朝顔や 神賜われし 朝を咲き
馬糞 Bafun
8月30日Don 7:13am 30.5℃ 87%
日の出前の風は凛として、神聖である。
その風を呼吸して、朝顔の花が咲く。
朝顔は、本当に朝の顔をしている。
一日一生の花であることよ。
【横綱 朝青龍と相撲協会の責任】
朝といえば、朝青龍という横綱がいた。
モンゴルの英雄である。
ところが、巡業をサボってモンゴルサッカーに興じていたというので、
今年は出場停止になった。
それだけで横綱の面目は丸つぶれになり、事実上の引退勧告と
なった。
たしかに、これまでの傲慢な振る舞いが積み重なっていた。
しかし、横綱一人の責任問題ではない。
今回の問題は、スポーツの本質が問われているのである。
スポーツというのは、ゲーム会社がつくるゲームとは根本的に異
なる。
スポーツは文化である。
その発祥がある。
生まれた国の伝統が根本にある。
スポーツは神の前で生まれる。
とても神聖な文化である。
神聖さと伝統文化の由来を見失ったスポーツは、野蛮で下品にな
る。
特に長い歴史を持たない球技のようなものであっても、その種目は、
神が認めたものである。
神聖と正義と正統がスポーツの命である。
それゆえに、その競技を生み出した国の神が、その根本精神を決
める。
相撲というスポーツは、世界にも類例を見ない長い伝統をもつ。
日本の神聖な儀式に他ならない。
相撲のスポーツマンシップは、日本神道の清めるという精神と、そ
れに由来する伝統的しきたりが結晶したものである。
そうした日本の伝統競技を外国人が受け継いでくれるというのは
ありがたく、喜ばしいことである。
しかし、受け継ぐということは、つまり、そのような教育と共感があっ
たということでなければならない。
今回の朝青龍の行いは重々不届きであるから、制裁もやむを得な
いであろう。
しかし、それと同じくらいに、横綱を定めた相撲協会と親方の責
任も重い。
謹慎は、相撲協会理事全員と親方もまた服すべきけじめである。
そうであってこそ、清廉潔白かつ神聖なのであり、相撲の伝統精
神が尊敬の念をもって、海外にも理解されるための要諦であろう。
そうした、潔さを忘れてはなるまい。
梅士 Baishi