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流出雑記 

鯖の旅3

2012年04月26日 | Weblog

福井に戻り、弟も仕事から帰ってきて父、母と店から歩いてすぐのところにある「のぎく」という山菜料理屋に連れて行ってもらう。
夫婦で切り盛りされているこじんまりとした店だが、通された座敷には炉が切ってあり、真ん中で炭が静かにいこってその周りを串に刺さったアマゴが取り囲んでいる。

少しずつ小皿に盛られて出される山菜料理を味わった。フキに似ているけどフキではないフキノトウの茎、フキノトウ味噌、イタドリ、甘辛く炒り付けたツクシはご飯がほしくなる、ワラビ、コゴミ、たらの芽、ゼンマイ、コシアブラ?だったか、あとは忘れた。山菜はご主人と女将さんふたりで山に摘みに行くのだそうで、採れたものを料理して出されている。
めずらしかったのは椿。花のかたちのまま丸ごと天ぷら。揚げられても損なわれずピンク色。花芯の黄色いところには少し苦味があり、花びらは意外にもちもちしていた。女将さんにどんな品種の椿でも食べられるのですかと聞いてみると、うちで出すのは藪椿やけど何でも大丈夫です、ということだった。だったらツツジなんかもいけそうだ。毒があるか硬いか余程クセの強いものでない限り、草花は天ぷらにすると大概おいしいのではないか。

学生の頃下宿先のアパートの植え込みにユキノシタという草が生えていた。ある日それは食べられると知り茹でておひたしにして食べてみた。それ以降やらなかったのであまりおいしく出来なかったのだと思う。アパートには三つ葉も生えていて、こっちは刻んで卵焼きに入れたり、土用に奮発してうなぎを買うときは添えたりした。ほんとうはハコベをごま和えにしてみたり、ヒルガオの葉をそのまま食べられると確か本でみた、と思って食べてみて、もう一度本を見返すと生で食べられるのはヒルガオの花だったり、果敢に草に挑んでいた時期があった。

来たばかりのときはまだ表面のてらてらしていたアマゴは徐々に焼き目がつきこうばしいにおいを放ちはじめる。早く齧りつきたいが勝手に手を出すと怒られるかな、と皆で耐えていた。
女将さんがやってきてアマゴに手をのばす度、おおついにと思ったが、あー、もうちょっとかなと方向を変えてさらに炙られること数回。火が弱かったらしく途中炭を足して2時間近くアマゴは炙られっぱなしだった。その甲斐あってか、骨まで食べられるくらいよく焼けていた。
ご主人の打った色黒の越前蕎麦はこの山菜コースのしめに相応しく、デザートの苺にもスミレが添えられた最後まで抜かりない贅沢な夕食だった。

ライトアップされた実家の庭の枝垂れ桜に出迎えられる。
実家にはボーダーコリーが5匹いて、2匹は親であとはその子供たち。6年前、はじめてこの家に来たとき子犬たちはまだぬいぐるみのようで抱くことが出来る大きさだった。今はもうどの子が親でどの子が子供かぱっと見ただけではわからない。父犬の武蔵は歳のせいもあって体調が良くないそうで、確かに以前の雄々しさから思うと痩せている。義母は心配でこのところ武蔵の傍で、ソファで眠る日々だと言っていた。

お土産に持ってきたタルトは割れてはなかったが、切り損じて耳を崩し、崩れたのは私と夫で処理。
武蔵は甘いものが好きらしく、タルトを欲しそうに近付いてくる。耳のところをあげるとさくさく食べた。義父もタルトをよろこんでくれた。

次の日も平日なので皆早めに休んだ。

見た夢。どういう理由でか、どこかの企業のビル内にいてマシンガンで人を殺してしまった。居合わせた人に見られてしまったので、見た人も撃ち、音や異変に気づいてそのフロアにやってきた人を次々撃つはめになった。撃って倒れても死んでいるかどうか不安で倒れているところをさらに撃った。ライフルも落ちていたので遠くの人をそれで撃ったがマシンガンのダダダダダというリズムに安心感があった。結局18人も殺してしまった。捕まったら確実に死刑だなと思い、その場を逃げることにした。銃には素手で触っていたし、暴れ回って足跡だの髪の毛だの残っているだろうし痕跡を消すことは無理なので逃げるしかない。逃げながらとてつもなく後悔していた。生きている限り逃げ続けなければいけない、逃げ延びてもやってしまったことからはどう足掻いても逃れられない、もう今までみたいに呑気にスーパーで買い物なんてできないし日のあたるところを歩けない、捕まれば独房でいつ吊るされるかわからない一生を過ごすことになる、これは文字通り一生を棒に振ってしまったと。街頭のテレビでは乱射事件と大騒ぎになって、死んでいるのか不安で何発も撃ったことを残忍極まりないと報道している。そんなつもりはないのにと思いながら走った。こういう夢のときは途中で夢だと気づくことが多いのに、妙に現実感を伴っていて、目が覚めたときも後悔の念が脳裏に残っていた。

 

あまり遅くならないうちに京都に戻る予定だったので、昼過ぎに実家を出た。

福井の回転寿しは安いところでもおいしいという夫の主張を確かめに行った。その主張に間違いはなかった。

1車線でトラックの多い国道より走りやすいと教えてもらった県道を走り、途中から来た道を戻る旅。帰り道となると眠気に拍車がかかる。落ちそうで気が散るとショルダーバックで胴をくくり付けられた。徐々に日が暮れる。いちばん山深いところを日が沈む前に通過でき、アスファルトは濡れていたが雨にあわなかったことは幸い。7時半頃、大原を抜けて八瀬を下りいつもの北白川に戻ってきた。

また蕎麦が食べたくなり、旅の最後の夕食はホームの一乗寺の蕎麦屋そば鶴で夫あんかけ蕎麦大、私おかめ蕎麦。

丸一日半留守番の小梅は帰るとものすごく話しかけてくる。ふたつ用意して置いたトイレを大と小に分けて使っていた。モンプチのテリーヌを差し上げる。アマゴを焼いているときも小梅がいたら灰の中に飛び込むよと話していた。回転寿しのネタを見ながら小梅のことを思い出す。連れていけたらいいのにそれは本人にとっては拷問でしかないと思うといつもちょっとさみしいのだった。


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