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流出雑記 

2012年05月17日 | Weblog

少し前の話になるが、ゴールデンウィーク中、家族総出で実家を片付けた。

私や妹の使っていた学習机やら二段ベッド、もう使わなくなったけれど取り急ぎ処分する必要のない家具及び押入れの中のその他諸々はそれぞれが実家を出たあと取り残されたままになっていた。片付けるとなると大仕事になるので、家を売るとか建て替えるとか必然的にやらねばならない日が来るまで保留となっていたのだが、その日は案外はやく訪れた。

このほど真ん中の妹が結婚することになり、実家に住むと言い出したのだ。

嫁の父と同居でも構わないのかと彼に聞くと、早くに父親を亡くしている彼は父がいる生活をしてみたいと言ってくれた。父も気ままなひとり暮らしをしつつも時々一緒に食事をしたときは、久々にちゃんとした飯食うた感じするわ、などと言ったりしていた。妹が一緒に暮らすようになることで一番ほっとしているのは母。母が実家にいた頃は家事を一切しない父であった。母が長く専業主婦だったのでする必要がなかったとも言える。諸事情あって自力でやるしかなくなってからはどうにか衣食住を整える能力を身につけていた。野菜の値段も知らない人だったのに先日一緒に食事をしたとき、私が台所でブロッコリーを切っていると、茎のところは食べられるんかと聞くので、下の方の硬そうなとこはよけて短冊みたいに切ったら食べられるよと言ったら、こないだ捨ててしもたと悔しがっていた。ブロッコリーの原型すら知らないまま生きていく可能性のあった父が自ら料理しようと挑戦していたなど娘としては感動に値する出来事であった。

家はきちんと住んで手入れしないと痛み荒んでいく。祖母が毎朝掃除していた家、手入れされた庭を知っていれば尚更、荒廃していく家を思うとずっと気がかりではあった。それは母も同じくそう思っていたが、今はそれぞれ自分の家と生活があり、そこまでは手が回らないままに月日は流れていた。だからきちんと住まれ、また家に風が通ることはうれしいことで、妹が帰ってくるということを快諾した父にとってもそのようだった。普段掃除にまめでない父も率先して片付け、自らフローリングにワックス掛けまでしている。仕事柄妹の彼は手際が良い。ちゃんとカッターナイフを携帯して、特に段ボールをかさ張らないよう片付ける畳み方が秀逸。妹はしばらく姿が見えないと思ったら、庭の池にボーフラがいっぱいわいていたのを柄杓ですくってやっつけていたそうで、要するにサボっていた。母はカーテンを洗って干したり、皆の気がつかないようなところの面倒な片付けをしていた。

小学校から大学生の途中まで使っていた学習机の引き出しに残され手紙、写真、プリクラがひしめく手帳、思ったことを書き留めていた直視に耐えないノート類。目をそらしつつ目を通す。デミアンの読書感想文、鬱々としながら描いた大学受験前のどうしようもない絵と絵コンテ、創作ノート。大学の頃使っていた携帯が出てきた。充電してみるとまだ生きていて、メールもそのまま残っていたのには驚いた。 やりとりを見ているとそのとき何を思ったかこれも意外な程鮮明に思い出される。どうしても置いておきたいものだけ最小限にまとめて、あとはすべて処分。これで不慮の事故の際にも心置きなく旅立てよう。1tトラック2台分、京都市のゴミ袋数十袋の山。どうしてもこんなにものを溜め込んだのかと思う。でも過去には宝物だったものも、お気に入りの洋服もあった。これからはできるだけ身軽に生きたい。ものが無くなった部屋にはからからと声がよく反響していた。

いちばん下の妹は今回の片付けに参加できなかったが、晩に帰ってきて皆におごると寿司をとってくれた。10人前とったという。妹に寿司をおごるまえにおごられてしまうことになる。妹は立派な大人だった。夫も仕事終わりでやってきて10人前の寿司を7人で平らげた。

祖母の桐箪笥を整理していたとき、ハギレに練習で刺した日本刺繍が出てきた。なんとなく捨て辛くて持ち帰ったが、妹が結納で振り袖を着ると聞き、ふと日本刺繍を髪飾りにすることを思いついた。

最近布で出来た髪飾りをよく見るので、それを店で観察し材料を推測。手芸店で接着芯とフェルトとパッチン留め、手芸用ボンドなどを買ってきた。刺繍部分を切り取り裏に接着芯を貼り、フェルトに穴をあけパッチン留めを差し込み貼り合わせるとそれらしくできた。写真をとって妹に送ると気に入ってくれたので結納に間に合うよう手渡した。


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