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流出雑記 

『庭みたいなもの』伊丹跡

2011年09月13日 | Weblog
11日『庭みたいなもの』無事楽日を迎える。

終演後、今回かなり大掛かりだった美術は手際よくばらされてゆき、数時間後に全ての木材とモノたちは運び出され、元の格子模様に戻ったアイホールの床を眺めながら思った。庭みたいなものという作品を経た体にはどんな模様、凹凸が残っているだろうかと。それで手探りするようにこれを書き始めた。

モノから導きだされる言葉や動き、それを他者に伝える、あるいは受け取る。各シーンは出演者同士のそのようなやりとりから作られている。伝える方は「送信者」受けとる方は「受信者」と呼ばれていた。
その辺に落ちてるモノを、言葉と身体で梱包するような作業だ、というふうに稽古場ではよく言われた。
モノについて語るとは、まず基本はその対象について本来の名称や用途を説明するというより、形状、質感、においなど五感でモノを捉えなおすようなやり方になる。表面につやのある木を触ればすべすべする、サビついたもの触ればざらざらする、などというふうに。それをやっているうちにそこからもう少し変形してくる。変形の仕方はモノや送信者、受信者によりほんとうに様々。
当然ながらモノを説明する人によってモノの捉え方は異なり、古い鞄を開いたときにその中のにおいを臭いと言う人もいれば、別の人が同じことをすると、カビのにおい、押入れのにおい、というような言葉にもなりうるし、開いた鞄の金具に意識がいく場合もある。

80分の作品のほぼすべてのシーンは、演出、編集は入っているにせよ、パフォーマーたちから導き出された言葉や動きで構成されている。
そのためにモノに対する感受のし方の違い、出演者7人の違いが作品にまともに響く、ということがあり、私が耳にした感想には賛否両論あったが、賛の方にはパフォーマーがそれぞれに面白かった、味わい深かったと言う感想を多くいただいた。その要因のひとつは、そういった演出方法がとられたためであり、それは作品を豊かにする要因でもあったと思う。

しかし同時に気になっていることもある。殊自分に対して思う。
もっとモノを私見を差し挟まずに捉えることは出来なかったのか、ということ。
個々の体という場所で知覚するということは、それまで経てきたことがモノの捉え方とそれを伝える動きや言葉の選択に否応なく関与する。そこに固有性が浮かび上がってくる。それは自然なことであり、その差異が作品のおもしろさにつながったところは今回の公演においてはあったと言える。
しかし私は私に対してそれを丸々良しと思えないところがある。

にも関わらず作品中の自分の動きや言葉を省みたとき、「私」の主語の強さ、私がしている、私が考えている、私が思い出している、といった「私」への執着を私自身端々にべったりと感じる。

例えばモノに触れたとき、それが大きなものであったなら、私はその形状や質感を説明する前に、それを目の前にした時に動悸している心臓が気になってしまう。だから「とても大きい」とか「がっちりしている」と言うより先に心臓の動悸を言葉にして出てしまう。これは何もモノについて語っている言葉ではなく、モノに出くわした私の感想でしかないので反則である。にも関わらずそれが採用されているということは、作品の懐の深さだろうか。
その他モノを持ち上げたときの重さや軽さ、体重をかけられるものならその上に乗ってできる体勢が私にとってのモノの捉え方、説明であったりする。体感が関与していないと気が済まないところがある。
そうではなく、モノの表層を捉えることもできたし、稽古の段階でそれを試みなかった訳ではない。
しかし最終的に私は自分の信条とこれまで経て来た方法を採用していはしなかったか。それをやってしまうということが作品において良かったのかどうか、この作品のために開拓すべき体が私にとってまだあるのではないかと思うのである。

舞台に立つとき、その体はアノニマスな存在であるべきだと思っている。それを志向しながらも、実際には私見に依っている私。
何を危惧しているかといえば、個々の感性に依ったものを観客が見るとき、パフォーマーの個性や面白み以上に、行為する体から何を見出すことが出来るだろうかということである。
そこにある体に何かが見出されない限り、映り込まない限り、表現とは自己の充足の粋にまだ留まっているのではないか。
今、ここで、起こっていること、場に対してひらかれてあるということ、そこに立ち合う他者が存在し、そのような場に体を据える者の立ち方というもの。そのことを足元からもう一度検証してみる必要を感じている。

伊丹での初演を終えてから一週間、そんなようなことを日々考えていた。
来週は神奈川芸術劇場 KAATでの公演。その間にどのような発見をすることができるだろう。
最低限の荷物と余白をもった体を連れて明日横浜へ向かう。

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