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旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

後七日御修法

2009年01月17日 | 仏教・仏像

ついウカウカと看過しちまった!

今年の「後七日御修法」の大阿闍梨は智山派から出たんじゃないか!

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「後七日御修法」と書いて「ごしちにちみしほ」と読む。
これは、弘法大師空海が、承和元年(834年)正月8日から14日までの七日間、宮中真言院にて玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣を祈願する修法を執り行ったのが始まりで、その後今日までの1200年近く続いている真言宗最高の大法。

明治16年の正月から、場所を宮中真言院から東寺の灌頂院に移し、現在に至る。

カメは今から11年前に、この御修法を観に行ったが、平安時代にスルリと入り込んだかのような光景が続いて溜息の連続だった。
御修法は観られないものの、道場である灌頂院に入場される各総本山山主の列が素晴らしい。
詳しい名称は分からないが、露払い役の僧侶、山主の法衣が入っているであろうと思われる箱を捧げ持つ僧侶、山主、山主に朱塗りの傘を差しかける僧侶、その他数名の随行僧侶がひとつの総本山の列で、それが15総本山分の15列が延々と続く。
随行の僧侶達はみな紙製マスクみたいなもので目から下を覆っており、その姿がこれから厳かな修法に臨むぞとでも言いた気な凛とした空気を振りまく。

そして、開白(かいはく。初日のこと)には、宮内庁より天皇の御衣を携えた勅使がやって来る。
御衣は菊のご紋入りの唐櫃に納められてから灌頂院道場に運ばれ道場内の壇上に安置され、玉泰安穏の加持を受けるのだ。

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↑勅使の北所長(宮内庁京都事務所長)から御衣を預かる阿部大阿闍梨

御修法について簡単に箇条書きすると、
・玉泰安穏・鎮護国家・五穀豊穣を祈願する。
・御修法は、両界(曼荼羅)の金剛界と胎蔵界とを隔年毎に
  主本尊とする。
・御修法に使うものは、
    両界曼荼羅
    真言密教の神々(五大尊・十二天)を描いた仏画
    密教法具
   ※ 例えば、両界曼荼羅は9世紀末のもので、密教法具の中
  には唐時代のものもある。
・三密加持
    身(しん)・・手に印を結ぶ
    口(く)・・口で真言・陀羅尼(だらに)を唱える
    意(い)・・心に仏の姿を観想する。
観想の行き着く先は行者と仏の合一達成で、その時行者は即身成仏する。
つまり、宇宙の全ての仏を降ろして国家の安泰を祈るのだ。
これぞ密教中の密教!
秘法中の秘法!

実際、ご祈祷が終った後の道場に案内されると、院内は護摩火や香木を焚いた匂いで満ちており、薄暗い中で毘沙門天の瞳が怪しく光っていた。

平成も20年を過ぎた現在、3年周期でどんどん様変わりして行く世の中にあって、未だ鎮護国家の加持祈祷を行っていようなどと知っている人は少なかろうと思う。
土台、祈祷で国を守ろう・保とうって発想が皆無だろうなぁ・・・アレは高度医療や核兵器がなかった時代の話、と思ってるよねぇ。

しかし、どんなに時代が変わっても、頑としてあり続けるのだよ。

で、冒頭に戻るが、
御修法は、真言宗各派総本山(または大本山)の山主ら15人が出仕し、その中の最高位の大阿闍梨は毎年の順番制になっている。
で、今年は智山派総本山智積院の化主さまが当番だったわけだ。
15年に一度だよ、オリンピック周期も干支も超えた長いスパン・・・次は15年後、カメ還暦寸前の歳じゃないか。嗚呼!


光の思い出

2008年12月23日 | 仏教・仏像

正直に言うと、

イルミネーションが美しいとは思えない。 お愛想で「キレイですね」とは言うが

神戸ルミナリエ規模になれば「うわぁ~!」と感動するのかも知れないけど。(ルミナリエは、昼間見ただけ。勿論、点灯してない。笑)

この時期になると、個人のお宅の壁やら屋根やらが、トナカイや星で輝いているけど、一体何が楽しくてあんなことをするのか理解出来ない。 理解出来ないだけで否定する気はないよ
自分がそんな家の主なら、間違えなく帰宅恐怖症になるな。

人工照明系で、唯一美しいと感じるのはライトアップ。
しかし、清水寺と薬師寺限定ね。
姫路城なんか、ぜ~んぜん。

光の演出で素晴らしいのは、何と言っても兵庫県浄土寺の浄土堂だと思う。
この浄土堂には快慶作の阿弥陀三尊像が安置されており、中尊の阿弥陀如来立像は500メートル以上もある巨像。
阿弥陀如来、観音勢至両菩薩が背にするお堂の扉は全開するように出来ており、
日が傾き掛ける時刻にその扉を開け放つと、
西日が一斉に差込み、
三尊は光に包まれ、
金箔は施された御身は光り輝き、
今まさに極楽浄土から来迎に訪れた阿弥陀三尊の姿を、自分は観ている、そんな気持ちにさせるのだそう。
昔は、寺の周囲一帯は田んぼだったために、初夏の夕刻には西日と田んぼの水面で反射した光が差込んで、溢れかえるほどの光が阿弥陀三尊を取り巻いたと言う。

これほど巧妙な光の演出があろうか・・・。

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約10年前にHNK学園仏教美術講座スクーリングで、この浄土寺を訪ねたことがあった。
「明日は晴れますように!西日が差しますように!」と、まるで子供みたいにホテルの部屋にてるてる坊主を吊るし、
(翌朝、誰ともなしに「ワタクシ、てるてる坊主を作っちゃいましたの。丁度持ってたハンカチが白かったもので。」と仰ると、「あら!私もよ!」「私も!私はティッシュで!」「あら、いやだ!みんなして子供みたいだわ!」と、朗らかに笑い合ったっけ)
西日の時間に間に合うようにバスが浄土寺に向かっている間、「どうか、もっと晴れて西日が差しますように!」と、これまた子供みたいに全員が必死で合掌したのを思い出す。
60歳から80歳過ぎの方々が殆どだったメンバーだのに、光を背にする阿弥陀三尊を拝したい一心で童心に返りまくりだった。
結局、西日が差すほどの天気にはなってくれず、ガッカリで終ったのだけど、「でも、これでまた来る楽しみが出来たってものよ」「そうよね!」と、驚くくらいに前向きだったなぁ。
仏像の魅力に取り憑かれ、仏像が好きで好きで、って人の集まりなので、仏像を前にするとホント子供のように純真になってしまう。
そんな方々との仏像三昧のスクーリングの旅は、どれも楽しかった、とってもとっても楽しかった。

明日はクリスマスイヴ→イルミネーションから、こんな素敵な思い出の中でしばし遊んでいた。


長い道のり

2008年12月17日 | 仏教・仏像

不調の中、
雨の中、
這いつくばって行って来ました、「密教への道」講座。

第4講座の本日のお題「胎蔵界曼荼羅」。

両界曼荼羅は何で両界なのか、
何で金剛界と胎蔵界に分かれているのか、
・・・が、漸く分かった貴重な講義だった。

今までは「そう言うものだ!」と、頭っから覚えていただけ。
「心臓に右心房・左心房があり、脳に右脳・左脳があるように、大切なものってのは左右一対になってるものなんかな~。」
な~んて自己解釈したりね・・・って、稚拙だなぁ。

ところで、丸一日ゲ~ゲ~やってたら、「うわっ!」と思うくらい肉がこけた。
尻の骨は出るし、肩の骨も出て、我ながら痛々しいお姿。
普通は嚥下して下に下にと下がって行くところを逆流するわけだから、嘔吐ってのは相当身体に堪えるんだわなぁ。
病気で痩せると、必ずリバウンドが来るから、そっちの方も恐ろしい。
それと同じようなことで、楽しいことが続くと同等の辛いことが来るのではないか、と恐れたりもする。

両界曼荼羅は、「智慧」を表す金剛界と「慈悲」を表す胎蔵界で一対を成すけど、凡人の心は「喜」と「哀」とが表裏一体となり、表と裏がくるくると回りながらも大した実りを獲得出来ずに、死に向かって行くのだろうね。


大施餓鬼会

2008年09月15日 | 仏教・仏像

昨日終わってホッとした大施餓鬼会。
気が緩んだせいか、身体はダルダル・モードの今日一日だった。

施餓鬼・・・それは、餓鬼に施すために行う法会。って、まんまじゃん!

インド古来の思想が仏教の根本思想となった輪廻転生は、生きるものは天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道の六道に生死を繰り返すことを言い、その畜生道よりも劣る餓鬼道に住まう餓鬼に飲食を施し、御仏に供養することにより、餓鬼も救済され、自身も長寿や安泰を願う。
そして、餓鬼を救った供養が巡り巡ってご先祖さまに届く。・・・なので、檀家さま達は、菩提寺の施餓鬼法要に参加し、施餓鬼法によって清められた施餓鬼塔婆をご先祖さまにあげることでご先祖さまや自身の幸福を願う。・・・のが、施餓鬼の意義のあらまし。

で、法要のあらましはと言うと、

《奠供(てんぐ)》
法要(特に供物を捧げる法要)に付きものの声明。

《理趣経(りしゅきょう)》
密教の極意を表すもので(煩悩即菩提!)、真言宗の中心経典。

《至心回向(ししんえこう)》
三宝(仏・法・僧)を敬い、自分の過去の贖罪を願い、諸仏に衆生の救済を願う。

《施餓鬼法(せがきほう)》
施餓鬼のための修法。

過去帳を清める

《普回向(ふえこう)》
これまでの施餓鬼法要の功徳が、自身や他人、または死者の成仏・往生のためにらるようにと唱える文。

・・・とは書いてみたものの、深い意味までは分かってない。(涙)

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ところで、毎年のことながら上子カメが助っ人となって良く働いてくれた。
それも、去年までは裏方専門のカメの助っ人だったのが、今年から表舞台に立つツレアイの助っ人になり、カメよりも出世したのだわ。

兎に角、真言宗は作法!作法!作法!の作法づくめ。
裏千家に入門するや、たった1日で音を上げてトンズラした過去のあるカメなんざ手も足も出ない。
しかし、そんな愚母の傍らで、作法にのっとり黙々と仕事をこなして行った上子カメ。
その心中や、如何なるものであったのか・・・は、分からぬものの、今年の施餓鬼にて上子カメの「寺を継ぐ意志」が、確かに見えた気がする。

なので、今年の大施餓鬼会は、ちょっと特別なものになった。


アカデミックな一日

2008年08月23日 | 仏教・仏像

↑と、自分で言っちゃアホだわなぁ・・・。

昨日は、子カメ達と一緒に上京。
先ずは東京国立博物館「六波羅蜜寺の仏像展」に。

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特別企画展まで行かぬ小規模な特別展であるものの、内容は超が付くくらいに充実している。(何より人が少ないのが宜しい)
全13躯の御仏が御出ましになられ、その殆どが平安時代と鎌倉時代の優品。
その中でも目玉的御像は2躯の地蔵菩薩像で、定朝の作とされる地蔵菩薩立像と、運慶の作と伝わる地蔵菩薩坐像。
い、いきなり、定朝と運慶が並んだのを目の当たりにして、カメ、軽く呼吸困難、酸欠でクラッ。
その他にも定朝様式の薬師如来坐像があり、肖像彫刻としての魅力を余すところなく伝えてくれる伝・平清盛像、弘法大師像、運慶像、湛慶像が素晴らしい。

そして、その企画展の隣室には、あのニューヨーク・クリスティーズのオークションに掛けられ真如苑が落札した運慶作(と、ほぼ断定出来る)大日如来坐像と、その弟像とでも言うべき運慶作大日如来坐像が並んで展示されている。
真如苑大日如来像を拝するのは、これで2度目なれど、まだ足利市の個人所有であった頃の前回よりも有り難く思えるのは、「これで見納めかも知れない」と思うせいだろうか。
真言宗系新興宗教の真如苑は、この御像を御本尊として御祀りするそうだから、落札後に調査・修復の為に東博に一時委託したこの機会を逃しては、もう永遠に信者以外が拝することは出来ないかも知れない。
・・・・しかし、何で真如苑なのだろう・・・・成田と川崎で何とかならなかったのか。ううっ

そして、東博の次は上子カメたっての希望で、江戸東京博物館「北京故宮 書の名宝展」へ。

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恥ずかしながら、両国って初めて。
お相撲さんがフツ~に歩いてて、ちゃんこ屋さんが多くて、「あ~、相撲の街なんだなぁ~」ってワクワクしたで。

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故宮博物院の書の名宝数十点の中、目指すは王義之「蘭亭序」。

【about蘭亭序】
永和9年(353)春の初め、王義之は会稽山陰(かいけいさんし。現・浙江省)の蘭亭に名士を招いて詩会を催しました。せせらぎに浮かべた杯が流れ着く前に詩を賦し、詩が出来なければ罰として酒を飲む、文人ならではの雅宴です。
王義之は、その詩会で成った詩集の序文を揮毫しました。これが、王義之の最高傑作と言われる蘭亭序です。
王義之の書をこよなく愛した唐の太宗皇帝は臣下に命じて苦心惨憺の末に蘭亭序を入手し、能書の臣下に臨書を命じました。欧陽詢(おうようじゅん)の臨書は迫真の出来栄えだったので、欧陽詢の臨書を石に刻し、その拓本を皇子、王孫、功臣に特賜しました。しかし、太宗は崩御に際して蘭亭序を殉葬させたため、蘭亭序の原本は伝存しません。
(東京国立博物館解説から一部抜粋)

南宋時代には蘭亭序の収集が過熱し、拓本を元に新たな拓本が作られ実に様々な蘭亭序が存在したらしい。
数あれば優劣も出来、その中の優品と呼ばれるものが後世まで残り蘭亭序の名を戴いているのだ。
その中でも最高とされる故宮博物院蔵・馮承素(ふしょうそ)のものが、この特別展にて展示されている。

この馮承素の蘭亭序は、かつて清の乾隆帝も所有しており、乾隆帝の印がちゃんと確認出来る。

最近まで、馮承素本を臨書していた上子カメは食い入るように見つめていた。
カメは、蘭亭序の筆の動きに魅了されつつ、他の出展中の顔真卿、米芾(べいふつ)等、好きな書家の書も存分に観た。

大変、勉強になりました。 それが書に反映されるか否かは別として

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博物館内の洋食屋さんで遅めのランチ。
子カメ達が頼んだ昔ながらのクリームソーダ!懐かしや~。

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それから銀座に出たら、銀座の夏の風物詩とも言うべきソニーのアクアリウムが・・・。
涼しげで良いね~。
今まで所在なさげに付いて来た下子カメの目が輝き、しばらくそこで観察(笑)していた。

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水槽内の魚と水槽に写ったビルのミスマッチ感が楽しい。
去年のアクアリウムは鮮やかな色をした小さ目の魚が沢山泳いでいたように思うけど、今年はウツボやサメ等の大きな魚をメインにした感じ。

で、ソニプラで雑貨やコスメを買って、ユニクロ銀座店で地方展開しなそうなデザインの服を買って(「それ、何処で買ったの?」「ユニクロ」「うそーっ!そんなの売ってた?」「フフン♪」ってね)、三越で秋の小物をチェックして地下で美味しいチーズを買って、その日の全行程、終了。
すげ~充実した一日だった。

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ソニプラで買ったものの中で、100パーセントライム果汁が入った可愛らしいボトルとトリコロールカラーに惹かれて買ったロリポップ。

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北京の故宮博物院には行ったことがあるけど、その頃は書道の書の字もなくて唐三彩や山水画ばかり見ちゃ満足した気持ちになっていた。
今思うと惜しいことしたよな~、実に。


密教への道

2008年07月09日 | 仏教・仏像

080709_12520001 真言宗智山派の研究機関「智山伝法院」から講座案内が届いた。

1.弘法大師の著作を読む「即身成仏義」講読
2.密教への道
3.寺庭婦人講座「これだけは知っておきたい仏教の話」
(寺庭婦人限定)
4.チベット仏教を知る
5.インド密教文献を読む
6.密教事相に学ぶ「諸尊法の世界」
(真言宗智山派教師・僧侶限定)

の、全6講座。
寺庭婦人向け講座を受けるのが望ましかろうと思うものの、今いち食指が動かぬ。 アウトロー寺庭婦人さ!

で、「密教への道」!
コレ良いね~。
講師は、密教研究の権威で梅原猛との共著も多い宮坂宥勝・前管長猊下のご子息である宮坂宥洪氏。
<インド仏教はなぜどのようにして密教となったか。最終的に空海が日本で完成した真言密教とはどのようなものであるか。試論的な密教概説です。>
だって。良いわ~。

以前、この伝法院で月に1度で約1年間に渡って受講したのが「密教の哲学」。
それは超が付くほど難解ではあったけど、インド哲学と仏教の相関関係が見えて来、そのことで自分の言葉で仏教(仏像)を語れるようになった。
時折、仏教関係の質問をメールにて受けるけど、それまでなら先ず文献を当たって必要部分を継ぎ接ぎしつつ文章を書いたけど、今は何を見なくても取り敢えずは文章が書け、書いたものに間違いがないかを文献で確認するようになれた。

この講座、9月から開講で翌年3月までの全6回。
丁度多忙期を過ぎた頃に開講になるし、また頑張って受講しようかな。
いや、受講しよっと。

わざわざ東京まで出なくとも学ぶことは出来るけど、やはり会場まで足を運んで、他の聴講生と共に講師の肉声を聴いて学び取ったものは、脳が幾つもの刺激を受けるせいかそうそう忘れないんだよね。

カメ、将来立派な大人になる為に勉強します。 またおちゃらける~


残すカレンダー、あと2枚!

2008年07月03日 | 仏教・仏像

7月になって、二ヶ月毎めくりの「奈良大和路カレンダー」が新しくなった。
5・6月の聖林寺・十一面観音から法隆寺・夢違観音にバトンタッチ。
白鳳期特有の童顔童形観音の微笑みを、カメラが見事に捉えてる。

この「奈良大和路カレンダー」を撮影し続ける小川光三の写真が好き。
土門拳が大胆なアングル・御仏パワー引き出しまくりだとすりゃ、小川光三は仏マニアがゴクリと唾を飲み込むような変型アングル・御仏の繊細さ感じさせまくりなのだ。

そして、写真を際立たせるよな紀行文があり、それがまた良いのだなぁ・・・。

【法隆寺】
夏の日盛り、蝉時雨の中を歩いていても法隆寺は清々しくそしてどこか寂しげな感じがする。回廊の見事な列柱や連子窓、築地塀の続く道に、太子の信仰と不幸が重なり合って見えるからだろうか。法隆寺は新しい文化の華を咲かせた場所であり、一族が絶えた場でもある。深い謎を秘め、憂いを湛えて千年の時を刻む甍が作る日陰に立つと風が過ぎていく。中世、戦場となった南都から距離があったために兵火に遭わず、堂塔や文化財が残った。国宝百三十四点、重要文化財二千三百七点を含む膨大な文化遺産は珠玉の宝物。

良いな~、この文章。
こう言う風に書きたいな~。
それにしても、国宝134!重文2307とは!カメにとっちゃ天文学的数字だよ、ホント。

ところで・・・・

080703_12350002今日のランチは←これ食べた。
や~っぱ夏はコレに限るね~♪

朝早くから庭仕事に精を出し、ものごっつい空腹だったので、これだけじゃ足らず、
巨大おにぎり1個、
ヨーグルト500ミリ1パック、
大判バタークッキー2枚
も食べちった。
この冷やし中華だって麺の量が1.5人前なのに!
あはははは  鹿沼のギャル曽根と呼んでくれ

ま、むっちりみっちり労働したし、今日はスイミングの日だからカロリー的にはプラマイゼロだな。


東博で仏浴だ!

2008年06月11日 | 仏教・仏像

昨夜配信された東博メルマガを読んで、
ひゃっほ~♪o(^-^o)(o^-^)o

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NYクリスティーズ・オークションに掛けられた事で物議をかもし出した、運慶作・大日如来坐像が東博に御出ましになる。
期間は、6月10日~7月6日、7月10日~9月21日までの前後期で、特に7月10日からの後期展示にリキ入っており、同足利市光得寺に伝わる運慶作大日如来像と並んでの展示になるのだ。

←真如苑像。

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←こちらが光得寺像。

御厨子の中に入っているから分かり難いものの、真如苑像と酷似している。
そして、真如苑像の方が若干制作年代が早い事から、そちらを兄、光得寺像を弟とする「兄弟像」などと呼ばれている。

その「兄弟揃い踏み展示」は、今や真如苑所有となった御像が発見されて間もない時にもなされて観覧したけど、両像共に小像でありながらも「これぞ運慶」なる様式を余すところなく伝えており見応え充分だった。

そして、7月10日からは、六波羅蜜寺の御像六躯も展示される。
中でも平安時代の地蔵菩薩像が美しく、かなり楽しみだ。

先週行った「国宝薬師寺展」の余韻醒めやらぬ心、再燃!

2ヶ月に渡っての仏浴じゃぁ!
来月も浴びるぞ!浴びるぞ!浴びるぞぉ~っ!


「国宝薬師寺展」再び・・・

2008年06月05日 | 仏教・仏像

・・・ってなワケで、行って参りやした「国宝薬師寺展」。
予想を遥か上回る混み様で、「どんなに素晴らしかったか」よりも「どんなに人が居たか」の記述にリキが入りそうだなぁ。

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カメが到着した9時30分には既に人の列が出来ていて、「チケット購入10分待ち・入館30分待ち」だった。
東博には、メインの本館の他に、東洋館、表慶館、法隆寺館、そして大規模展覧会に使われる平成館の計5つの建物から成っており、平成館前には長蛇の列(後になって、この程度は長蛇とは呼べぬと痛感する事になる・・)が出来上がっていた。

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↓な、な、なんと!日傘の貸し出しサービスまで!

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雨傘ならまだしも、日傘まで貸し出す過剰なサービスに却って気が萎えたカメ、すかさずUターンして平成館を後にした。
このまま帰ろっと・・・・・んなワケないっ!
実はだね、秘密の入り口があるのだよ。ホホホ・・・

で、待ち時間ゼロで館内に入り、いよいよ待ちに待った拝観・・・おっと、観覧♪

会場入りした瞬間・・・「赤い!」と思った。
薬師寺堂宇に塗られる朱色をメインカラーとして、色の統一をしたらしい。
で、次には「大工工事!」と思った。
この企画展メインの日光月光菩薩、聖観世音菩薩が“高く作られたスロープ式の台”からも観られる様になっており、それは丁度御仏の御目と我々の目の位置が同じになる様に工夫されている。なので、床から見上げる視点と御仏と並んだ視点との2つで観覧出来る。
このスロープは結構な高さで、遠巻きに見ると大きな空間の中に二階建て建物があり、それはまるで「8時だョ!全員集合!」のセットみたいで、ちと笑えた。

薬師寺東院堂御本尊・聖観世音菩薩も、金堂御本尊脇侍・日光月光両菩薩も、それぞれに美しく、
深く深く見つめれば心はスルリと奈良に帰り、
一昨年雨の夕暮れに拝観した薬師寺の床の固さ・・・
仏堂空間特有の匂い・・・
雨に煙る東塔・西塔・・・
東院堂の薄暗い明かりの中に御姿を浮かばせた聖観世音菩薩のスラリとした立ち姿・・・
がリアルに蘇って来た。

嗚呼!奈良に帰りたい! 悲願!

再び現実の人となって「ただの仏像好きなオバサン」に戻ったカメは、今後観られぬであろう「光背を取り除いた背面」を観るべく御像の後ろ側に回って丹念にチェック。
ムムム・・・渡岸寺の十一面さま宜しく背面にも手抜かりが無く、特に聖観世音菩薩の御背中のラインが絶妙。
正面から観ると日光月光菩薩の様な腰の捻りも無く、スクッと直立している様にしか見受けられぬけど、それに比べて背面は人の生々しさを感じさせる肉感的な印象だった。
横から観ると、三躯に共通した「立ち姿の美しさ」に思わず感嘆の溜息。
肩をスッと下げ、丹田をキュッと締めた立ち姿は、ピラティスの基本姿勢と同じ!
原始仏教から伝わる「ヨーガの実践」のスタイルが、そのまま「仏の定型」となって伝わっているのだろうか。(カメ流考察)

などと思いながら、第二室(御像を中心とした第一室と、経典などを中心とした第二室とに別れている)に進み、「玄奘三蔵と慈恩大師」と題した展示が面白かった。
玄奘三蔵から教えを受けた慈恩大師が法相宗を起こし、薬師寺を開山するまでの経緯を知り、展示されてた経典三巻を読んで、真言・天台以前の南都六宗(俗に言う奈良仏教)と言われる古儀仏教に触れる事が出来たのが、大きな収穫。
古儀と名の付くものにありがちな荒削りな処が魅力であり、また難解でもあるな・・と感じた。
南都六宗は、奈良時代に官の直轄寺院で信仰されていた六つの仏教で、三論宗・法相宗・倶舎宗・成実宗・華厳宗・律宗。
今なお法相宗を伝えるのが薬師寺、興福寺、華厳宗は東大寺、律宗は唐招提寺で、他の仏教は長い間に包合されたかしたらしい。
これ等南都仏教は、真言・天台二宗成立の基礎となり、特に真言密教は華厳宗の教えが色濃く、空海は東大寺の要職を務めた時代もあった。

それにしても、慈恩大師の頭の良さ(頭が良い、なんて失礼な言い方だけど)には驚く。
この手の天才は空海だけだと思っていたが、此処にも傑出した人物が居たのだわね。

そして、最後の展示「国宝・吉祥天像」の仏画を観た。
前々から感じていたのだけど、この薬師寺・吉祥天画像と浄瑠璃寺・吉祥天像(こちらは彫刻)は、とても似ていらっしゃる。
何かの因果関係と言うか繋がりがあるのだろうか・・・。

で、平城美人(何なんだ?)の吉祥天を以って全観覧終了。
企画展グッズ売り場でせんとクングッズを探したけれど見当たらず(残念!ストラップ、欲しかったのにぃ)、そのまま退出・・・・のワケなく(爆)、
再び入り口に向かって二度目の観覧。

そして、常設展の御像を観て、ミュージアム・ショップで仏関係本を物色して外に出たら・・・!

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混雑度合いは、こぉ~んな事態にまで発展していたのである!

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↓これは、券売機前の列。東博前の道に人の列がズラ~リ。
入場券を買うだけで1時間待ち!中に入って更に2時間30分待つのだ!

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唖然としながら人の列を眺めていると、向こうから女子職員が走って来て、「主任!カラーコーンが無くなりました!」と。
東博にどれだけのカラーコーンがあるのか知らないが、カラーコーンを使い果たす程の列の多さとは!
聞く処によれば、長時間耐え忍ぶ人達に、薬師寺の坊さん達が青空説法をしたそうな。

青空説法!
薬師寺ならでは!
此処でやるとは、見上げたものよ、薬師寺僧侶!
骨の髄まで高田好胤!

<時間切れになったので、続きは後で・・・>


国宝薬師寺展

2008年06月04日 | 仏教・仏像

やっとこさ、「国宝薬師寺展」に行って来られた。

今週末で会期終了なので「駆け込み観覧で混んでいるだろう」と覚悟していたものの、

まさか此処まで凄いとは!!!

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