民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

初めて目にした道祖神

2016-07-01 14:59:27 | 民俗学

長野県民俗の会で、「長野県道祖神一覧」を作ることになり、担当者がいなくなってしまった東信地方を私が担当しています。図書館にしか該当地域の石造文化財資料がないので、上田と佐久の図書館へ週1位に通っています。といっても、同時にとはいきませんので、佐久の図書館へは1度行って資料の所在を確認しただけで、当面は上田の図書館に通っています。上田・佐久の石造文化財資料は、岡村知彦さんという方が独力で全地域の悉皆調査をして私家版として資料集を作成し、図書館に納めてくれてありますので、その資料を見ながら道祖神をピックアップしているのです。今まで、東信の道祖神を詳しくあたったことがなかったので、資料を見ながら新しく知ることがいくつもありました。

松本で道祖神といえば、双体像が刻まれて辻や村の中央に置かれたものがイメージされます。松本、安曇地区では道祖神をアイテムとして観光的にPRしてきましたし、今もしているので、道祖神=安曇野・松本周辺と他所の県の人々はイメージされると思います。そればかりか、イメージ戦略だとわかっているくせに、松本に住んでいる者からして特定の道祖神のイメージに染まってしまっていました。東信の道祖神の資料にあたってみて、そのことに気づきました。まず第一に、双体道祖神は安曇野の専売でなく、東信の道祖神にも多いのです。というより、文字碑よりも圧倒的に多いのです。ただ、東信の場合石質がもろく彫りも浅いため、大部分が摩耗してしまっています。だから、美的に取り上げられることが少ないと思います。次に、文字碑あるいは双体像の道祖神の周辺に、50センチ前後の自然石の道祖神の集積がみられることを、今回初めて知りました。自然石の道祖神と書きましたが、それを何と呼び神と考えていたかどうかは、自分で調査してみないとはっきりはわかりません。岡村さんは、いわゆる道祖神の周囲にあるので自然石の道祖神と判断されたのかもしれません。自然石の集積が何か所もみられることが気になりますし、近くに道祖神のない処に陽石(男根石)が、道祖神とは分類されずにあったりもします。いわゆる道祖神の近くに、道祖神として陽石が集積されている場合もあります。これは松本・安曇野ではあまり目にしたことのない資料です。洗練された道祖神よりも、歴史的にはずっと遡りそうな気がします。そして、単体道祖神像というものも、数は少ないですが見られます。道祖神だから双体というのはある時代の固定概念であることを思い知らされます。倉石先生にいわせれば、自然石の道祖神と双体像の道祖神と、神に2つの流れを考えてもよくないかともいいます。

現地で確認していないので何ともいえませんが、何本もの自然石がまとまって立っている姿は、縄文時代の列石を思わせるものです。図書館通いで資料の整理が終わったら、現地を訪ねてみようと思います。


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