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+ ぼたん雪・・・ 透明な人生観について  

2008年01月08日 08時07分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 悲しさも  うれしさもあり  ぼたん雪


   
馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 大晦日の夜、

 おおきな雪の結晶が天使の羽のように降りてきた。

 天地は雪化粧をして新年を迎えた。

 

 ゆっくりと降りてくるぼたん雪をみていると、

 雪の数ほどの出来事が沈殿しているように見える。

 悲しいことを、いつまでも引きずってはいけない。

 透明な風となって、新しい一年を始めたいものである。

 

 

 


 

 手をつなぎ  楽しげに降り  ぼたん雪


       馬糞 Bafun

 

 

 

 

 透明な人生観について

 

 透明な人生観とは、私心なく生きる覚悟のことである。

 あれがほしい、これが欲しいという生き方ではない。

 欲しいと思う生き方は煩い迷うことの多い人生である。

 

 透明な人生観とは捧げる人生観である。

 支える人生観でもある。

 欲深い人間からどのようにして生まれ変われるのだろうか。

 

 そのヒントが、戦争で多くの戦友を失って生き残った戦争体験者

が語る人生観にある。

 「生き残った者の責任」という、涙が出るような切ない思いであ

る。

 戦争を体験していない者にも、その切ない気持ちに触れて泣け

てくる。

 

 愛する人を失い、友を失い、尊敬する人を失い、師と仰ぐ人を失

い、その死に立ち会った者にとって、自己保身という死の恐怖は

失われ、「生き残った者の責任」に突き動かされることであろう。

 

 その究極が、救世主イエスを犯罪者として処刑されるという形で

失った弟子たちの人生観であったろう。

 それは、つらい罪の意識を背負った生き方でもある。

 キリスト教の強さであるとともに、罪の意識は負の遺産でもある

と思う。

 

 

 

 

 

 満天に  ぼたん雪降る  下駄の音

 
         馬糞 Bafun

 

 

 

 人生の基本は、修行としての人生観である。

 魂を磨くことが人生の目的である。

 転生輪廻ということがなければ、修行の人生観は成り立たない。

 だから、キリスト教には基本的に修行という考え方は成り立た

ない。

 その代わりに、贖罪(つみほろぼし)という人生観に主導される。

 故に、悲しい。

 

 しかし、人は、感謝、愛、信頼、尊敬という人間関係の中に生か

されている。

 それゆえに、捧げる人生でありたい。

 

 人は皆、試練の中に生きている。

 裕福な人もまた、人知れぬ試練を生きている。

 平穏無事な老後を楽しんでいるように見える人でも、老いという

試練の中にいる。

 

 そう思うと、人々は、いとおしい戦友でもある。

 見事に、その試練を克服して見せたいではないか。

 

 人生は仏神に提出する卒業課題である。

 故に、裁き心は無用である。

 人生は、私心なき願いでありたい。

 

 かくして、2008年の門出を清める。

 

                              J.D.Subunroco.

 

 

 

 

 

 

 羽衣を  枝におきつつ  ぼたん雪


        馬糞 Bafun

 

 

 

 子供の眼には、羽をつけた天使が見えたりするようです。

 大人になったら、天使は感じるものではないでしょうか。

 ぼたん雪が、天下る天使の軍団のようにも感じられました。

 

 天下りというのは、やはり天使のようでなくてはいけませんねぇ。 

                               J.D.Subunroco.

 

       

 

 

 

 

 

 

 

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