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流出雑記 

2015/6/9

2015年06月09日 | Weblog
梅雨入り。あじさいが映える。
強い陽射しの下のあじさいは気の毒に見える。
雨は夜の間に強く降って朝には上がっていた。
書けるかどうかと思って書きはじめた小説がとりあえずの目標に設定していた80枚に達しようとしている。
文体というものについて考えていた。文に体って字があてられていることに。文章にも体があるのかと。何かものを書くときに、文字、記号を組み合わせ、つなぎあわせて文章を構成するけれど、この作業をするときにもちろん手を腕を目を脳を使わないではいられない。関与している体によって文の体の作り方は変わる。自分の文体がどういうものになるのか知りたくなった。
それには出来るだけ長いものを書いてみる必要がある。例えばツイッターの言葉はクロッキー的だし、ブログの言葉はもう少しデッサンに近づくけれど、油絵みたいに塗り重ねるものではない。学生であったときに原稿用紙数十枚のレポートは書いたけれど、それより長いものを自発的に書いたことはなかった。
でも書き始める前はそんなに書くことがあるだろうかと思っていた。
やってみると言葉と言葉のあいだに新しい言葉が見つかる。ひとつ置いた言葉のあいだにさらに分け入れる隙があり、そうやって言葉がどんどん割れていく感じ。この言葉に代表されていることにはもっと細かく言うことのできる要素がある、というのが見えてくる。そうやって80枚くらいになった。
ただこれがおもしろいのかどうか、読みものとして箸にも棒にもかからない可能性もある。でもとにかく今はこれを仕上げてみたい。

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