風のたより

つれづれに

                ~~~  モモ君!梅雨が明けたんだってよ!!! ~~~

2016-07-19 | 



”モモ君!!梅雨が明けたんだってよ、いよいよ暑い夏だね。今年も負けずに頑張ろうね!!”

玄関のここが、いつもの三軒先のモモスケ君の今日のお昼寝の場所です。
横窓からのカーテンを揺らして風が入ってきます。

気持ちよさそうに、この場所で今日もグーグーー





お庭に出たら今日も大事なパトロール!!






何か変わったことはないかな???

”う?あれは何??”






でも大丈夫そう、よかった!!

今のところ何もなし!!






でもちょっとイカ耳です。

周囲にレーダーを張り巡らせ、警戒中なのかもしれません。





今年の夏は暑くなるのかな??





パトロール終了後は、、、、、今日はここに。

ベストポジションでくつろぎ中でした。
(我が家の車の下です)


                    ~~~  旅のおわりに思うこと  ~~~

2016-07-16 | クルーズ その2 (東地中海クルーズ)



今回のフライト&クルーズの最後は、ヨーロッパでの出発点でもあったミラノに戻ってきました。

モンテネグロのコトルを出た後、オーケストラ号は再びベネチアに入港し、ここでクルーズは
終了となり下船。

オーケストラ号に別れを告げ、ベネチアからバスで移動しこのミラノへ~~~
天に聳えるミラノ大聖堂がお出迎えしてくれました。

ミラノは前回のクルーズでも立ち寄り、その時にはこの大聖堂のてっぺんまで登り
上からのミラノの街を眺めましたが、、、、、

前回のミラノはこちらから
(戻るには左上の←をクリック)





今回は時間の関係もあり、大聖堂の周りの散策です。

相変わらず大聖堂付近のカフェはどこもいっぱい、、、、





大聖堂近くのミラノで有名なデパート、リナシェンテに行ってみることに、、、

店内にはこんなオブジェが、、、???
さすがここはイタリアのミラノ。
最先端の流行の発信地です。





しばらく散策後またデパートに戻り、ここの最上階のレストランでランチをとることに、、

お店はミラノの大聖堂が目の前に見える絶好のロケーションです。
昼時とあってかお店の前にはディスプレーを見る人がいっぱいです。





前回はお店の真ん前に聳える大聖堂から反対にこのレストランを見ていたのかもしれません。

下からは見上げるほどのたくさんの尖塔が目の前にあることに感動です。





ランチに選んだトマト味のパスタは、たっぷりと粉チーズがかかり、さすがに美味しい!!
特にトマトソースの味が絶品でした。

一緒についてきた細長いパン(グリッシーニ)にはオリーブオイルやパスタソースを付けると
また美味しく、これだけでお腹いっぱいになりました。





集合までの時間、最後のヨーロッパのミラノの町を楽しみ、この近くの有名なジェラード屋さんで
バラの形に作り上げた美味しいジェラードを親子でいただきました。

その後ミラノ・マルペンサ空港に移動し、飛行機は韓国の仁川経由で翌日
夕方には無事に中部国際空港セントレアに到着し11日間の長かったクルーズの旅も終わりました。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


何事もなく済んだ今回の旅でしたが(実際には1カ月前に戻っています)一昨日フランスのニースでは
死者84人もの尊い命が奪われるテロのニュースが流れ、また今朝はトルコではクーデター騒ぎがあるなど
不穏なニュースが流れました。
ニースには一昨年行ったばかりなので驚きでした。

ニースの観光はこちらから
(戻るには左上の←をクリック)

今まで何度も行っているヨーヨッパですが、今まで何事もなかった事の方が奇跡だったかもしれません。
そのことには、ただただ運が良かったのだと感謝あるのみです。

2013年に行ったミュンヘンだよりはこちらから。

2015年に行った中央ヨーロッパはこちらより。

不幸なテロやクーデターなどの騒ぎに巻き込まれることなく旅ができる世の中であることを切望し
ただただ純粋に旅を楽しむ者として一日も早い平和の日々が戻ることを祈るのみです。

                 ~~~ 城塞都市・・・モンテネグロのコトル ~~~

2016-07-13 | クルーズ その2 (東地中海クルーズ)



ギリシャのコルフ島を出たオーケストラ号は、翌日の朝に複雑に入り組んだアドリア海の
湾の更に奥に位置しているモンテネグロのコトルの港に入ってきました。

船は静かな湾の中を進んでいきます。
今までとはちょっと違う雰囲気です???





船が進むにつれて湾の奥に聳える切り立った険しい崖が見えてきました。
コトルは入り組んだ湾の中に佇む城塞都市で、入り組んだ地形は言わばフィヨルドです。





モンテネグロのコトル??
今までに聞いたことのない地名です。
モンテネグロも正直あまり耳にしたことのない国名でした。

モンテネグロはこんな所にある国です。

深いく入り組んだアドリア海の奥、かつてユーゴスラビアに属し、2006年、いろいろの歴史的
変遷の末、モンテネグロとしてユーゴスラビアから独立した国です。

ちなみにモンテネグロとは、「黒い岩」の意味とか。





コトル湾はリアス式の入り組んだ湾のため大型船は近づくことができず、ここでもテンダーボート
に乗り替えて上陸です。





下船後は先ずはバスで旧市街のブドヴァの街に移動し、城壁の街の散策が始まりました。





城塞の中へ入りました。

中にはモンテネグロ正教の教会などがあり、、、、高台からはアドリア海の海が臨めました。





城壁内の高台からは深い緑色のアドリア海の海がみえました。





更に高台の城塞を上り、、、、





城塞から見えるアドリア海。

目の前に広がるオープンテラスが素敵です。





階段の横からはモンテネグロの国旗が掲げられているのが見えました。

この堅固な城塞は、その昔オスマン帝国の侵略に対抗して築かれたものとか。





巡らされた城塞の上からは、オレンジの屋根と、いくつかの教会が見えました。





城壁のすぐ近くの新市街には、アドリア海に面したこんな素敵なリゾート地がありました。

ヨーロッパからの観光客が多く、知る人ぞ知るリゾート地のようです。





ブドヴァの街を見た後は、バスで20分ほど移動してコトルに戻り旧市街の観光が始まりました。

コトルの旧市街観光は、この「海の門」から入って~~~





「海の門」をくぐるとすぐに広い武器広場に出ます。

右奥の建物が武器庫で、左奥の建物がナポレオン劇場だそうです。





旧市街の中を散策~~~~

狭い路地からも後ろに聳える崖が見えます。





教会前の広場からも、後ろに高い城塞が見えています。





旧市街の狭い通りのどこからでも後ろに聳える城塞が目につきます。





コトルの旧市街の中に猫ちゃん発見!!!





カメラを向けていたら、のこのこと近づいてきました。
人懐っこくて可愛いですね。

かなり美形なスマートな猫ちゃんでした。
いつまでも元気でね!!





旧市街を出てテンダーボートの出る港まで戻りました。

ここから眺めるコトルの城塞です。

この城塞は、イタリアのヴェネツィアが占領した時に建設したもので麓の街は小さいのに
張り巡らされている城塞の長さは4.5kmもあり、数百年を要して作られたということです。
まるでモンテネグロ版の万里の長城のようです。

よく見ると、、、山の中腹よりジグザグとした道が見えます。
城塞の頂上までは1時間ぐらいで登ることができ、そこからの眺めは素晴らしいとか。

残念なことに時間がなくて登れませんでした。

そこで、、、、





これがネットからお借りした城塞から見下ろしたコトルの旧市街とアドリア海の風景です。
絶景ですね。

ここコトルは小さなドブロクニクと言われているようですが、同じ城壁の街ドブロクニクへは
ここから車で3時間ほどの距離にあるとか。

同じアドリア海に面した城塞の街です。





眺めているうちに最後のテンダーボートがやってきました。

アドリア海の奥の奥にあるモンテネグロのコトルといいう街を初めて知りました。

初めて訪れたギリシャのコルフ島やここモンテネグロのコトル、、、、、
今まで全く何の関係もない場所と思っていたのですが、、、、





なんと日本のジブリ作品の「風の谷のナウシカ」はギリシャのあのコルフ島が舞台といわれていて
ジブリ作品で有名な「魔女の宅急便」や「紅の豚」などはこの辺りのアドリア海に面した街がモデル
になったと言われています

全く知らずでしたが、クルーズで訪れたギリシャのコルフ島もモンテネグロのコトルも
なんだか急に身近な街に思えてきました。

旅をするとは、、、、新たな出会いとの遭遇です。

              ~~~  エリザベートが愛したコルフ島  ~~~

2016-07-09 | クルーズ その2 (東地中海クルーズ)



ギリシャのピレウスの港を出たオーケストラ号は、翌日の昼過ぎギリシャの西部に位置する
コルフ島(キルケア島)の港に入ってきました。

晴れた青空に白い雲、、、なんて綺麗な光景でしょう!!





イオニア海に浮かぶコルフ島は、透明度の高い海が人気のヨーロッパの高級リゾート地とか。
遠くに城塞のような島が見えてきました。

このコルフ島、私は初めて聞く地名で今回のクルーズで初めて知った場所です。





下船後、さっそく観光が始まりました。

先ずはヨーロッパの王族の中でも絶世の美女として有名な19世紀末のオーストリア皇后エリザベート
が夏の離宮として建てたというアヒリオン宮殿から始まりました。





ここが彼女が建てたアヒリオン宮殿。

ちなみにアヒリオンとは、ギリシャ神話の英雄アキレウスのこと。
彼女はどうしてこの館をアヒリオン宮殿と名付けたのでしょうか???





高台に建てられた宮殿のお庭からは、美しいコルフ島の海が眺められました。
素晴らしい眺めの場所で過ごされていたのですね。

でもなぜオーストリア皇后エリザベートが遠く離れたこの地に離宮を立てたのかも不思議でした?





離宮を入ってすぐ皇后エリザベートの等身大の像がお出迎えです。

エリザベートはオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后で
シシィの愛称で知られていました。

また彼女は生涯 身長172cm、体重46キロ、ウエストは驚異の50センチを保ったといいます。
モデル並みの体形維持には彼女の美学があったのでしょうか??





宮殿内に入ると美しいフレスコ画がお出迎えです。





宮殿内に掲げられているエリザベートの肖像画、本当に絶世の美女ですね。

でも彼女の一生は決して幸せなものではなく、窮屈な宮廷生活から逃れるために
各地をさすらい、最愛の息子を亡くした後にはギリシャのコルフ(キルケラ)島やヨーロッパ各地に
放浪の旅に出ていたといいます。

ここコルフ島もその一つだったのでしょう。





生涯さすらいの旅をつづけた彼女は、1889年9月10日、放浪の旅の途中、スイスのジュネーヴ、
レマン湖畔付近で暴漢に襲われてその命を落としました。

壁にはレマン湖畔や、当時の葬儀の模様や、捕まって連行されていく犯人のニュースを
掲載した写真がありました。





更に階段を上り二階へ、、、





エリザベートの寝室の天井に描かれた天使の絵。

彼女は毎晩この天井画を眺め眠りについたのでしょうか??





二階はエリザベートの日常を忍ぶ家具や調度品が置かれていました。
彼女が使用していたベットと家具。

ただここでは美を維持するために使ったといわれる器具らしきものは何もありませんでした。





階段の踊り場の壁を飾っていたのは、、、あのトロイ戦争の中での英雄のアキレウス。

この時はなぜここにこの絵がかかっていたのか分かりませんでしたが、、、





宮殿の庭先に置かれたアキレウスの像でその意味を知ることができました。
ギリシア神話に登場する英雄アキレウスは、アキレス腱として有名です。

アキレス腱は致命的な弱点の代名詞となっていますが、その謂れは母親と息子の悲しい伝説にありました。
溺愛した我が子を不死身にするため母親が赤子であったアキレウスの全身を川に浸ける際
そのかかとをもって浸けたため、その部分だけが不死身にならず、かかとを矢で射られ命を落とす
結果になったというものでした。

エリザベートにとって長男ルドルフを突然なくしたことが、ギリシャ神話のアキレウス母息子の心境に
相通じるものがあったのでしょう。

わが子をなくした悲しみと置かれた立場の息苦しさを逃れるため、心まで病んでしまった彼女は
どうしてもオーストリア以外の地が必要だったのかもしれません。

コルフ島はそんな彼女の心をいやす療養所だったのかもしれません。

ここでやっと謎が解けました。

ギリシャ神話、そうここはギリシャでした。





宮殿見学後はバスで移動し近郊の岬にあるカノニの展望台へ。

展望台からの眺め、、、、海の美しさに見とれました。





ここからの風景はよく絵葉書にもなっているようで、手前に見えるのがヴラヘルナ修道院で
その先に見えるのがネズミ島といわれています。





その後旧市街散策となりました。

コルフ島は歴史的にギリシャやイタリア(ベネチア共和国)、フランス、トルコなどの
国々から支配を受けたといわれています。





その為か町並みはどこかイタリア的だったり、フランスの香りがしたり、トルコの町並みに似ていたり
と不思議な雰囲気を醸し出していました。





散策後の集合場所になった町の中心の広場には、オーケストラ号の集合場所を示す旗の
向こうには、コルフ島の要塞が見えていました。





時間まで要塞近くの海辺を眺めました。

どこまでも澄んだ青空と真っ青なイオニア海の海です。
吸い込まれそうとは、こんな風景をいうのかもしれません。

ヨーロッパの中でも有数の高級リゾート地ということがよくわかりました。





旧市街の観光を終えバスでやっと戻ってきました。
港の広場にはギリシャ国旗とEUとコルフ島の旗が海風にたなびいていました。

コルフ島、、、印象に残る島でした。

明日はいよいよクルーズの最終寄港地のモンテネグロのコトルに入ります。


             ~~~  アテネ・アクロポリスの丘へ  ~~~

2016-07-04 | クルーズ その2 (東地中海クルーズ)



ギリシャのサントリーニ島を楽しんだ後、船はキクラデス諸島の島々を通過しながら
午前7時半、同じギリシャにあるピレウスの港に入ってきました。

ピレウス港は首都アテネに近いこともあり、古くからギリシャの中でも重要な港でした。
この日も世界各国からの観光客を乗せた大型船が数隻停泊していました。





下船後この日は世界遺産のアクロポリスとアテネの市内観光がありました。

先ずはアクロポリスとの丘へ~~~
ちなみにアクロポリスは「高いところ、城市」を意味するとか。

ちょっと小高い丘へ通じる道を上ります。
この日も気温はぐんぐん上昇でした。





ギリシャのアクロポリスといえばパルテノン神殿が有名ですが、その前に見えてきたのは、
アクロポリスの丘の上に立つヘロド・アティクス音楽堂。

紀元161年に政治家であり大富豪であったヘロド・アティクスが亡くなった妻の思い出として
アテネ市に寄付したものとか。

客席は5000人収容でき、今でもコンサート会場として使われているとか。





ヘロド・アティクス音楽堂からさらに上り、最初に目の前に現れたのがパルテノン神殿の
前門にあたるプロピライア。

いよいよここからパルテノン神殿への期待が高まります。
階段の上には、ドーリア式とイオニア式の列柱が建ち並び、その姿は圧倒的な存在感にあふれています。





さすがにアテネの観光名所、階段にはパルテノン神殿を目指す世界中からの観光客でいっぱい!!

大きくそびえる列柱前の階段はすべて大理石で滑りやすく雨の日でなくてよかったと、、、





プロピライアの門をくぐり抜けると、やがて前方に見えてきたのはあのパルテノン神殿です!!

神殿横には修復中のためかクレーン車があったり、工事現場のような足場がかかっていたり、、、





左手には丘の上からアテネ市内が見えています。





更に正面に進みパルテノン神殿をまじかに眺めました。
これがパルテノン神殿の全景で、古代都市アクロポリスの聖域です。

その姿は青空に映えてとても美しく、紀元前400年から風雪に耐えここに立ち尽くしていたのかと
思うとなぜか感動です。





更に近づいてみると、、、

今でもこの神殿の修復作業は続いていて、列柱の白い部分は修復された場所ということでした。





パルテノン神殿に続き、その左に見えているのは、エレクティオンといわれる建物です。





更に近づくと6人の女性像の柱が上部を支えている姿がありました。

昔歴史の教科書で見たことがあるような、、、、??





後でわかったことですが、現在のこの柱はレプリカで、本物は新アクロポリス博物館と
大英博物館に保管されているとか。





観光客は立ち並ぶドーリア式やイオニア式の列柱の間を歩き、まじかに古代遺跡の見学です。





遺跡を見た後は丘の上からアテネ市内の眺めを楽しみました。





アクロポリスの丘からからはアテネ市内がよく見渡せます。

右後方の山はリカヴィトスというアテネの中心部の北東に位置する丘で、そこからは
反対にこのアクロポリスの丘がよく見えるようです。





アクロポリスの丘の見学を終え下に降りてくると、まだまだ丘を目指す人々でいっぱいでした。





アクロポリスの丘の見学を終え、バスはアテネ競技場へ~~~

ここは第1回近代オリンピックの会場となったところで、会場前の広場にはギリシャの国旗と
オリンピックの旗がたなびいていました。





そのあとちょっと車窓からのアテネの市内観光が入りました。

ここは確かアカデミー・アテネ大学・国立図書館。





自由時間にちょっとアテネ市内をぶらぶら・・・

お土産屋さんの店先に並んだギリシャの特産物(?)の海綿。





アテネにもこんなかわいい猫ちゃんが店先でお昼寝してました。





午後4時半過ぎ、アテネ観光を済ませたオーケストラ号は、静かにピレウスの港を後にし
次の寄港地であるコルフに向けて出発しました。

しだいにアクロポリスの丘から見た特徴のあるリカヴィトスの山が小さくなっていきました。