2018年 海軍記念日
号砲も 神旗も消えし さつき祭
中村 梅士 Baishi
昨日の海軍記念日はいかにも残念だった。
神に仕えるはずの神社が、地方行政の公務員に命じら
れて海軍記念日を反故にしたのだ。
神社は「お上」(公務員)に仕えるものらしい。
気分が悪いので、お祓いに、一昨年の陽流砲術の勇壮
を引っ張り出した。
もう、二度と戻ってこない光景に思える。
無神論共産主義に敗北したのである。
2020年規制下のさつき祭
6月から一部の施設や店が開くという。
閉鎖を継続するところも少なくない。
かつての活気は戻らない。
さらに、倒産や失業など、経済崩壊の実態が明らかに
なってくるだろう。
隔離政策が維持される限り、都市封鎖は終わらない。
おそるおそる解禁される6月は下旬には再び固く貝の
蓋を閉じることになるだろう。
そのまま死ぬのである。
愚かな政治家たちは、もうすぐ収束すると嘘をつく。
しかし、次に試練は、再感染拡大、経済崩壊、食糧難、
戦争と、一気に複合化するであろう。
それでも、出足を封じ、都市を封鎖し続けるのか。
必然、自滅の選択である。
日常的活気の中で、生物兵器による侵略と戦おうと、
なぜ言えないのか。
それは、滅亡すべき民だからである。
2020年規制下の奉納
スポーツ庁の鈴木長官が背泳ぎの選手だったころに戦
った日本的逆境について語った記事があった。
それは、暗黙の強制としての横並び意識であり、出る
釘は打たれるという嫉妬の風土だった。
競争社会であるはずのスポーツ界でさえ、突出するこ
とは調和を乱すタブーとされていたのである。
こうした嫉妬体質は今でもある。
国際スポーツにおける日本の弱さは、共産国以上に強
い島国的嫉妬体質に原因がある。
この横並び意識は命令に従ってさえいればよいという
「ぬるま湯」である。
だから、危機感もチャンレンジ精神も弱体なのである。
ハングリーさがないといわれるのは、みんなで渡れば
怖くないという横並び意識の表れである。
さらには、命令支配的指導の温床となる。
軍事教練には都合がよいかもしれないが、個性の尊重
や自由の精神は大幅に制限されるのである。
日本において、スポーツは軽視され、せいぜい公営ギ
ャンブルの素材であり、マスコミのいやらしいカメラ目
線に狙われる風俗に過ぎないのである。
それは、スポーツの本質にある、個性の尊重と自由の
精神を体質的に欠いているからである。
今後も、横並びに集団行動で滅亡への大道を突き進ん
でゆくのであろう。
神も仏もない公務員社会主義日本の罪状である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party
2018年海軍記念日