春嵐 彼岸の門を 叩きたり
中村 梅士 Baishi
今日は彼岸の中日、土曜日である。
彼岸の門が大きな音を立てて開いた。
地獄の門が開いたかのようだ。
嵐の一日になるらしい。
さて、世の中は中共のバイオ兵器・コロナ攻撃に翻弄され
続けている。
多くの集客型企業が苦境に陥っている。
その後の増税も脅威である。
彼岸の嵐は、象徴的な意味を持っているのかもしれない。
宇宙存在から見れば、UFOの窓から高みの見物でもあろう。
地球文明の宇宙時代も見てきたという。
火星の地底都市には地球人村があるという。
宇宙に出て、他の星を指導していたという時代のレガシー
なのかもしれない。
他方で退化した地球文明の滅亡をいくつも見てきたのだ。
なぜ宇宙文明にまで高度化した地球文明が滅亡したのか、
まだ語られていない秘史である。
わずか5億年ほどの間に、文明の栄枯盛衰があったのだろ
うが、想像もつかないことである。
高度文明の時代は、おそらくは地球に移住してきた宇宙人
が主導した文明だったのだろう。
現代の地球文明は唯物科学に硬直して滅亡の危機に瀕して
いる。
それでも地球人として転生してきた宇宙人に主導されてい
るはずである。
にもかかわらず、苦境に追い込まれている。
それほど、地獄界や悪魔の影響が強くなっているというこ
となのだろう。
幸福の科学信者の踏ん張りが欠かせないが、どう踏ん張れ
ばよいのかが分からない。
講談社とのフライデー戦争のような革命運動が必要なので
はないか。
台湾国承認運動でもよい。
イラン、ロシアを加えた支援運動でもよい。
革命的戦略が必要だ。
宇宙系幸福の科学スタッフの決起を促したい。
もはや宇宙戦争なのだから。
春分の日の季節の言葉も政治的になった。
政治も移ろわねばならない時季である。
政治に人材がいないのは、日本を代表するべき人材が幸福
の科学や幸福実現党に集中しているからである。
ここがNHKによって封鎖されているのだから、人材不足
から自滅するほかはあるまい。
一旦日本の規制権力が国家もろとも崩壊しなければ、幸福
の科学に集中した神々が世に出る門が開かれない。
この世では、物質欲の人間が力を持っている。
神々と言っても自由自在にはならない。
結局は、迷妄の人類を感化して仏性を引き出さなければ新
文明は開かれない。
この迷妄の自己中人類を愛せるかというところが難しい。
愛よりも裁きをと思う。
許しの愛が分からない。
自分の罪をも愛せなければ自己中人間を愛せるわけがない。
裁き心を克服するための修行を求めたい。
自己中人間は制裁されなければならないのではないのか。
自ら手を下さず、ただ遠ざけることが正しいのか。
自らの悪徳を反省するまで待つほかはないのが、救済の原
理なのだろう。
地獄界とは、悪徳が存在を許されている世界である。
神の愛の表れである。
それが天意であるなら、人が自己中の人間を裁いてはなら
ないということになる。
体罰禁止ということか。
熱心に指導する気がしないなら、その場から離れるべきな
のだろう。
裁き心は悪徳に同通している感情の乱れなのだろう。
かと言って、悪徳を放置してよいはずがない。
少なくとも政治的悪徳は放置してはなるまい。
中共は悪魔であると分かっていたトランプ大統領でさえ、
攻撃することができず、逆に自分が始末された。
善悪の問題は、無我の境地が求められる。
感情の問題にしてはならないということだろう。
悪魔は欲望と感情に付け込むのだ。
どうして人に感情があるのだろうか。
欲望が生存装置としての意味があるように、感情にも試練
のこの世を楽しむためと、わたくし心を克服する修行のため
に意味があるのだろう。
菩薩の心とは悪徳まるごと人を愛する境地なのだろうが、
同通困難な境地であることよ。
体を鍛え、心を鍛える修行が必要である。
武道の心得を得たいものだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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