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流出雑記 

姫路大混雑

2011年11月13日 | Weblog

9時起床。晴天。

午後から姫路で仕事。
年に一度くらいしか行かないが、ここが一番うちから遠い仕事場。

交通費だけでも結構するので、チケット屋でJRの昼得を事前に買っておく。仕事をしている時間より移動時間の方が長いし、指名されて行く仕事ではないので別に私でなくても良いのだし、と思いつつ、抜き差しならない我が家の経済状態を省みるに仕事を受ける以外の選択肢はないのだった。

もうすぐ家の更新料を支払わねばならない、などの脅威。

心掛けてはみても貯蓄ということは不可能だ。貯まる程の余裕が無い。
つべこべいう間に働けよ。

京都から新快速で姫路へ。

大阪を過ぎて神戸、明石、天文台、海が見えて来た。

なみなみとした水。

リュウグウノツカイもあの水のなかのどこかにいるのだなと思う。憧れの魚だった。

高校生の頃、課題で海の生き物を作るというのがあって、迷わずリュウグウノツカイを選んだ。どんな素材を使っても良く、ホームセンターで薄いアルミ板を買って来て、それをあんな感じの幅になるように二つ折りにして、頭だけはアルミ板で別に作って接着した。胴体には2色の青いスパンコールを散りばめ、アクリル板を半円に切ったものを背びれに見立てて並べて付け、頭の触覚のようなのは、アクリルのしなる棒を付けた。

深海魚だが、時々浮上して来て網にかかったり、死骸が打ち上げられていたりする。飼育は難しいので水族館では飼えないらしい。一度どこかの水族館で剥製を見たことがあった。でもホルマリン漬けの体は白濁していて、名前に相応しい神々しさを見ることは出来なかった。やっぱり生きてないと。

水族館。しばらく行ってないが海遊館の大水槽に投げ込まれたら発狂するなと行く度思う。ジンベイザメやエイ、その他大小様々な魚たちの、あの密度のなかで正気を保てる自信がない。海の藻屑と化すしかない。

リュウグウノツカイは最大で10mにもなるというが、私が作ったのはせいぜい2mだった。そいつは実家の3階の物置の場所をとりつつ今もいる、ということを思い出し、物置に置き去ってきたもう必要でない色んなもの、押し入れの箱の中ですし詰め状態で眠る髪をおかっぱに切ったジェニーちゃん、プラスチックの野菜と果物、シルバニアファミリーの森のレストランのこまごました食器のことなどを思い出し、それらの存在、物量の圧を座席で黙々と感じているうちに姫路に着く。

駅前は改装中で以前と様子が違う上にえらくごったがえしていた。日曜日ではあるが、なんだろうか。観光にしては若者が多いし何かコンサートか、姫路城ブームで人が殺到、なんてことがあるのだろうか。

B−1と書かれた紙があちこちに張ってある。何のことか最初はわからなかったが、B級グルメグランプリという催しがやっていたのだった。それにこんなに人が集まるということに驚く。

駅からしばらく歩いてデッサン会を主催している画材屋で自転車を借りる。少し離れたところにある美術教室までその自転車で行くことになっている。ペダルを漕ぐ度に軋み、誰かに恨みを買ったのかと思う程ボコボコのカゴが付いているどうしようもない自転車で商店街をぬける。この商店街のなかには姫路に来る唯一の楽しみであるたいやき屋がある。1匹30分かけて焼いておりますと書いていある、皮が薄くて香ばしいたいやき。が、そのたいやき屋にもどうやらB−1客の列が出来ている。それで行きしなに買うことは出来ず、帰りにかけた。

仕事場は暖房を入れてもらっても肌寒かった。はやくあつあつのたいやきが食べたいと終始思い続け3時間過ぎた。

終わったのが5時だったので、さすがに列は引けていた。2、3人並んでいたが、すぐに買えそうだったので、しばらく待って念願はたす。

帰りのJRはおそらく混んでいるだろうと予想していたが、混んでいるうえに人身事故で遅れが出ているアナウンスと雑踏で予想以上だった。駅前で倒れた青年が4人の警官に囲まれていた。青年は完全にハイな状態だった。

帰りの電車は途中から座れたが、京都まではやはり遠かった。うとうとしていて、着いたと思い、慌てて立ったらまだ高槻だったり。

帰宅して速攻で白味噌うどん。具は白しめじと厚揚げ。その後、思い立ってスイートポテトを焼いた。

B−1グランプリの覇者はひるぜん焼きそばだったそう。


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