figromage

流出雑記 

ヴァンダの部屋

2011年01月12日 | Weblog
年末に観たペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』。

ポルトガル、リスボン郊外にあるフォンタイーニャス地区というスラム街。
そこに住む人びとの生活風景を撮った映画。すべてのシーンが固定カメラで撮られていて、最初に決まったアングルからカメラの視線は動かない。1シーン1シーンの切り取りかたは写真のように画面を静止画にして眺めていたいと思わせる美しさを持っていた。
映画のために建て込まれたセットでなく、そこで生きている人たちの、日常のコンポジションであることが私にとってとても美しいと思うところだった。
丹念に切り取られているが、撮る側の作為に覆われることなく、単に貧困と麻薬に溺れる生活が曝け出されているのでもない眼差しの映画。ヒューマニスティックな意味合いではなくて。カメラを向けることが暴力的であったり搾取であったりしない、撮る側と撮られる側に疎通と距離が保たれて、その緊張感が終始維持されている。作品の立ち上がったところは現実でも、この映画はドキュメンタリー映画と呼ばれるものとは違っている。
現実を現実として捉えつつ、でもその内容だけに依らず、映画として観るものを捉える引力をもっている。それは、撮る側と撮られる側の関係性から生まれているのではないだろうか。撮られる側にカメラを前にした時の強張りはないが、映画に必要な緊張感は維持されている。撮る側にも遠慮や妥協を感じない。カメラを向ける以前に血の通った交流がなければこういうものは作れないと思う。

再開発が迫る騒音の街で生きている人たち。カメラに語りかけるのでなく、そこにカメラはないもののように、室内のシーンが多く、窓から入る自然光と部屋の暗がりが作るコントラストの強い画面、その中に壁紙やベッドカバーや肌の色が濃い影を帯びて映りこむ。
画面にはいつも暗がりがある。照らして見せるのでなく影から像を彫りおこすような印象。

今まで観たなかでもこれからも記憶に残り続ける映画だと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿