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後七日御修法

2009年01月17日 | 仏教・仏像

ついウカウカと看過しちまった!

今年の「後七日御修法」の大阿闍梨は智山派から出たんじゃないか!

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「後七日御修法」と書いて「ごしちにちみしほ」と読む。
これは、弘法大師空海が、承和元年(834年)正月8日から14日までの七日間、宮中真言院にて玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣を祈願する修法を執り行ったのが始まりで、その後今日までの1200年近く続いている真言宗最高の大法。

明治16年の正月から、場所を宮中真言院から東寺の灌頂院に移し、現在に至る。

カメは今から11年前に、この御修法を観に行ったが、平安時代にスルリと入り込んだかのような光景が続いて溜息の連続だった。
御修法は観られないものの、道場である灌頂院に入場される各総本山山主の列が素晴らしい。
詳しい名称は分からないが、露払い役の僧侶、山主の法衣が入っているであろうと思われる箱を捧げ持つ僧侶、山主、山主に朱塗りの傘を差しかける僧侶、その他数名の随行僧侶がひとつの総本山の列で、それが15総本山分の15列が延々と続く。
随行の僧侶達はみな紙製マスクみたいなもので目から下を覆っており、その姿がこれから厳かな修法に臨むぞとでも言いた気な凛とした空気を振りまく。

そして、開白(かいはく。初日のこと)には、宮内庁より天皇の御衣を携えた勅使がやって来る。
御衣は菊のご紋入りの唐櫃に納められてから灌頂院道場に運ばれ道場内の壇上に安置され、玉泰安穏の加持を受けるのだ。

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↑勅使の北所長(宮内庁京都事務所長)から御衣を預かる阿部大阿闍梨

御修法について簡単に箇条書きすると、
・玉泰安穏・鎮護国家・五穀豊穣を祈願する。
・御修法は、両界(曼荼羅)の金剛界と胎蔵界とを隔年毎に
  主本尊とする。
・御修法に使うものは、
    両界曼荼羅
    真言密教の神々(五大尊・十二天)を描いた仏画
    密教法具
   ※ 例えば、両界曼荼羅は9世紀末のもので、密教法具の中
  には唐時代のものもある。
・三密加持
    身(しん)・・手に印を結ぶ
    口(く)・・口で真言・陀羅尼(だらに)を唱える
    意(い)・・心に仏の姿を観想する。
観想の行き着く先は行者と仏の合一達成で、その時行者は即身成仏する。
つまり、宇宙の全ての仏を降ろして国家の安泰を祈るのだ。
これぞ密教中の密教!
秘法中の秘法!

実際、ご祈祷が終った後の道場に案内されると、院内は護摩火や香木を焚いた匂いで満ちており、薄暗い中で毘沙門天の瞳が怪しく光っていた。

平成も20年を過ぎた現在、3年周期でどんどん様変わりして行く世の中にあって、未だ鎮護国家の加持祈祷を行っていようなどと知っている人は少なかろうと思う。
土台、祈祷で国を守ろう・保とうって発想が皆無だろうなぁ・・・アレは高度医療や核兵器がなかった時代の話、と思ってるよねぇ。

しかし、どんなに時代が変わっても、頑としてあり続けるのだよ。

で、冒頭に戻るが、
御修法は、真言宗各派総本山(または大本山)の山主ら15人が出仕し、その中の最高位の大阿闍梨は毎年の順番制になっている。
で、今年は智山派総本山智積院の化主さまが当番だったわけだ。
15年に一度だよ、オリンピック周期も干支も超えた長いスパン・・・次は15年後、カメ還暦寸前の歳じゃないか。嗚呼!


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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
えー、御修法の始まりは、空海さんが亡くなられた... (ナムナム)
2009-01-19 01:19:26
えー、御修法の始まりは、空海さんが亡くなられた・・いや御入定された年ですから承和2年(835)ではなかったか、と。
1月に修され、その直後、春弥生に亡くなられ・・いや、御入定されたのではなかったか、と記憶しております。
ちなみに、輪番も、必ずしも15年に一度ではないようです。派によっては力が無くて御修法をできないところもあるからだとか・・?
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このブログを書くに当たって参考にしたのが、11年... (カメ)
2009-01-19 14:27:21
このブログを書くに当たって参考にしたのが、11年前の御修法の時に配布された印刷物(by教王護国寺)でして、そこには

【(略)もともとは唐の不空三蔵が皇帝のために行われた例にならい、我が国でも真言宗の開祖弘法大師が承和元年(824)正月八日より十四日までの七日間宮中において行われたのが最初です。これ以降、承和二年(835)より毎年の恒例行事とされ、特に承和元年と翌二年の二ヵ年は、弘法大師御自身が大阿闍梨となって修法されました。】

とありまして、承和元年の824年はミスプリですね。
なので、ブログ本文の西暦も直しました。ご指摘、サンキュです。

・・・で、承和元年、二年、それから先ずっと・・になる御修法ですが、「始まり」が元年なのか二年なのかが新たに湧いた疑問です。
ワタクシは元年が始まりであると受け取ってブログに書いたのですが、よくよく考えてみれば元年が始まりであるなら、わざわざ元年、二年と並べて記述することもないのではないか・・と。

その辺のところはどう思われますか?
何を持って始まりなのか・・・と。もしかして、元年の修法は「プレ的」なものだったのかな?

必ずしも15年に1度ではないのですねぇ・・・。思えば、一山一寺みたいな派もありますものねぇ。
道場のある東寺派も懐事情は苦しいと聞いております。
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えー、今年御修法で頂いたパンフには (ナムナム)
2009-01-19 16:42:09
えー、今年御修法で頂いたパンフには
「もともとは唐の不空三蔵が皇帝のために始めた例にならい、わが国でも真言宗の開祖・弘法大師さまが大阿闍梨となって、承和2年(835)の正月八日から十四日まで七日間~」となっております。
間違ってたんで直したんでしょうね。
昔の文献には結構あやふやなものもありますので、そういう記述もあったのかも知れません。直したものが統一見解ということでしょう。
ちなみに「御修法」は、天台宗にもありまして、根本中堂にて四月四日から修されます。同様に御衣を加持するものです。
こちらの起源は弘仁十四年(823)ですから真言宗より早いことになります。
最澄さんが亡くなられた翌年ですね。
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ムムッ?なんどすて? (カメ)
2009-01-19 23:14:32
ムムッ?なんどすて?
「今年頂いたパンフ」とな?

行かれたのですか~!
智山派お当番の御修法に!

良いな、良いな、良いな~~~っ。

・・・とは申せ、阿部化主さまって全く分からないのですがね。

ナムナムさんが仰るように、間違えを訂正したり見直したのでしょうね。何せ、ワタクシが持っているパンフは11年前のものですから。

ところで、天台宗でも御修法が執り行われているのですね。真言宗と同様に脈々とでしょうか?
叡山で厳修される御修法も素晴らしいでしょうねぇ、さぞかし。
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はい、言って参りました。宮坂能化に続いて二度目... (ナムナム)
2009-01-19 23:51:16
はい、言って参りました。宮坂能化に続いて二度目です。私も阿部能化さんはよく知りません。
今年は結構天気が荒れたらしいです。本来、雨が降ってはいけない・・ものだったりしますが・・・。
本来「天気だってどうにかなる」ってもんですからね。御大師様の降雨の祈祷とかね、ありますから。
真言宗の御修法の始まりですが、Wikipediaには承和元年からとありますから、そういう記述の物もあるのかも知れません。
天台宗の御修法は、延暦寺創建以来、桓武天皇の御願によって、最澄さんが毎日、天下泰平・万民豊楽を祈り続けたのを御修法と言ったとか。国家の大事や特別の異変が起こったときに宮中で行ったようです。もともとは。
それを、桓武天皇の招請により、弘仁14年から、定期的に宮中で護国利民の祈祷をするようになったということでしょうか。
真言と同様に、明治維新後廃止され、大正10年から復活の勅許を得たらしいです。
ですから、もともと天台宗が始めたものだったのかもしれませんね。
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宮坂化主の時に行きたかった・・・それよりも宮坂... (カメ)
2009-01-20 10:36:23
宮坂化主の時に行きたかった・・・それよりも宮坂化主導師で得度したかったですね。密教研究第一のバリバリの学者なせいか本山での生活も質素で淡々としたものだったらしいです。その点、現化主さんは俗物っぽいところが多々見受けられるとか(だから今年の御修法は天気が荒れたのか?笑)・・・ちょいと耳にした話ですが。

ところで、愛用の「日本仏教史辞典」で後七日御修法を引いてみると真言のやり方だけが紹介されています。で、ちょっと天台サイトをのぞいてみると、4月4日から1週間に渡って行われるそうですね。あくまで年中行事のひとつと言った感じで、厳格や秘密裏などの雰囲気は感じられませぬ。

その「仏教史辞典」にも、御修法の始まりが承和元年で、翌二年から継続されたと記述されています。なので、元年に実験的(?)に行い、それを様式化して翌二年から本格スタートし、その様式が脈々と伝わったってことでしょうかね?・・ま、あまり細かい話を突付いても何ですが。

ところで、真言と天台の決定的な違いがあるとすれば、それは何でしょう?
「理趣経」・・・?
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承和元年には天台宗で既に宮中の御修法をやってい... (ナムナム)
2009-01-21 20:36:52
承和元年には天台宗で既に宮中の御修法をやっていたことになりますから「真言でもやれ」と言われたのか「やらせて」と言ったのか分かりませんが「継続」始まりは承和2年、ということでしょうか?よく分かりませんね。

ところで、真言と天台の違いという大きな問題ですが、真言宗は空海さんが極められた密教の完成型として「それのみ」ですが、天台宗は法華一乗といっても、それの中に密教も取り込もうとしたくらい、良く言えば融合的な面を持っていると、真言僧としては思います。
顕教(密教から観れば密教以前の教義)というのは、密教から観た言い方で、大乗に対しての小乗みたいなものかと。
顕教は理論的、密教は体感的といえるでしょうか。
真言からみれば、顕教まではお釈迦様の教えで、真言の教義は「大日如来の法身説法」つまり、大日如来が説かれた真実の教え、ということになっています。
これには異論があるかもしれませんが。個人的見解です。

なんだか、ここだけ超専門的になってますが・・・寺庭婦人とはいえ、こんな話しを理解できそうな方は、非常に珍しいと思います。
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天台と真言の違い、なるほどと興味深く読ませて頂... (カメ)
2009-01-22 14:14:13
天台と真言の違い、なるほどと興味深く読ませて頂きました。

今、昨日受講した密教講座に関する記事を書いていたのですが、本来釈迦の教えであるべき仏教なのに、釈迦を超えた存在として御仏(一切如来や大日如来)が登場するのですねぇ、密教は。その辺りが、長い時間を経るうちに経典が一人歩きを始めて行く面白さを感じ、またそう言った部分をまとめ持つ真言密教はアクの強い宗教かな、とも思い始めています。やはり、一般受けするのは天台かも。
しかしながら、顕教と密教を併せ持つなんざ、幾らなんでも欲張りすぎだろ(笑)と思ってしまいますが。素人考えながらも、どうも天台の教えってのは焦点がボケている感じがして好きになれないのですよね。「一隅を照らす」って言葉は好きですが。

ただ、「法華経」は一度ちゃんと読んでみたいと思っています・・理趣経の「煩悩即菩提」ばっかり言ってないで(笑)。

あ、それと「華厳経」の善財童子のところが好きですね~。あれは楽しい。
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カメさんは、下手なボーサンよりも、仏教を勉強し... (ナムナム)
2009-01-22 15:32:01
カメさんは、下手なボーサンよりも、仏教を勉強しようという前向きな姿勢があると思います。
私らのように「仕方なく」勉強してるのとは、なんか、出発点が違うように思えますね。
私らも、カメさんのような気持ちを持たなければイケマセンねえ。
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お褒めの言葉、ありがとうございます。 (カメ)
2009-01-22 22:41:52
お褒めの言葉、ありがとうございます。

・・が、しかしですね、義父とツレアイはこんな自分を面白がっている様子ですが、義母は「そんなことより和裁や華道をやって欲しい」と苦々しく思っている様子。

フフン!そんなのずぇったいにヤダ!・・と思いながら、義母のことはスルーしております。
ホラ、これからはワークシェアの時代ですから、寺院の裏業務を何もかも嫁がやるのはナンセンス、分業しないとね。(爆)
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