昭和55年7月22日、熊ノ平信号場で撮った写真。
熊ノ平殉難碑(母子像)です。
昭和25年6月9日、朝、熊ノ平駅構内で大規模な土砂崩壊が発生、前夜、発生した土砂崩壊の復旧作業をしていた作業員、官舎を呑みこみ、熊ノ平駅長、変電区長はじめ50名が犠牲になりました。犠牲者には、官舎に住む乳飲み子や母親もいました。
母子像は、高崎市の分部順治氏渾身の作で、翌26年6月、一周忌法要で序幕式が行われました。
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