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熊本洋学校に迎えられた外国人教師の為に、明治4(1871)年建設。 英語教師として赴任したL・L・ジェーンズ(1838~1909)の一家が移り住んだ事から、ジェーンズ邸と呼ばれました。
明治9(1876)年に洋学校が廃校になりジェーンズ一家が熊本を去ると、翌年に起きた西南戦争の際には官軍征討総督・有栖川宮熾仁(たるひと)親王の宿舎になりました。 その際、元老院議員・佐野常民による「戦傷者を敵味方区別なく救済したい」という願いに直許が下り、博愛社(後の日本赤十字社)が創設。 ここは日赤発祥の地になりました。
数度の移転・用途変更の後、昭和45(1970)年に現在地に移築。 洋学校関係・日赤関係の資料が展示・公開され今日に至っています。 熊本県熊本市水前寺公園22-16 05年05月上旬
まだ、見たい場所があったのですが、運転手さんに遠慮してしまったので、後日、訪ねてみたく思っています。
そういう同じ趣味の仲間がいるのはちょっと羨ましく思います。
旧制五高の建物は外観だけしか見られませんでしたが、立派なものでしたねぇ。威厳がありました。
大学構内には他にもレンガの建物があって見所が多かったですね。
私の場合も熊本城の散策で体力を消耗し、市内の建築はおざなりになってしまいました。小品なれど興味をひくものがいくつかあり、また次回見て回りたいですね。
赤十字精神が国内で最初に発揮されたのは明治2年の箱館戦争からです。
ヨーロッパへ官費留学した幕府奥詰め医師・高松凌雲が敵、味方の区別なく治療にあたりました。
この建物が明治4年の建築とは思えないくらい華麗と豪華さを誇り、大きな軒の出、回廊式ベランダは、スペイン総督邸に似ています。
(移築やら用途変更で原型が変わってしまった?)
恐らく、英語教師を招聘するにあたり、破格の条件を提示しなければならなかったのでしょう。
撮影日は好天に恵まれたようですね。
入り口へ向うアプローチブロック、フェンスが建物とよく調和されています。 ミカエル
屋根下のスクリーンになった五つのカーブは、唐破風の一種です。また、暖炉も石製と木製の両方がありました。
西洋文明がどっと押し寄せてきた時代、職人さんたちは、盛んに洋風を取り入れながら、伝統も意識し、和洋折衷の世界を造り出しています。日本にしか存在しない洋風建築の一つだと感じています。単なる模倣ではないのが、我が同胞の真骨頂だと思っています。
esさんへ
60歳を過ぎている、まだ青年たちと、趣味を同じくして西日本の各地を廻っています。歳が離れているけど、教わることが多く、ワイワイしゃべりながらウォッチングを重ねています。見学や料理の交渉をする時は、みんなの力で、普通なら見学できない場所まで、ご案内して戴ける時もあるんですよ。感謝感謝です。
東日本では、角館や小樽がよく話題になります。
彼の名は初めて聞いたのでちょっと調べてみました。忠義の幕臣として箱館戦争に参加、
そこで彼が見せた敵味方わけ隔てない博愛の精神は、赤十字の精神と重なるものでした。
彼のことを知らなかった自分を恥じつつ、久々に感動させてくれる人物を教えていただき本当に感謝です。
M夫さん
この建物は長崎から大工を招いて建設されたという事ですから、一応擬洋風という事になるのでしょうかね。
3面に回されたベランダや鎧戸付きの窓は洋風ですけど、瓦屋根や唐破風?は和風ですものね。
明治の初めにこれだけの物を建てた棟梁の心意気が感じられます。
一人より二人、二人より三人・・・みんなの力が合わされば大きな力になる好例ですね。
角館は私も行ってみたい所。武家屋敷が残る町並みは魅力的に見えます。
小樽は今年のG.W.に訪問「予定」です。仕事の状況によって予定が変ってしまうんですよ・・・