して落札したと言うけれど、12億以上もの金、一体どの様に集められたのか?
一般庶民には反対運動の署名するくらいしか出来ないけど、良識ある日本の裕福層の方達が署名する感覚で100万円ずつでも寄付したのだろうか?
これが件の大日如来坐像。
東博によって調査された後の展示で、カメが観覧したのもこれ。
この、背中から頭頂に向かってスッと立ち上がる背面感(写真二枚目)が運慶ならではで、運慶作大日如来像の代表格である奈良県円成寺の御像との間に数多くの共通点が見られる。
三越が“代表して”落札したからには、今後何らかの形で公開されるだろうと思う。
つーか、それを切望する。
※ちなみにこの御像は無指定。
奈良県観光協会が出している「奈良大和路カレンダー」(カメは「御仏カレンダー」と呼んでいる)の今年一番最初は、
薬師寺東院堂御本尊 聖観世音菩薩
白鳳時代の御像で、その御顔を見ただけで「白鳳!」と叫びたくなるくらいに白鳳仏している。
材は金銅。
今まで金銅仏って好きになれなかった・・・温もりを感じられないし、型に流して鋳造するのでチープなレプリカみたいな感じがしたし。
しかし、帚木蓬生「国銅」を読み、足尾銅山の歴史を読むうちに、昔の銅の生産にどれだけの工人の苦労と犠牲が有ったかを知り、「銅は尊い物」と改めて感じ入り、金銅仏への見方も変わった・・・尊い。
上述したのは些細な事であるけど・・・何て言うのか、こんな風に、重ねる歳や経験によって評価や判断に広さと深みが出て、「嫌いが好きに転じて」行ったら素敵だなぁ・・・と思う。
で、最期は「好き♪好き♪好き♪」で終われたらなぁ・・・。
嗚呼・・・・奈良に帰りたい。
栃木県立博物館にて開催中の「慈覚大師円仁とその名宝」展に行って来た。
すごーく良かったのだけど・・・
かなり完成度の高い企画展だとは思うのだけど・・・
何かが足りない。
仏教関連の展覧会で抱くガツンとした思いや、「この御像(または仏画)に会えただけでも来た甲斐があった」との思いが湧いて来ないのだ、どうしても。
全てが平たく、無難にまとまってる感じ。
はて?・・・と思いながら全てを観覧して博物館を後にした。
物足りない思いでいながらも丁寧に観覧したので、出た時は既に13時近かった。
なので、大好きなカフェに寄って一人ランチ。
中庭のプールの青・・・プールに覆い掛かる様に茂る木のさざめき・・・そして、丁寧に淹れられた絶品のコーヒー。
目と耳と口とで至福の時を過ごし、その後は母の日の買い物をして帰宅した。
・・・で、観て来た展覧会に付いて住職(住職は観覧済み)と話すうちに気が付いた。
企画展の焦点がぼやけて感じたのは、それが天台宗だったから!・・・じゃないかと。
元来、金剛界・胎蔵界の両部で構成されるべく密教曼陀羅に「蘇悉地」などと言う妙なものを加えて三部構成としたり、密教の中心御仏である大日如来に対して「大日如来と釈迦如来は本来一体仏である」と解釈し、挙句には「顕教と密教は同等である」とまで言い放ってしまうくらいに「何でもアリ」が天台宗なのだ。
天台密教、キャパ広すぎ!・・・そんでもって、行き着く先は浄土思想だものなぁ。
それに引き換え、真言宗はと言えば「空海に始まり空海に終る」。
真言宗=空海。
超人的な空海を超える僧侶は輩出する筈もなく、真言宗は真言宗内で各派に分かれはしても、天台宗の様に新仏教の立ち上げは無かった。
密教を、原典(原点)に忠実なままトコトン突き詰めたのが真言宗・・・だと思ってる。
なので、この道18年(わお!)のカメは、やはりウェルカム宗派・天台宗に、どうしても空疎感を抱いてしまうのだわなぁ・・・きっと。
例えそれが身贔屓であろうとね。(笑)
毎日、飽かずに眺めている「奈良大和路カレンダー」は2ヶ月毎めくり。
なので、3月に入り、初めて一枚めくった。
奈良県・金龍寺に安置される聖観世音菩薩像だそう。
子供の様にあどけなく可愛らしい御顔と、お腹を前に迫り出した御身体付きから「童顔童形像」と呼ばれた御像は、飛鳥~白鳳時代に制作された。
飛鳥後期は、仏像制作に関しちゃ面白い(興味深い)時代で、他の時代が「一つの時代を代表する一つの作風」であるのに対し、この時代は幾つかの作風が並立して展開されている。
それは、その当時、百済・高句麗が滅びて新羅統一の時代に入り、また唐朝は最盛期に入ろうとしており、その気運を反映するかの様に日唐交渉は活発になって新しい仏教が続々と入って来、その影響から様々な時代の様々な様式が展開された・・のだ。
童顔童形像は、東京国立博物館の法隆寺宝物館に安置される「四十八体仏」や、法隆寺・大宝蔵殿に安置される「六観音」、または同寺金堂の飛天なども知られた処。
そして、とっても有名な法隆寺「夢違観音」と、ほぼ同時代の制作になる。
それにしても可愛いなぁ・・・この鄙びた御顔。
カメの目じり&口角はタラッと下がりっぱなしだわよ。
これから2ヶ月間、この愛らしい御仏を拝せるなんて感無量、ってところかな。
やっと・・やっと・・・やっと、渡岸寺の十一面観音様にお会い出来た。
東京国立博物館。
前回来た時の10倍は居ようかと思えるくらいの人!人!人!
開館と同時に入館したカメだったけど、それでも館内は既に人で埋まっていた。その小一時間後には入場制限まで成されてしまい、待ち時間が最長で50分にもなったらしい。
「仏像~一木にこめられた祈り~」展。
会場に入るや、少しだけ後ろめたさを感じつつも居並ぶ御像を横目だけで見やりながら足を止めることなくズンズンと進んだ!
そうして辿りついた3室目。
嗚呼!あの方がいらっしゃる・・・人垣の真ん中にスッとお立ちになって・・・。
遠目にしただけで早くも胸の鼓動は早まり、鼻の奥がツーンとして来て、緊張で足がもつれ加減になる。
そうして更に距離を縮めて行く・・・コツコツコツ(←足音)・・・やっと御前に出られた。
うっ!やはりダメ、堪えきれなかった!人目も憚らず・・・と言うか、そんな気遣いする余裕も無くツーンとした鼻の奥は涙腺を刺激し、カメ、感涙にむせいでしまった。
「渡岸寺十一面観音様、お久し振りでございます。初めてお会いしたのが平成8年11月6日、実に10年振りの邂逅となりました。」
日本に現存する十一面観音像の白眉と言われるこの気高く美しい観音様は、滋賀県琵琶湖の北部高月町にある向源寺境内の観音堂の本尊として伝来し、平安時代9世紀の作。
10年前にカメが拝観した折には、町の「保存会」の人達(紺地に保存会の名称が白く抜かれた揃いの法被を着ていらした)が案内して下さり、それは今も変わらないらしい。
その拝観の折、純朴そうな高月町のじい様達と、彼等に守られる女王の如き気高き観音様のギャップと言うものが、観音様の美を更に強調させている様な気がして、「こんな美の在り方もあるのだなぁ・・」と、少しばかり不思議に感じたのを良く憶えている。
カメが思うに、この観音様の大きな特徴は「大胆でありながら破綻が無い」であると思う。
頭上の化仏(けぶつ)と御顔の左右両脇の化仏が他の十一面観音像と比べると恐ろしく大きいし、御手の長さも、幾ら観音菩薩の特徴が「御手が長い」であってもこの観音様のは長過ぎる。タップリとした量感ある体躯も、腰の捻りも随分と強調されたものである。
それなのに、破綻無くまとまっているのだ、実に見事に。
大胆なパーツ同士が見事な調和を見せるとなれば、そこから生み出されるは圧倒的な存在感でしかなかろうと思う。
もう一つカメが思うに、この観音様にたった一言捧げるとすれば、それは「麗」であろうと思う。
鼻梁が通った端整な御顔には意思のある美しさが宿り、衆生を救わんと一歩踏み出した右足、差し伸べた右手の動きは慈愛に満ちた雰囲気を醸し出し、肉厚な体躯をくの字に捻った御姿と、捻った時の衣文の動きの軽やかさが艶やかな空気を振りまくのだ。
華麗にして端麗。
まさに麗人であると思う。
うーむ・・・賞賛の言葉しか浮かばないや。
今宵は少し興奮気味で上擦った文章しか書けそうにない・・・なので、また後日。
ところで、拝観(?)の合間にお昼ご飯を食べようと館外に出たら、かつてNHK学園仏教美術国内スクーリングの旅を3回も御一緒した御夫人と偶然の再会!
嬉しさ込み上げて思わず、「○野さぁ~ん!」と走り寄ってしまった。
その方も、「此処でカメさんにお会いするなんて!これは紛れも無い仏縁よね!渡岸寺の十一面観音様が私達を引き合わせてくれたのよね!」と感激して下さって(何と、その方は感激と驚きで顔や手に鳥肌を立てていらした)、その後二人で軽い昼食を取りながら積もる話に花を咲かせた。
その御夫人は70代後半で、深窓の令嬢→会社社長夫人なる陽が当たり花咲き乱れる道を真っ直ぐに歩いて来られた方。何せ「人生で一番の屈辱は、戦後アメリカ兵にDDTの白い粉を吹き掛けられた事よ!」と仰って憚らぬくらいに苦労らしい苦労を知らぬらしく、それ故に、少女の様なあどけなさと瑞々しい感性を何時までもお持ちでいらっしゃるので、カメは大好きなのだ。
しかし、大好きなれどもひと度離れてしまうと、遠距離、年齢差、環境の違い等々の理由あってか疎遠になる一方だった。最近では年賀状と暑中見舞いの交換だけになってしまい、「今は続いているこの季節の葉書の交換だって、何時か途絶えてしまうのかも・・」と、葉書を頂戴する度にうっすらとした哀しみを感じていたから、今日こうして、よもやの再会が出来た事が心から嬉しい。
その御夫人とは渡岸寺の御堂にても御一緒で・・・・今日、渡岸寺十一面観音様のおはす場所にて奇遇なる邂逅を遂げようとは・・・・何て言うのか仏縁を強く感じてしまった。
十一面観音様のお導きだろうか・・。
昨日の続き・・・
昨日、校外学習と称して来寺した中学1年生が体験した「月輪観」とは、全ての修行者がマスターしなければならない密教修行の入り口であり、密教にとっては要の修行。
密教には、瞑想により世界と自分は一つである事を実感する「観相」と言う考え方があり(仏教での「観」は、単に見ると言う意味ではなく智慧を持って分別照見すると言った重要な言葉)その本意を得る為に行うのが月輪観から始まり阿字観、五相即身観、字輪観などと深くなって行く禅の修行。
禅と言っても禅宗の禅とは内容が異なる。
禅宗の禅は「心を無にする」のに対して、密教の禅は「心に御仏を観じる」ものになる。
・・・で、世界と自分は一つであるのを実感し、やがては心に御仏を観じる初歩的瞑想法「月輪観」の実践法を簡単に説明すると、
座り方は「結跏跌坐」」(左足に右足を乗せて足を組む座り方)で、手は「法界定印」(右手を左手のひらに乗せて、両手の親指の先で輪を作る)。
そのスタイルで自分のペースで深く大切に呼吸をしながら、目の前の←「月輪観本尊」を良く見て心に留め置き、目を閉じても見えるくらいになるまで意識を集中する。
そして、目を閉じても見える様になった月輪を強く心の中に引き寄せて、それを白い光を放つ球体に変化させ、その球体をどんどん大きくして行く。
先ずは自分の身体がスッポリと覆われるくらいの大きさ、そして家の大きさ、町の大きさ、国の大きさ、地球の大きさ、最後に宇宙全体を覆うくらい大きな球になる様に月輪を広げて行く。
次に、極限まで大きくした月輪を少しの間維持する。
月輪を安定した状態で維持させる事が出来たら、次にこの月輪を徐々に小さくして最初の大きさに戻して行き、最後に自分の胸中に納める。
心に描いた月輪をどんどん大きくして行くのを「広観(こうかん)」と言い、宇宙が包まれるくらいに大きくなった月輪を維持するのを「斂観(れんかん)」と言い、この2つによって月輪観は終了する。
中学生達は、こんな様子。
密教修行なんて初めての体験だと思う。そのせいもあってか、皆、真剣に取り組んでた。
自分の心に月輪を形成し、それを自由自在に変化させるこの修行から得られるのは、精神の集中力と強大な想像力。
こうして頭脳を覚醒して行くと、殆どの人が気付かずに終る「人が本来持っている筈の能力」を引き出す事が可能であるとも言われている。
10代前半の瑞々しい感性は、この月輪観をどの様に捉えてくれただろう・・・。
(ちなみにカメは、一度も行った事がありませぬ。汗)
↑と書いて「がちりんかん」と読み、それは密教修行の初歩であり中軸を成すもの。
・・・で、どうしてトートツに月輪観かと言えば、今日、鹿沼市立南押原中学1学年の生徒が「寺院での体験学習をしたい」と当寺に来寺し、この月輪観に挑戦したのだ。
・・・で、それをブログ記事にする為に「月輪観」を調べるつもりが、密教修行の記述を読むのに熱中してしまい、その上「そう言えば、仏師・定朝は御仏の御顔を丸く円満に作る事で月輪を表した(その代表作例が宇治平等院の阿弥陀如来像)だったよな・・」と思い出し、それから仏像関係のカラーグラビアを眺めていたら、随分と遅い時間になってしまった。
・・・ので、明日に延ばそ。
只今23時33分・・・眠いっす。(-_-) zzz