2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

ブログ「備忘録2022」移転のお知らせ

2022年09月19日 | ひとりごと

ブログ「備忘録2022」は下記に移転します。

備忘録 https://saab0204.com

まだ半完成の状態ですが、概ね運用可能な基本的な枠組みができましたので運用しながら完成形を目指します。gooブログには2006年5月から長きにわたりお世話になりました。

今後もサイトは閉鎖しないで維持していく方針です。過去記事はこちらからご参照いただけます。

今後とも宜しくお願い致します。

 


一時休止します

2022年08月24日 | ひとりごと

長らく断続的に続けてきたこのブログですが一時休止します。

更新せずにいるのもだらしなさそうです。

さして健康上の理由があるわけでもありません。

ブログを始めSNSの世界も様変わりしてきました。

多少、仕事のPRを兼ねていた時期もありました。

遠方の友人との接点でもありました。

素直に言えば外部に発信すべき情報を持ち得なくなりつつあります。

とはいえまだまだしぶとく生きながらえるつもりです。

またの機会に投稿します。

暫時休憩!

 


たぬき亭、高橋廣美さん逝く

2022年06月13日 | 訃報

30年から建築設計に携わり多くの建築に立ち会ってきたが「たぬき亭」の仕事は記憶に深く残るものの一つだ。

https://www.tanukitei.com/

急なお知らせ、本当に驚きともに悲しみが湧き上がってまいります。2002年に前橋の初日総本店の昨年亡くなった鈴木社長のお引き合わせでお目にかかって以来長いご厚情を賜りましたことに改めて感謝の年でいっぱいです。
仕事を離れても、なぜか仕事に行き詰まったときに元気が欲しくて丸子のご自宅を訪問していたような気がします。同じ経営者として背中を押してほしい、そのような気持ちからでした。

奥様にも大変良くしていただきました。いつもご夫婦仲良く応対していただき、ありがとうございました。さぞお気き落ちのことと存じますがどうぞご自愛のほどお祈り申し上げます。

飲食店のこと、また趣味の盆栽のお話など時が経つのも忘れて拝聴しておりました。いつかはお別れになるのは世の常とは申せ、コロナ禍騒動がなければもっとお話が聞きたかったと思います。今年の夏にはぜひ伺いたいと思っていた矢先の訃報でした。

 


最後の授業

2022年06月11日 | ひとりごと

最後の授業
小学生の頃だったろうか、国語の教科書に「最後の授業」と言うくだりがあり今でもおぼろげながら覚えている。アルザスのストラスブールを訪ねたときこの場所が改めて独仏国境であることを感じた。

国の支配が変わるたびに言語まで変わる。欧州という地域に沢山の国家が存在し、その数だけ母国語が存在する。いままさにウクライナとロシアの間で国境を巡って戦争が続いているのだが改めて島国と大陸の違いを感じる。
そして言葉へのこだわりがすなわち文化であり国を支えているとも感じる。

最近、外来語を翻訳せずに使われることが多くなった。若者言葉はもはや翻訳機が必要のような有様。
明治期西欧文化を取り入れようとやっ気になっていた時代さえ日本語になんとか翻訳し、現在に至るものも多い。
安易なカタカナ言葉は日本文化の後退現象ではないかと少し心配。


欧米が正義か

2022年06月05日 | ひとりごと

ロシアの暴挙に対して「欧米」が協調してウクライナを支援していることになっている。この「欧米」の正体について最近考えさせられることが多い。

国連が常任理事国の仲間割れで機能不全になっているようだ。第二次世界大戦の戦勝国5カ国が中心となって作られた組織、当然日本、ドイツ、イタリアは敵国条項が当てはめられてきた。敗戦国も国力を持ち替えし、経済力で、つまり金の力で国際政治の舞台に復帰した。このことが国連という組織の根底にあることは忘れないほうが良い。

先の大戦はABCD、すなわちアメリカ、イギリス、中国、オランダによる中国での利権争いから発しした経済封鎖が引き金になった。なんだかそのことと今回のウクライナ侵略には通じるものを感じる。この侵略戦争はユーラシア大陸の西部の国々の利権争いの一つである。

多くの国際的システムはこの西欧+アメリカという国々の都合で出来上がっている。明治維新もまさにこれらの国々との戦いであった。

文化はともかく文明において遅れを取った日本は先進国をまるごと真似ることで肩を並べようとしてきた。そして日露戦争に勝利したことによって肩を並べたと錯覚し、いつの間にか他のアジア諸国に優越感を持つようになり大東亜共栄圏なる発想に至った。

欧米という価値観は絶対的なものなのだろうか。とかく「欧米では」という引き合いが多い。今回の侵略戦争を感じるに「欧米」とはその程度のものだと肝に銘じるべきだ。


ロシア

2022年05月09日 | ひとりごと

昔聞いた「・・ロシヤ、野蛮国、クロバトキン・・・」妙なしりとり歌のこの部分だけが蘇る昨今。

終戦時の満州侵入、シベリア抑留、南樺太侵入、などこの国の指導者は全く違う価値観を持っているようだ。

一方、敗戦時に日本の弱体化を計ったGHQによる財閥解体や農地開放、民主化という旗印で一時は社会主義も同居した昭和20年代初期に日本共産党系のうたごえ運動によって広く知られるようになったロシア民謡の数々、は歌声喫茶などとともに今では知っている世代は60歳台以上と思われる。

ロシア革命による亡命者の中には洋菓子や料理など現在に至る文化を持ち込んでくれた人たちもおり、良い意味では繋がりが意外と深い国なのだ。

 

 

 


ブログ始めて16年

2022年05月02日 | ひとりごと
2006年5月6日にmixiにブログを始め、まもなくgooに移転、本日に至る。
その間、facebookやInstagramなどもっと手軽に投稿できる仕組みが広がり、最近ではやや肩身が狭いのかもしれないが、たっぷり文章や画像で社会に某かのメッセージを送り続けている方も多い。

何となくはじめ、そこそこの反応も面白かったし、思わぬ遠方の友人とも繋がって面白かったのだが、社会の第一線から退きつつある身としては今更なにを書いたら良いか思案するところだ。

特に両親の介護という問題に直面し、両親の尊厳を守りつつ日々の記録を公表するのにも抵抗のあるところ。

JIAの役職もほとんど降りメールの本数も極端に減った。
あれほど鬱陶しかったものが来なければこないで寂しさもある。勝手なものだ。

社会との関わりも適度に保っていたいという願望から肩の力を抜いて書き連ねていこうと思う。

ループで名高い清水トンネル

2022年02月13日 | ひとりごと
ループで名高い清水トンネルは上毛かるたの一札。県外の人には馴染みが薄いだろうが群馬県民であれば殆ど知っている。
上越新幹線が開通した今、旅客輸送においてはたんなるローカル線に成り下がってしまったがかつては青森と上野を結んだ「あけぼの」をはじめ「とき」「いなほ」「はくたか」「北陸」など錚々たる優等列車が行き交った路線である。
清水峠越えため水上、石打間は補機が付く山岳路線であったが今は貨物列車が補機なく駆け上っていく。

雪がなかなか里まで降りてこないのでちょっと土合まで雪景色の上越線を撮りに谷川岳は沢までぎっしりと雪を積み上げていた。
2月12日、春の気候に変わる頃、しかしもう少し雪景色を楽しみたい。

70歳を迎える

2022年02月03日 | ひとりごと
昨年の2月3日のブログを顧みる。 この頃は毎日無理やりブログを書き連ねていたがこのころから母の体調が悪化し始めその後の手術や老人ホームや老健施設への入居とブログを書くどころではなくというか外部公開できない内容が多くなり、最近はご無沙汰気味である。

母が帰宅し一段落したところでいよいよ介護生活の方針も定まり、次に自分がこれからどう生きるかを考える時が来た。
未知の分野へいよいよ乗り出す。

015 兵庫県南部地震を反芻して思い出すこと

2022年01月17日 | ひとりごと
阪神淡路大震災の起きた日を思い起こし、自らの存在の小ささを謙虚に受け入れよう。
記憶が薄れていくので過去のブログ記事「備忘録」を振り返る。

兵庫県南部地震
2018年01月17日 | 建    築

今日は兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災の有った日。あの日の朝TVの画像を現実感無く呆然と見つめた。
何が起きているのかさっぱりわからない。TV映像の威力をまざまざと感じてもいた。
人間の尊厳に関わることもふくめ赤裸々に映し出す。
少し落ち着いてきた3月にJIAとして生活再建のための支援の一環として相談業務に群馬在住の会員の一人として現地に向かった。
京都駅前のホテルに前泊し、住吉までしか開通していない神戸線で現地入り。近づくに従って民家の屋根がブルーシートで包まれている。
駅前には仮設WCがならび街に入ると消毒薬の匂いと静寂が出迎えてくれた。生活雑音のない街はこんなにも静かなのか。幹線道路の自動車騒音と破砕作業の騒音だけが響く。
火災も有り焼け野原もあれば壁が圧壊し屋根が地上に横たわる家、大きなマンションの1階が圧壊して、上部がそのまま乗っているものなど、見てはいけないものだらけの光景が広がっていた。その後Eディフェンスの見学などで神戸を訪れたがあっという間に復旧していった。この辺は東北地方との経済力の差を見せつけられるところである。
構造計算の基準は人間が勝手に決めたしきい値である。自然界は気まぐれだ。せめてこの基準くらいは守らなくてはならないだろう。
今の基準は供給側の都合で恣意的に下げられてはいないだろうか。いまだ構造計算を経ずに木造住宅が建てられている。とうとう犠牲者の残された教訓を真摯に受け止めなくてはならないだろう。

兵庫県南部地震
2017年01月17日 | 建    築

研修会のため上京。やはり東京は温かい。1月17日は建築に関わる者にとって極めて重要な日である。
前橋という地方都市とは全く違う様相の大手町。但し想像を超えた大地震が起きたとき、何がおこるのだろう。
22年前、震災後の神戸市東灘区の魚崎を中心にJIAの住民支援活動に参加した。
その時見聞きしたことはまさに想像を絶するものだった。
木造住宅を多く手がける立場として看破出来ないことばかり。その後の設計内容に大きな影響を与えた。
在来軸組工法は一見伝統的な構造のように見えて実際は変形限界を小さく抑えこむ工法であり、接点破壊を防ぐために補強金物が頼りなのだ。更に個室化が進んが現代の住宅では壁量の偏在が著しく、水平剛性の確保が課題になっている。
伝統工法では層間変形角を大きく取り要は倒壊しなければ良い、曲がったら元に戻すという柔軟な思考だが、高気密高断熱の現代の住宅には不向きであるのはやむを得ないところ。昭和56年以前の住宅はこの辺が頭の切り替えだできていなくて、補強金物と水平剛性の不足が不安定要素だ。熊本地震でも近年の改善が有効であったことが報告されている。
既存家屋の耐震化が話題になる。この場合構造補強は基礎から改修が必要となる。
前橋市街地のうち旧利根川右岸の前橋台地上は火山性堆積物が20mに渡って重層しており、杭打ち地業が必要になることも少なくない。
古い住宅の構造補強を杭打地業をしてそれに見合った基礎を作り直して筋交いで水平力の耐震化、床を補強して水平剛性を改善となるとほとんど床、壁、天井をバラバラにする覚悟がいる。糸魚川市の大火災に見るように密集地では一件でも出火すると大惨事となる。
地震は火災を伴う。古い家屋は経済的に余裕のない老人世帯であることが多い。市街地では防火帯をふくめ抜本的な対策が必要ではと当時を思い出す。

兵庫県南部地震
2016年01月17日 | 建    築

口にしても書けない文字「反芻」
今日は21年前に「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」が発生した日。
天災ではあるが多くの人災も引き起こした。
建築に関わるものの責任も多かった。
あの朝の鮮烈な記憶も時間経過とともに薄れてしまう。
やはり反芻して記憶の風化を食い止めなくてはならないと思う。
自然の力の前の無力さ、ただし手をこまねいてばかりいられない。
やはり大破しても人の生命だけは守れるような設計手法を身につけたい。

兵庫県南部地震から20年。
2015年01月17日 | 建    築

あの地震からもう20年、早いものだ。
振り返ってみると自分の建築人生の中間くらいに位置する。
JIA会員として被災者への「建築相談」のため群馬の会員とともに平成7年2月11日、前橋を出発。被害が少なかった京都駅前のホテルに投宿。翌12日JR神戸線の電車で住吉まで進む。
すでに途中は損傷を受けた家屋が並びいよいよ現実のものとなった。
「建築相談」は被災度判定の済んだ住宅のこれからの住み方について相談を受けるという業務だ。ボランティアである。
被災度判定により概ねの判断はできるが注視すると致命的な被害を受けているものも有り、また仕上げが脱落して構造体へのダメージは小さいものも有りといった具合で、それぞれ住人に本当のことを伝えるが辛かった。
魚崎南町という海に近い地区を巡回した。焼失は免れたものの大きな被害を受けている商店街。跡形なく焼け跡となっている商店街。解体作業の音こそ聞こえるが生活のない町は不気味に静まり返っていたのが印象的だ。
消毒薬の匂いが鼻を突く。東灘区役所も電力は復旧したものの水道はまだ開通しておらず水洗便所の使用もままならない。
近くの川までバケツを持って水を汲み汚物を流すという初めての体験もした。
建築の壊れ方はまさに教科書通り、そして木造建築の補強金物の重要性、筋違の危険性などその後の設計に大いに影響を受けた。
特に水平剛性の大切さは従来の壁量計算では評価できないことなどからその後木造建築でも許容応力度法による構造計算の手法の採用につながった。
自然の力の前には人間といえどもあまりにも非力。このことを軽視し、思い上がりが東北地方太平洋沖地震による福島第一原発の損傷事故を引き起こした。多くの犠牲者の方々にはただご冥福を祈ることしか出来ないが、仕事として生命の安全を託されていることを今日改めて思い起こした。

忘れやすいこと。
2014年01月17日 | 建    築

19年前の今日は朝からTVに釘付けだった。信じられないような地震の被害による光景。
少し遅れて3月にまだ住吉までしか走らない電車に乗り長田地区の被災者支援活動に参加。
人気のない街は無音で遠くの幹線道路から自動車の騒音と解体作業を急ぐ破砕機の音だけが聞こえる。
普段の生活の暗騒音が消え消毒薬が鼻につく街角。ずらりと並んだ駅前の公衆トイレ。
初めて目にする光景だった。
あれから大きな地震が3回。東北地方太平洋沖地震は地理的にも近く、かつ原発から放出された汚染物質が群馬の山野にも降り注ぎ、生々しい現実のものとなった。
神戸はその後何回か訪れたが今では地震の痕跡を探すほうが難しいであろう。
関西地区の経済活動の中心部だけに新たな投資も行われたものと考えられる。
一方、東北の回復は遅々としてはかどらないようだ。常磐線、常磐自動車道に至っては全線開通は原発の影響で絶望的である。
またにわかに首都圏の建設需要が高まり、労働力もそちらに引き寄せられていることが指摘されている。
大手の建設会社でさえ受注をためらうほど深刻らしい。さらに東京都心部では2020年オリンピックを見込んでの再開発の進められている。
結果として建設労働人口そのものも東京一極集中が進みそうだ。
そうなると東北地方への建設投資はますます困難になり、原発の解体作業も塩風にさらされてどんどん状況が悪化しているにもかかわらず、工事の遅延が懸念される。
とまあTVなどからの情報をつなぎあわせてため息をつくしかないのか。
経済活動の活性化が東京への一極集中を促し、地方の荒廃を進めるといった構図が一層スピードを上げ限界集落の増加、山から降りてくる猪や鹿、猿に人間との境界線が
押し戻されている群馬。これからどんな社会が待っているのだろう。

兵庫県南部地震から東北地方太平洋沖地震
2012年01月17日 | ひとりごと

兵庫県南部地震から17年たった。それ以降、中越、中越沖、そして昨年の東北地方太平洋沖と何やら地底が騒がしい。さらに東海、東南海等と地震の発生が取りざたされている。
JIAの活動で震災後の神戸市を訪れた。罹災した住宅の復旧についての助言を行った。
東灘区役所から自転車で住宅を回ったのだが、途中市街地から消毒のにおいと音の消えた町の光景の異常さに戸惑った。
人がいないということはこういうことなのか・・
あっけなく1階だけが圧壊しているマンション、隣に寄り掛かっているビル。自然の力の大きさを思い知らされる。
中越、中越沖では群馬県内にも被害が出るほど身近な地震だった。やはりJIAの支援活動に参加した。柏崎にも向かった。
その年の水害に引き続きの災難で二度被災された住人の家に伺う。ボランティアの人たちが立ち入っても安全かどうかを調べる仕事もした。
PTSD状態のかたともお話をした。
そして今回。
あまりにも悲惨だった。やはりJIAの活動で東松島市に赴く。
自衛隊の基地がすぐ目の前の市役所で住宅復興のための相談業務ということだったがまだ現地はそれどころではなく、行方不明者の捜索が続く中、市の職員の方はそとに出掛け全国から集まった自治体職員の方たちが市役所の業務を行い、結局自分たちも市役所の職員と同じような窓口業務となった。
応対した市民にうっかりした事は問えない。帰ってくる言葉は想像に絶するものだったにもかかわらず淡々とされていて掛ける言葉を失った。
TVや雑誌で状況は伝えられてはいたが、神戸の時以来感じていることはやはり現地に行かなければ、体感しなければ真実は伝わってこないということだ。
地震後「想定外」という言葉が飛び交った。
自分たちの仕事の判断基準として建築基準法や建築学会基準といった「基準値」といったものがある。
この多くは過去の災害事例を分析して得られた値を採用しているのだが地震でいえば未だに大震災の度にハードルが上がっているのだ。
TVの宣伝で住宅メーカーが小賢しくうたっている基準はせいぜいこの程度のものだ。
倒壊しかかっても生存空間を何とか確保することが構造設計では大変重要なことだと思うが、安易に「基準値」を超えれば責を果たしたと思っている人たちが多すぎる。
本来設計者一人一人が充分研究し、安全を確保することが難しいので国がそこそこの妥協点で決めたのがほとんだ。
地震の重力の加速度など個別の建物に予測不可能だ。
だから「大体大丈夫だと思う」という基準は越えただけでは責を果たしたとはいえないと思う。
その意味で今回の日本の中枢にいる産学官共同の人達の不祥事である原発事故は痛恨の極みだ。
我々はことが起きてから初めてことの危うさを初めて知らされた。
子供だって理解できることばかりだ。
危険な原子炉の上に学校のプールの何倍にも相当する水槽を設けてあったなど正気の沙汰ではない。
繰り返し言われるのは「基準値以下」という言葉だ。
目に見えない、経験もない放射能についてまでしたり顔で語られている。
そもそも「基準値」そのものがあてにならないことを思い知らされたのにまだ言うかだ。
基準値の正当性など「想定」ではなく「結果」でしか評価されないであろう。

1月17日 兵庫県南部地震を振り返る。
2011年01月17日 | 建    築

兵庫県南部地震は最近起きた大震災として最新の技術により多くの貴重な地震波をはじめデータを得ることが出来た。
Eディフェンスではこのとき採集した地震波形を実物振動台に入力し、さらに安全な建築設計の研究がすすめられている。
震災後2週間ほどたった後ではあるがJIAの災害復旧支援活動に参加した。
まだ東海道本線は住吉までしか開通しておらず途中は損傷を受けた建築がそのままの状態で立ち並んでいた。
町の第一印象はまず静かなこと。解体工事の削岩機の音以外は生活雑音が一切聞こえないのだ。
さらに消毒薬の臭いが鼻を突く。夏季であったならばとぞっとする。
電柱が地面まで垂れ下がり、あちこちで水道が噴出している。
現地で五感に受ける印象はTVの前では想像もつかないことだ。
インターネットという言葉が一般化したのもこのころからだ。私はまだMSDOSマシンを使っていてニフティのPC通信にあがってくる現地の情報を傍受していたが避難所に過不足なく物資が届けられないで対応に混乱をきたしている様が痛々しかった。
関東では東海地震、または首都直下型地震の危険が指摘されながらやはり実体験が無いので時間がたつに従って警戒心が薄れてきてはいないだろうか。
中越、中越沖の新潟県での震災復旧支援活動にも参加した。体験した方のみが知る恐怖感は直接接してみないと伝わらないものだ。
最近オール電化住宅というのがもてはやされている。
電気は備蓄しにくいエネルギーだ。
都市インフラに頼り切った生活がいかにもろいものかを当時神戸の街で目の当たりにした。
電力といえどもふっ今日には相当の時間がかかる。
大出力の柏崎原発が地震で大損傷を受け、復旧に相当の時間がかかっている。
電力の40%近くを原発が占める現在、電力は不安定なエネルギーであることには変わりがない。
火力は輸入に頼り、群馬県内の水力発電所の様に多くの発電所は原発の夜間余剰電力で揚水し昼間発電している。
電化という言葉は文明の進歩と同義語であった。
しかし地球上の一生物にすぎない人類にとって、過度に依存することは危機管理の観点からは一考を要することにである。

兵庫県南部地震
2009年01月17日 | 建    築

南部地震があった日。建築にも大きな被害が出る。
罹災家屋の復旧のための支援のため地震後JIAのメンバーと現地入りした。
罹災した家屋の修理の可能性を持ち主へアドバイスする仕事だった。以後中越、中越沖と出場している。
京都に前泊し、まだ住吉までしか走らない電車で現地に近づくにしたがって異様な光景が続く。駅を降りてまず大量の仮設WCが並んでいる気が付いた。地震発生後2週間以上経っているのに電気も上下水道もガスも止まったままだ。
人が住んでいない町はこんなにも静かなものかというのが印象として残る。
消毒薬の臭いが鼻を突く。夏であればとぞっとする。
東灘区の魚崎地区の3件ほどの住宅を訪ねた。
近くの小学校に避難していた住宅は倒壊を免れたものの、土拭き下地の屋根が壊れ室内は泥だらけ、とても住める状態ではないが避難所も閉鎖されるとのこと。
TVだけではとてもわからない現実。
当時はインターネットはまだ普及が始まったばかり、Niftyのパソコン通信で現地の状況は傍受していた。やはりマスメディアでは報じない生々しい情報が飛び交っていた。
建築の被害を見ると筋違いの腐食や逆に節点破壊など筋違いの役割の重要性を感じた。やはり局部破壊を起こすような極端な強度の偏在は危険だ。
東灘区の区役所はまだ水道が開通していなかった。前の川までバケツで水を汲みに行き用便を済ましたあとの始末をした。
都市インフラが破壊された時に起こる事態の一端を経験する。
現在オール電化が全盛であるがインフラ頼りの脆弱なシステムで危機管理が出来るのかこのとき以来いつも疑問に思っている。灯油やプロパンガスのように身近に備蓄できるエネルギーの重要性を感じる。
また高層建物はEVが停まってしまっては避難はともかく生活できなくなってしまう。高層階から用便のたびに地上階まで降りてこなくてはならない。
群馬県庁が出来た時高層の庁舎を見上げながら大規模災害の時には使い物にならないなと思った。

2022年を迎えて

2022年01月04日 | ひとりごと
昨年の母の骨折、入院から始まり老人ホームに世話になっている母と自宅で一人でいる父の身の回りの世話といわゆる介護生活がいきなり始まり、現在も介護ということを中心に毎日がまわっている。
TVのCMのように介護ということは突然やってくる。介護認定を受けるための様々な手続きや施設との折衝、母の帰宅に備えての自宅改造、父のための食料品の買い出しや医療機関への付添など初めての事だらけ。
90歳になるまで両親が自活してきたことでつい介護ということを目をそらしていたことが一気にツケが回ってきたという感じもある。

備忘録に日々の出来事を綴っておいたほうが後時なにか役に立つかもしれないが両親の尊厳を犯すようなことをネット上にばらまくわけにもいかないので自然と筆(マウス)が止まってしまった。
今は息子としてどこまでできるのか、できることをとにかくキャッチボールのように投げ返すしかない。
親という存在はあたり前のことだが生まれたときからずっと続く関係である。しっかりしていた頃を振り返ると切なくなることもあるがときおり見せる笑顔に救われるのだ。

母は老人ホームに5ヶ月、老健施設に3ヶ月、その間、新型コロナ禍の影響でほとんど数回しか直接あっていない。父は老人ホームに併設されたデーサービスに週2回通っていたので母とはわずかながら会えていたのだ老健施設に移ってからは全く合う機会を持てない。もし父が老人ホームに入居するようになったら下手をすると親子夫婦一生会えないままになる可能性もあった。さいわいあと4週間ほどで帰宅できる見込みだが両親のために用意した部屋に馴染めるか今度はそれが心配になる。二人の間に入り込んで親子水入らずといえば和やかに聞こえるが未知の生活が待っている。

現状はそのようなものだがまだ現役を退いたわけでもなく、かつ自身の老後の楽しみにとっておいたことたくさんある。自身の生きる時間も大切にしなくてはと思う。



014メモ ビフォー・アフターのアフター

2021年12月12日 | ひとりごと

今日BS5でまた再放送があったようです。2014年の放映ですから映像に映る私自身も今良いだいぶ若く見えました。友人から「いま出てるよ」と連絡をいただきました。もちろんDVDに保存はしてあるのですが改めて見る機会はありませんね。


現地スタッフとのミーティング

不思議な気分です。保存してある画像も改めて見てみました。特異な経験でしたから今でも鮮明にその時々を思い出します。現地の方々を巻き込んでの撮影、猛吹雪のなかの現場通い、また驚異的に粘るディレクター等、そして瓢湖の白鳥、湖畔の桜、蓮の開花、ウシガエルの鳴き声。


猛吹雪の中の現場通い。夜中の小出のラーメン


五頭連峰を望む瓢湖の桜


瓢湖の蓮

現地のご家族、皆さんお元気だろうかと思いましたがここ二年はコロナ禍のため現地を訪問するのをためらっていました。白鳥の頃また行って見たいものです。

013メモ 盃・庶民の戦争

2021年12月04日 | ひとりごと
今日は太平洋上で連合国との戦争が始まった日。ハワイ、フィリピン、マレー半島から始まった戦争は大きな傷跡を残して終結した。
開戦に至る過程での意思決定が現代にも通じるものを感じ、一向に進歩していないとの思いを持つ。

台所を整理していたら古い酒器が出てきた。いずれも徴兵され任期が終わり除隊時のお祝いに配られたもののようで高台の中に苗字が記されている。
陸軍のものは京都にあった第16師団野砲第22連隊の所属で満州派遣 除隊記念とあるのでWikpediaによれば昭和14年8月1日に宇品(広島県)に上陸と記録にあるのでそれ以降のものと思われる。同師団は昭和20年7月にはフィリピンのレイテ島にて玉砕状態とあるのでどのような運命をたどったかは不明である。
海軍のものは満期除隊とあるので再招集がかかったかどうかは不明だが、これらの盃の出処そのものが今となってはわからない。
いずれにせよ80年前におきたことの事実の証拠であることには間違いない。どのような気持ちでこの盃を上げたことだろうか。

012メモ 令和3年度建築物省エネ法の説明義務に使える手法

2021年12月04日 | ひとりごと
令和3年度建築物省エネ法の説明義務に使える手法が簡易に学べる動画説明会、省エネ相談会に講師として参加しました。
簡易に省エネ法の適合がわかる点で事務処理が苦手な方でも省エネ適合の説明義務を果たせるようになると思います。

一方、仕様規定ではモデル解析で安全側を採っているので温熱環境負荷計算によって求めた仕様よりむしろ重装備である可能性があリます。また全般的に多数使用されている建材、設備についてのみ適合とみなされるため設計の多様性を損なう可能性もあります。そして一次消費エネルギー量の想定ができないなど設計者としてはさらに前向きに捉えて詳細計算に取り組む必要を感じます。

建築設計者に求められる環境負荷低減について真摯に受け止め長所短所を設計者はよく見極めて使用することが望まれます。
とはいえ建築主も含めコストと環境負荷の釣り合いの板挟みになることも事実で2,025年に向け省エネ対策は一層進む中で現在は断熱仕様についてはほぼ足踏み状態ですが義務化と合わせて基準そのものも上がっていくことを考えると一層詳細な温熱環境負荷計算が重要となるでしょう。

011メモ 「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

2021年10月22日 | ひとりごと

「2021ぐんまの家」設計・建設コンクール受賞作品発表になりました。
群馬県WEBサイト
https://www.pref.gunma.jp/04/bi01_00102.html

米田横堀建築研究所の作品「土間のある平屋の家」が優秀賞を受賞しました。

米田横堀建築研究所 WEBサイト
https://www.y-archi.co.jp/housing/detail/post-95.html