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流出雑記 

2014/7/25

2014年07月25日 | Weblog

今月のはじめに妹の産んだまだ肺呼吸をはじめて17日目の人は、母乳を吸うための顔の筋肉が発達したのか輪郭がちょっとシャープになり、目も大きく開くようになってきた。妹はどんどん母乳を作ることができるようになり、その量は日々増えて出産直後は滲む程度だったのが今は湧いて出る感じになって、副乳まで張っているらしい。牛みたいと妹は言う。

その子はとても好ましいにおいを持っていて、近くにいると安心する。初めて病院で見た産まれて半日くらいのときは、まだしなかった人の肌のにおいがするようになった。頭から妹と同じにおいがしている。

まだ自分がどんな姿をしているのか知らないんだと思いながらうごめいている姿を見ている。目はまだぼやけて、こっちを見ているようなときも、髪の毛の色が濃いことくらいは識別できる程度にしか見えていないそうで、自分に接する生き物の形状も、自分がいる場所がどんなふうなのかもわからないのでは、お腹がすいているとかおむつが気持ち悪いとかの欲求以外に泣く理由も大いにあるだろう。

触れてくる者を全面的に受け入れるという状態にまず置かれるところから生き物は生き始めることを改めて知る。それ以外にどうしようもないとは言っても、それはあり方として30年ばかり生きてきた地点から見ればいきなり難易度が高いし、過酷だと思える。でもそれが当然のはじまりだった。体はものすごく投げ出されている。生きることは身を投げる姿勢から始まるのだと。

覚えていないけれど自分も経てきた過程を、もう生きなおすことは出来ないけれど、なぜこんなに新生児を見ていたくなるのかは掛け値なしの可愛さもありながら、この世界に投げ込まれたばかりのまだ何も身に付けていない人を見ていたいからだった。


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