旧愚だくさんブログ

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今日はちゃんと月輪観

2006年11月28日 | 仏教・仏像

昨日の続き・・・

昨日、校外学習と称して来寺した中学1年生が体験した「月輪観」とは、全ての修行者がマスターしなければならない密教修行の入り口であり、密教にとっては要の修行。
密教には、瞑想により世界と自分は一つである事を実感する「観相」と言う考え方があり(仏教での「観」は、単に見ると言う意味ではなく智慧を持って分別照見すると言った重要な言葉)その本意を得る為に行うのが月輪観から始まり阿字観、五相即身観、字輪観などと深くなって行く禅の修行。
禅と言っても禅宗の禅とは内容が異なる。
禅宗の禅は「心を無にする」のに対して、密教の禅は「心に御仏を観じる」ものになる。

・・・で、世界と自分は一つであるのを実感し、やがては心に御仏を観じる初歩的瞑想法「月輪観」の実践法を簡単に説明すると、

Aji4 座り方は「結跏跌坐」」(左足に右足を乗せて足を組む座り方)で、手は「法界定印」(右手を左手のひらに乗せて、両手の親指の先で輪を作る)。
そのスタイルで自分のペースで深く大切に呼吸をしながら、目の前の←「月輪観本尊」を良く見て心に留め置き、目を閉じても見えるくらいになるまで意識を集中する。
そして、目を閉じても見える様になった月輪を強く心の中に引き寄せて、それを白い光を放つ球体に変化させ、その球体をどんどん大きくして行く。
先ずは自分の身体がスッポリと覆われるくらいの大きさ、そして家の大きさ町の大きさ国の大きさ地球の大きさ、最後に宇宙全体を覆うくらい大きな球になる様に月輪を広げて行く。
次に、極限まで大きくした月輪を少しの間維持する。
月輪を安定した状態で維持させる事が出来たら、次にこの月輪を徐々に小さくして最初の大きさに戻して行き、最後に自分の胸中に納める。

心に描いた月輪をどんどん大きくして行くのを「広観(こうかん)」と言い、宇宙が包まれるくらいに大きくなった月輪を維持するのを「斂観(れんかん)」と言い、この2つによって月輪観は終了する。

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中学生達は、こんな様子。
密教修行なんて初めての体験だと思う。そのせいもあってか、皆、真剣に取り組んでた。

自分の心に月輪を形成し、それを自由自在に変化させるこの修行から得られるのは、精神の集中力と強大な想像力。
こうして頭脳を覚醒して行くと、殆どの人が気付かずに終る「人が本来持っている筈の能力」を引き出す事が可能であるとも言われている。

10代前半の瑞々しい感性は、この月輪観をどの様に捉えてくれただろう・・・。
(ちなみにカメは、一度も行った事がありませぬ。汗)


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2 コメント

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たくさんの中学生がお寺に来たのですね。 (あこ)
2006-11-30 22:55:29
たくさんの中学生がお寺に来たのですね。
みんな真面目に修行しているようです。
私も「月輪観」の実践法を読んで、とても興味を持ちました。
文章を読むだけで、何となくワクワクするような・・、モニターを眺めて、ちょっとトライしてみました。
でも雑念が多すぎました。テレビつけっぱなしだし・・。
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あこさ~ん☆ (カメ)
2006-12-02 23:11:51
あこさ~ん☆

本来、仏教はインドの思想ですので、瞑想やヨガの要素が色濃いのです。

目の前の御軸に描かれた直径30cmほどの「月」を心の中で自由自在に変化(へんげ)させる・・・これは、一見単純そうに見えるものの、実践してみると、いやはや中々奥が深いものらしいです。
未だやった事が無く、「らしい」としか言えないのがもどかしいですが・・。



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