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ベジタリアン・マーフィーの菜食日記・日々是精進

平和を愛するベジタリアン。生命倫理、菜食、環境問題など、みんなで考えよう!

他人の富貴をひがまない人

2016-02-23 22:13:45 | 心の修養
久しぶりに孟子を開いて読み返しています。

尽心篇にこんな内容が書いてあります。


餓えた人は何を食べてもうまいと思い、のどの渇いた人は何を飲んでもうまいと思う。
だがそれは本当の味では無い。
飢えと渇きが正しい味覚を狂わせたのだ。

舌の働きを狂わせる飢え、渇きがあるだけでは無い。
心の働きを狂わせるおそれもある。
そんなものに妨げられず、心の働きを正常に保つ人は、他人の富貴をひがんだりはしない。

生きているだけては、いけませんか?

2016-01-10 22:55:07 | 心の修養
いのちの教育者、辻光文先生(1) 少年少女の自立支援に生きる | PHPオンライン 衆知|PHP研究所



今日の勉強会での参考文献ですが、世間で言われる問題児たちを預かり、夫婦で自立支援の養育を行った方です。

1日24時間、子供たちと真剣に向き合うことは神仏の心でないと出来ません。

自分が子供たちを矯正出来る…とかの驕りの心があると、子供たちは全く聞く耳持たずです。
全面的に相手を受け入れて、初めて心が通い合うのですね。

《以下抜粋》
人間は人間をはるかに超えたものの命の中にあるのです。
いのちは個体を超えて呼応し、魂と魂が響き合う。
障害者も健常者も、子供も老人も、病む人も、あなたも、私も、区別は出来ても切り離しては存在し得ないいのち、いのちそのものです。
それは虫も動物も山も川も海も雨も風も空も太陽も、宇宙の塵の果てまでつながるいのちです。
すべては生きている、というより、生かされて、今ここにいるいのちです。

四端(孟子より)

2015-10-26 22:36:03 | 心の修養
慈悲の心は人なら誰しも持っている。
古の聖人が血の通った政治を行えたのは、慈悲の心を持っていたからだ。


たとえば、幼児が井戸に落ちそうなのを見たら、さっと手をだす。そこには、他人から誉められたいとか、謝礼が欲しいとか言う理由は無く、とっさに無心で助けるものだ。

また、思いやる仁の心、悪を恥じて憎む義の心、譲り合いの礼の心、善悪を判断する智の心を人は備えている。
しかし、その四つの心に気付き、自ら育むかどうかが重要なのだ。

これを育まなければ、天から賦与された宝を腐らしてしまうことになる。

孟子より抜粋、古の中国に於ける血塗りの儀式で…

2015-10-07 22:10:32 | 心の修養
古の中国、斉の国では新しい鐘や廟が出来たとき、いけにえの血を塗り神聖なものとする儀式が行われていた。

その儀式の前に、宣王が連れて行かれる牛が恐怖にうろたえていたのを見て、部下に放してやれと命じた。

部下が儀式を取り止めるのか王に聞いたところ、羊を代わりに使うよう命じた。

なんとも残念な話です。

殺されに行く牛をあわれだと思ったのは、慈悲心(仁)の表れですが、代わりの羊も同じく慈悲心を注いで、いけにえ自体を廃止すれば良かったのですが。

暑さ寒さも彼岸まで

2015-09-20 17:02:20 | 心の修養

昔から、暑さ寒さも彼岸まで~と言いますが、季節感を感じるには旧暦が宜しいですね。
今日は彼岸の入りでお墓参りに行きました。


さて、彼岸って何だか解らないとおっしゃっる若い方も居られるでしょう。

簡単に言いますと、彼岸は彼方の岸、此岸はこちらの岸です。

つまり三途の川の向こう岸が彼岸の意味です。

人も動物も天神も皆、四生六道の輪廻のなかで、半永久的に転生を繰り返します。

人間界に生まれて大きく覚り、多くの人びとを導く役目を果たされた方々を仏陀、大覚者、聖人などと呼び、長年尊敬されています。

その方々は、生死の輪廻を超えて自由自在な純陽な霊で、四六時中、人びとを感化し救うため全力を尽くされます。

しかし、その御慈悲を受け取る側の人間が、ぼや~っとしてると全く救いようがありません。


どうぞ、意識を醒まして聖人仏陀のメッセージを感じ、心を磨いて日頃の生活をお送りくださいませ。

弥勒の世界とは、天国にあるのては無く、人間社会で造り上げていくものかな…と思っています。


仁ある政治

2015-09-17 21:23:34 | 心の修養

引き続き孟子から。

恵王が、自分の代になり領土を奪われて小国になったのを嘆いた。

孟子は王に諫めた。

小国であっても立派に天下の王になることが出来ます。
その為には仁政を施すことです。
むやみに刑罰を課さす、租税を軽くし、人民が安心して仕事に励めるようにしてやるのです。

若者には仕事の合間に、孝悌忠信の道徳を学ばせて、父兄によく仕え、目上を敬うように指導するならば、たとい大国がいかに強大でも、いざとなれば人民は竹槍を作ってでもぶつかっていきます。

敵国では人民を徴用にかりたて、人民は働くことが出来ず、家族を養えなくなります。
これほど人民を苦しめてる国では、人民は戦う意欲すら無くてしまいます。

「仁者に敵なし」とは、このことです。


※国民に負担ばかり押し付けるより、暮らしやすくしてやる方が、国家としては小さくても強いわけである。