「先生、わざわざ遠路はるはわるお越しになったのは、さぞ我が国の利益となる妙策がお持ちなのですね。」
孟子が答えて曰く、
「なぜ利益、利益とおっしゃるのですか。大切なのは仁義です。王は国の利益しか考えない。大臣は一家の利益しか考えない。役人や庶民も我が身の利益しか考えない。こうして各々の利益しか追求してないから、国が滅びるのです。」
「王よ、どうぞ仁義を口にしてください。」
※仁義とは、簡単に言うと、公の心、博愛、慈悲、人として守るべきもの…などをイメージしてください。
孟子は中国の儒学者で孔子についで有名ですが、そのエピソードとして、漢の劉向が『列女伝』のなかで、『孟母三遷』と言うものを記してます。
孟子は幼くして父を亡くし、母の手一つで育てられた。
家は墓地の近くにあったので、幼い孟子は葬式の真似ばかりしていた。
そこで母は、次に市場の近くに引っ越しした。
すると孟子は、商売人の真似ばかり。
仕方ないので、母は学校の近くに移転した。
すると孟子は、いつも祭祀や儀礼の真似事をして遊ぶようになり、母は我が子の教育にはここが最適と考えて、学校の近くに住みついた。
このように、子供にとって良い環境を与える賢母ゆえに、歴史に名を遺す聖人に育てあげることが出来たのでしょう。
※エピソードなので、実話かどうかは不明です。
全ての人に対して絶対に間違いなく言えるのは、誰も生まれてきた限りは、いつの日か必ず死ぬ…と言うことです。
これを疑う人は居ないでしょうが、自分にも死ぬ時が来ると納得している人は、大病で闘病中の人以外は、かなり長生きした人くらいで、大半の人は自分も死ぬ…ってことを考えていないですね。
自分が明日死ぬ可能性がある…と本当に理解すれば、今日さらに今すべきことに全力を費やして、真剣に生きるでしょう。
なかには、どーせ死ぬんなら、やりたい放題、好き勝手にやろう…と自暴自棄になる方もあるかもしれませんが、私が言いたいのは、どーでもいいことと、今すべき重要事項とを仕分けすることです。
そして、重要事項を最優先にして生きると、この上なくポジティブな人生を楽しめると思っています。
そういう意味で、死を考えて生きることはポジティブな生き方のヒントになるのです。
我が家の母は、市からタクシー券をもらっている友達を羨ましく思っています。
その友達は夫婦で国民年金だから、所得が低いために市からタクシー券がもらえるわけです。
もし我が家の母がタクシー券を欲しいと願うなら、そのレベルまで年金を下げてもらうしかありません。
ちなみに母は共済年金です。
はい、親方日の丸企業で働いてましたから(苦笑)
今日の教訓!!
他人の境遇を羨むと、自ら損をすることになる…かもしれない(爆)
この『智慧』は、人間の知恵ではなく、神仏の智慧と考えてください。
これが一番微妙で説明しにくいのですが、比喩を用いて皆様のご理解をいただきたく思います。
例えば近年、発展途上国への支援が目立つようになりました。
アジアの女性自立プロジェクトに寄付をしたところ、その資金で豚を購入して増やして売り、生活資金を稼げるようになりました。
人間の考えでは、自立出来て良かったな~と成功したことになります。
しかし、神仏の智慧を借りて考えてみますと、その使い途は殺生の罪を犯すことになり、その過ちを避ける工夫が必要となります。
野菜や果物栽培、あるいは縫製ミシンの購入など用途を限定して、殺業を起こさせないよう配慮したら良いのです。
殺業をしていると、将来自分がその苦痛を受けることになります。
キリストが弟子たちに漁師を辞めさせたのも、そんな道理があったからかもしれないです(私見ですが)。
天の神様はすべて平等に扱いますので、加害者の肩を持ったりせず、ちゃんと被害者の話を聞かれるのです。
ちょっと考えたら、当たり前なんですが、人間は自分たちの都合の良いように考えて、罪を重ねてしまう傾向にあります。
その偏向した思考の癖を、神仏の物差しで以て見直していくのが、妙智慧と言うのだろうな~と、小生は考えています。
大変に微妙な内容なので、真意が皆様に伝われば幸いです。
今日はとある用件のために岡山に行きました。
犬、猿、雉のお供は無しで単身出張です(笑)
現地の方に由加山と言う霊山を案内していただきました。
ここは、神社とお寺が同居してるような場所で、神社の鳥居(備前焼の鳥居)をくぐると、香炉があり100円で線香(10本くらいの束)を買って、捧げました。
神社で線香は珍しいと思うのですが…
また、蓮台寺の入り口には不動明王が鎮座されており、そこには神社と同じく鈴が下げてありました。
場所的には瀬戸内海に近いですが、山の上にあり、昔は修験道の行がなされていたようです。
倉敷にこんな立派な神社仏閣があるのは、どうやら児島の大企業のおかげだそうです。
造船所やコンビナートがありますもんね!!
ところで、なぜ桃太郎さんは犬猿雉をお供にされたのか…
一説には、猿は智、犬は仁、雉は勇を表しているとか。
つまり儒教の重要な三達徳である、智、仁、勇の心でもって、自分の心に住む悪い心(鬼)を制圧する~~と言う風に、小生は推測している次第です。
似たような話に西遊記がありますね。
このようにお伽噺には、神仏の教訓が盛り込まれているものがあります。