朝顔の 青の宇宙を 遊泳し
馬糞 Bafun
このところ、朝顔ばかりが題材になってきた。
しかし、歌心は無限大だ。
青一色は、大宇宙の色である。
朝顔の青には大宇宙の無限を秘めている。
朝顔の青は志の青である。
朝顔の青は知性の青である。
朝顔の青は悲しみの青である。
朝顔の青は青春の青である。
朝顔の青は日本の青である・・・。
朝顔は、そんな青をいくつも咲かせてくれるのである。
青雲の志という。
ところが、自分が何を目指すべきかわからないという
若者が少なくない。
彼らは空しい青の中を漂っているかのようである。
夢を描く空の青ではないのだ。
物が豊かな時代に、子供たちはどんな状況で将来の夢
を描くのだろうか。
万難を排してでも実現したいという決意は、試練の中
で見つかるものではないのか。
人は悲しい青の中に、青雲の志を心に刻むのではない
のか。
国の危機に、家族の貧しさに、親の愛と悲しみに、神
の悲しみに・・・。
けごし(あさがお)
悲しみの 青を深みて 牽牛子咲き
馬糞 Bafun
しかし、親が豊かな生活をし、世の中が飢えることな
く自己中心に生きる人々であふれ、祖国愛など考えたこ
ともない子供たちにとって、一体何に命をかける気持ち
になれるだろうか。
キリスト教的感性なのかもしれないが、愛は悲しみの
中から生まれるように思う。
生きがいもまた、死に甲斐という悲しみから生まれる
ように思う。
生活が豊かになっても、人は悲しみを失うことはない。
愛の原点を、生きがいの源泉を、失うことはない。
人は悲しいほどに未熟で、無知で、小さい存在である。
それを教えるのが、教育者であり、政治家であり、宗
教家ではないのか。
戦後61年、戦争の悲しみは枯渇したのかもしれない。
現代を見よ。
この日本は何と悲しい国になってしまったことか。
夢のない子供、自己中心の大人、国を売る商人たち・・・。
子供たちの心に遠い理想と、悲しみを教えなければな
らない。
それでも、求めてやまない愛と悲しみを。
誠実な悲しみの中から、人は愛に目覚めるのである。
Bafun
けごし⇒ http://www.shokubutsu-zukan.com/hana-1.html