テーマとして扱っている体(音声)、純粋に素材としての自身の体(イメージを体現する体)、素材でありながら作り手でもある自身の体(行われていることを見ている体)。waltwoという作品のなかにはそういう3段階構造の体のあり方があった。それを明確化すればおそらくそれぞれどうあるべきかがはっきりしたはずで、この作品のなかでやりきれなかったことはそういう部分。見せたいものをクリアに提示する方法をもう一歩詰めなければならなかったとやり終えてようやくわかる。
蔦のように絡まりついている体という観念。この作品のことに関わらずよくも悪くもいつもそこから発動する。それ以外の方法を知らない。でもそこから出てみたいと思った。体からは出られないけど。