旧英国総領事館

2007-02-28 07:17:39 |  神奈川県










 現・横浜開港資料館旧館(昭和6年築 1931)。 昭和47(1972)年まで英国総領事館として使用され、現在は横浜開港資料館の休憩室として開放されています。 資料館の中庭にある玉楠(たまくす)の木はペリー来航(1854年)の際の随行画家・ハイネのリトグラフにも描かれ、2度の大火で焼失しながらも再生し、多くの時代を見続けてきた「生き証人」として開港地・横浜の歴史の1ページになっています。  神奈川県横浜市中区日本大通3  06年10月下旬他

 ※08年02月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。

大正湯

2007-02-27 07:23:26 | 愛媛・香川



 訪問日はお休みのようでしたが今も現役の銭湯です。 その佇まい、寂れ具合などが郷愁を誘い、華やかなりし頃に想いをめぐらせます。 大正5(1916)年頃の建築。  愛媛県八幡浜市1132大正  07年01月上旬

三重大学三翠会館

2007-02-26 07:04:41 |  三重県




 昭和11(1936)年築。 三重大学の母体である三重高等農林学校の開校10周年を記念して建てられた同窓会館。 三重大学開学50周年記念事業の一環として近年大改修が行われ、瀟洒な姿が甦りました。 1階にあるベランダは昭和47年(1972)に増築されたもののようです。  三重県津市上浜町1515 三重大学構内  05年12月下旬

 ※07年08月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。 

山形県旧県庁舎

2007-02-25 08:20:14 | 南とうほく (宮城・山形・福島)









 現・文翔館(大正5年築 1916)。 煉瓦造りの重厚な建物で、国の重要文化財にも指定されています。 昭和50(1975)年まで県庁舎として使用された後、文化財として保護する為に、昭和61(1986)年から10年もの歳月を掛けて修理・復元が行われ、大正浪漫あふれる姿を現代に蘇らせました。 内部は一部資料館のようになっており、山形の歴史に触れながら自由に見て回る事が出来ます(しかも無料)。
 
 初めてカメラ(デジカメ)を買って、嬉しさの余りそのまま車に飛び乗り冬の東北道を爆走。 雪を掻き分け向かったのが山形でした(酒田~鶴岡~寒河江~天童~山形市内他)。 それというのもココと旧済生館本館、それに羽黒山の五重塔(雪が凄かった・・・)をカメラに収めたかったからでした。 建物に本格的に興味を持ち出した頃のいい想ひ出。  山形県山形市旅篭町3-4-51  05年02月中旬

 ※07年09月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。

旧東村山郡役所資料館

2007-02-23 07:06:01 | 南とうほく (宮城・山形・福島)










 明治12(1879)年に建てられた木造洋風(擬洋風)の郡役所。 山形県内の明治初期の公的建築に洋風の建物が多いのは、時の県令・三島通庸(みしまみちつね 1835~1888)によるところが大きいといわれます。 彼は明治新政府に対していまだ反抗的な態度を見せる人々に、新しい時代が到来した事を目に見える形で突きつけるために、このような洋風建築を数多く建てたようです。
 
 この建物は図書館などとして使用された後、現在は資料館として公開されています。 昭和61(1986)年の修復工事により、失われていた3階部分の塔屋が復元され創建当時の姿を取り戻しています(明治35 1902年の暴風によって倒壊したという記述あり)。  山形県天童市五日町2-4-8  05年02月中旬他

旧島田小学校

2007-02-22 07:09:14 | 徳島・高知


 明治37(1904)年築。 下調べの段階で明治期の校舎が残っているとは思えませんでしたが、自分を納得させる為に訪問し、そこで見つけたのがこの建物。 とはいえ、手入れが行き届いた建物はそれほど古く見えなくて、建築年代が特定できず保留物件入りさせていました。 そんな折『温もりの学舎』をめくっていたらこの物件に遭遇。 そこに載っていた情報に倣って掲載してみます。 学校と言うより分教場と言った方がしっくりくるような感じの小さな小さな学舎です。 現在は集会所として使用されているようです。  徳島県鳴門市瀬戸町中島田北田36  06年12月下旬

手取カトリック教会

2007-02-21 07:15:24 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島




 熊本の繁華街の真っ只中にある鉄川与助設計の天主堂(昭和3年築 1928)。 与助にとっては初のRC造の教会だといわれます。
 外界の喧騒を避けて内部に足を踏み入れると、色鮮やかな空間が広がり、息を呑む美しさに驚かされました。 天井の花弁模様が淡いピンク色?に染まっていたのが大変印象的で、いつまでも忘れられない光景です。  熊本県熊本市上通町3-34  05年05月上旬
 
 ※現役の教会ですので、見学の際は充分な配慮を願います

光福寺本堂

2007-02-20 07:32:26 |  静岡県





 大正13(1924)年築の日本最古の(←ミカエルさんの指摘で違う可能性大)RC造の寺院。 静岡県のHPにガウディ風寺院とありますが、確かにかなりのインパクトで一度見たら忘れられません。 創建当時ここの檀家さん達はいったいどんな気持ちで眺めていたのかちょっと気になるところですが、天女?やハトさんもいる、こういう小技の効いた建物は私は大好きです。  静岡県静岡市清水区柏尾97  07年02月上旬

仁風閣

2007-02-19 07:11:54 | 島根・鳥取











 鳥取池田家当主・池田侯爵により、皇太子時代の大正天皇の山陰行啓の宿泊所として建てられた白亜の洋館(明治40年築 1907)。
 設計は片山東熊と云われますが、棟札(むなふだ 建築年月や工事関係者の名前が書かれた板で、棟木に打ちつけたもの)に彼の名前が無いらしく、彼の後輩で鳥取出身の橋本平蔵(実際の工事監督)に助言する程度だったのではないかと云う説もあります。 というのも東熊はこの時期、旧赤坂離宮にかかりきりで手が回らないはず、というのが根拠らしいのですが実際はどうだったのでしょう。 仁風閣(じんぷうかく)の名前は、皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎による命名で、階段を上がった2階ホールに今もその書が掲げられています。

 お気付きかと思いますが、朝(9時過ぎ)と夕方(17時前)の2回訪問して写真を撮っています。 日中は正面からの撮影は逆光になってしまうからですが、結果的に表情の違う写真が撮れましたので掲載致します。 単純に建物が素晴らしかったから、というのもありますが。
 最後にエピソードをひとつ。2階御座所の暖炉に装飾タイルが貼られているのですが、そこにある図柄は向かい合う男女の人物像。 向かって左に女性、右に男性。 つまり燃え上がる炎を間に挟んで、男女が見つめあう・・・というもの。 象徴的でなんとも悩ましく、ロマンチックな話ではないでしょうか(この辺りの話は「日本タイル博物誌」 INAX出版 91年 に綺麗なカラー写真と共に紹介されていますので是非ご覧になってみて下さい。 良書です。 管理人はこのエピソード、見落としました・・・)。  鳥取県鳥取市東町2-121  06年11月上旬

松山地方気象台

2007-02-16 07:08:33 | 愛媛・香川



 旧松山測候所(昭和3年築 1928)。 中央の塔屋にはかつて大時計が鎮座し、戦時中にはカムフラージュの為に建物全体が黒く塗りつぶされたと云います。 昭和41(1966)年に外装が元に戻されたときに大時計も取り外されましたが、太陽が輝く青空の下では、やはり今のこの色合いが似合いそうだと思うのは私だけではないでしょう(写真は曇りですケド)。 現役の観測施設ですから内部には入れませんが、同じ松山市内にある萬翠荘(県立美術館分館)と共通点が多い事が指摘され、同品質・同寸法の外装タイルが使われているなど、かなりの影響を受けているらしいです。  愛媛県松山市北持田町102  07年01月上旬

北見市留辺蘂町開拓資料館

2007-02-15 07:09:02 | 北海道 その他のエリア



 旧武華(むか)駅逓(大正9年築 1920)。 駅逓(えきてい)とは北海道の開拓時代に設けられた制度で、人や馬の貸し出し、旅人の宿泊所、郵便業務等を行っていた所。 北海道各地に設けられ、旅や輸送の手段として欠かせないものでしたが、道内の開拓が進み鉄道が開通するなどして次第にその役割が薄れ、戦後まもなく駅逓制度は廃止されました。 武華駅逓はそれ以前の昭和11年(1936)に廃止され、住宅として使用された後に資料館となり、往時の姿を現在に伝えるという重要な役割を果たすところとなっています。  北海道北見市留辺蘂(るべしべ)町滝湯128  06年05月上旬

北鹿ハリストス正教会 曲田福音聖堂

2007-02-14 07:07:05 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 小さな農村である曲田村の初の正教会信者・イオアン畠山の自宅敷地内に建てられた木造の聖堂(明治25年築 1892)。 良質な秋田杉を使ってわずか3ヶ月で建立され、長年の風雪により幾度かの補修がなされていますが今日までその貴重な姿を留めているといわれます。 内部には女性聖像画家・山下りん(1857~1939)の聖像画(イコン)も残り、こちらも美術史的に貴重なものだそうです。 基本的に外観の見学は自由ですが、内部は予約あるいは教会行事の際にのみ見学できるようです。  秋田県大館市曲田字曲田80-1  05年11月中旬

 ※08年08月中旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。
  写真が一部大きくなります。

横浜情報文化センター

2007-02-13 07:16:05 |  神奈川県











 旧横浜商工奨励館(昭和4年築 1929)の建物を、12階建ての新館が一部飲み込むような形で保全・活用されています。 見所はなんといっても中央階段と旧貴賓室になると思いますが、特に旧貴賓室は関東大震災(大正12年 1923)からの復興状況を視察に訪れた昭和天皇が休憩された部屋であり、天井画こそ模写になっていますが、室内木部・天井照明器具などは創建当時の物が修復され使用されています。 ここの建物にはカフェもありますし、日本新聞博物館(新館2~5F)はかなり見応えのある展示がされているので、いい時間の過ごし方ができると思います。 個人的には1階吹き抜け部分にある輪転機のその大きさに圧倒されました。  神奈川県横浜市中区日本大通11  06年10月下旬他

トラヤ

2007-02-12 08:42:05 | 島根・鳥取





 川沿いに建つ昭和7(1932)年築の紳士用品店(倉庫?)。元は山陰道産業という大陸との貿易を行っていた商社の建物だといいますが、それぐらいしか情報が無く詳細が分かりません。細部にも色々と見所が詰まった建物なのですが、何と言っても(どうしても)目がいってしまうのはコーナーの窓枠にはめ込まれた8枚のレリーフ。少年(?)の物語(??)はキッチュな様相とあいまって、見る者を無限のスパイラルに惹きこみます・・・。写真が若干ピンボケしたのは、笑いをかみ殺しながら撮影したから、です、きっと。  島根県松江市東本町  06年11月上旬

 ※2020年12月記事修正。

旧ロシア領事館

2007-02-11 09:17:12 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)






 かなりキツイ坂道を登ったところにある煉瓦造りの洋館(明治43年築 1910)。 昭和40(1965)年からは道南青年の家として使用されていましたが、平成8(1996)年に閉鎖されて現在は空家になっています。 すでに10年位使われていない建物はあちこち傷みが目立ち、もったいないの一言。 今後の活用もないのでしょうか。 急坂の途中というネックがありますが、見に来ている人はちらほらいたのですが。 最後の写真はロシア人墓地で見かけた建物(詳細不明)。 ロシア繋がりで載せておきます。  北海道函館市船見町17-3  06年04月下旬他