北海道大学 苫小牧研究林 森林記念館

2008-10-31 07:08:38 | 北海道 その他のエリア




 試験材料及標本貯蔵室として昭和10(1935)年に建設。 建物の右と左で全く印象の異なる建物なのは、内部の用途によって2つの部屋に仕切られているからでしょうか。 『道南・道央の建築探訪』によると、内部は吹き抜けの平屋建てになっていて、鉄製のらせん階段によって2階の廻廊に上がれるようになっているそうです。 ヒグマ注意の看板があちこち立っているような場所にありました。  北海道苫小牧市(とまこまいし)高丘無番地  06年04月下旬

 ※おまけ  同じ苫小牧市内にある王子製紙倶楽部(昭和11年築 1936)。 門越しに正面から眺めただけなので奥行きが分からないのですが、倶楽部建築だけに内部は贅を凝らしたものになっていると思います。  王子町3-7  

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宇都宮高等学校旧本館

2008-10-30 07:10:00 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)



 明治26(1893)年築の旧栃木中学校本館の建物。 栃木県内最古の学校建築で、明治43(1910)年には皇太子時代の大正天皇の行啓御座所としても利用されたことがあるそうです。 使用されている木材は全て日光杉並木の杉材であり、白く塗られた外観から「白亜館」という愛称で呼ばれていたのだとか。 現在は「滝の原会館」として正門と共に保存され、同校の歴史資料が保管されているようです。  栃木県宇都宮市滝の原3-5-70 宇都宮高等学校内  08年01月中旬
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鹿児島市役所

2008-10-29 19:21:48 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島







 昭和12(1937)年築。 以前紹介した旧鹿児島県庁本館に比べると重厚さや威厳の点では一歩譲るところもありますが、両翼に伸びた雄大な建物をベージュのタイルが爽やかに演出しているので見ていて気持ちいい建物です。 後で鹿児島の地図を開いていて気付いたのですが、市役所の前の道はグリーンベルトになっていて、開けた道が鹿児島港まで続いています。 そこからフェリーを使って対岸に渡ればそこは鹿児島のシンボル・桜島。 市役所の塔屋から見える桜島の景色はさぞや素晴らしいものなんでしょうね。  鹿児島県鹿児島市山下町11-1  05年05月上旬他

 ※09年05月上旬再訪。 本文に加筆修正、写真の追加変更を行いました。 市役所からは桜島はあまり良く見えませんでした。。。  

 
 ※おまけ  こちらは市役所と同じ通りにある 南日本銀行本店(昭和12年築 1937)。 旧鹿児島無尽鹿児島支店の建物だそうですが、1~3階までと4階から上では印象が異なる建物です。 3階まで伸びるコリント式の列柱は見事なものです。 

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旧新町演舞場(大阪屋)

2008-10-28 08:07:37 |  大阪府



 かつての花街・新町に残るセセッション・スタイルの建物(大正11年築・1922)。 新町は江戸の吉原、京都の島原と並ぶ大阪で一番の遊郭で、この建物は芸妓(芸者)達の歌舞練場だったそうです。 設計は片岡建築事務所(担当・吉木久吉)によるもので、演舞場としての役目を終えた後は、戦中は日配(日本出版配給)が建物を使用し、昭和24(1949)年には「日配」から独立した大阪屋(出版取次店)の本社ビルとなりました。 昭和35(1960)年に東側に4階建ての事務所棟、同じく46(1971)年には演舞場のホールが取り壊されて6階建ての新社屋が建てられた為、現在残るのは正面玄関だった一部分のみです。 演舞場だった頃の写真を見てみると、屋上の縁の部分には飾り壺のような感じで華やかな照明器具が取り付けられ、外壁は全体的に白だったように見えます。 今は正面に赤いタイルが貼られ色彩のアクセントになっていますが、当時の面影は現在の建物の裏側部分に強く残っているのかも知れません。  大阪府大阪市西区新町2-5-5  08年01月上旬

 ※参考 『大大阪モダン建築』 2007
     『モダン・シティふたたび 1920年代の大阪へ』 1987
     『大阪人』 2002 1月号(vol.56)
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飯島商店

2008-10-27 19:28:54 |  長野県



 上田の駅前に姿を見せる大正時代の洋館(大正10 or 13年築  1921 or 1924)。 道路拡幅の為、昭和38(1963)年に3メートルほど後方に曳家されているそうです。 入口の尖頭アーチが特徴的で、古さを感じさせない立派な建物でした。 みすゞ飴で有名なお店です。  長野県上田市中央1-1-21  07年06月下旬他

 ※おまけ  同じ中央で見つけた松山眼科医院。 昭和2(1927)年築??? もう営業はしてない様子でした。


 おまけ その2  昼食を求めて上田駅に向かう途中で見つけた個人邸。 洋館付住宅かとも思いますが、装飾の凝りようが半端ではないです。 駅の近くにこんな建物が残っていたとは予想もしませんでした。 詳細不明。  
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桐生明治館(旧群馬県衛生所)

2008-10-25 15:49:08 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)






 医学校併設の衛生所として、明治11(1878)年に前橋の県庁前に建設。 正面破風には菊紋(当時の内務卿・伊藤博文に許可されたもの)が飾られ、2階前面が吹き放ちのベランダになっているシンメトリーな建物です。 竣工直後には明治天皇の天覧もありましたが、完成翌年には衛生所は廃止され、医学校も明治14(1881)年に廃校するなど当初の役割は短命に終わりました。 その後は女学校や県農会などに使用された後、昭和3(1928)年に相生村役場として現在地に移築。 昭和29(1954)年には相生村と桐生市の合併が行われ、昭和51(1976)年の重要文化財指定を契機に創健時の姿に復元されました。  群馬県桐生市相生町2-414-6  07年04月上旬他
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旧動物検疫所敦賀出張所

2008-10-24 07:09:44 | 富山・福井



 敦賀出身の実業家であった二代目・大和田荘七(1857~1947)による朝鮮牛の輸入計画の為に設置された建物(大正5年築 1916)。 現在はGWと夏季のみキャンプ場の管理事務所となっているらしく、この時はフェンス越しに眺めただけでしたが、長年の潮風にやられて外装はかなり傷んでおり痛々しいです。 特に保存に関する動きも無いようですが、明治32(1899)年に開港場に指定され、大陸への表玄関だった敦賀の繁栄の歴史は、こういう建物にこそ刻まれていると思うのですが。  福井県敦賀市縄間44  08年07月中旬

 ※10年12月追記 今月から解体されるという情報です。
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有島武郎旧邸

2008-10-23 07:06:15 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)







 小説家・有島武郎(1878~1923)の自邸として、大正2(1913)年に北12条西3丁目に建設されたもの。 青・壮年期の合わせて12年間を過ごした札幌は、武郎にとっては特別な思い入れのある場所であり、この地に永住する気持ちで自ら設計構想にあたってこの家を建てたそうです。 しかし完成翌年、愛妻・安子が病(肺結核)に倒れたこともあり、札幌での生活は早々に切り上げられ、以後この建物は幾度かの変遷を経て北海道大学の手に渡って職員や大学院の寮として利用されていました。 昭和58(1983)年の廃寮に伴って「札幌芸術の森」内に移築され、現在は有島武郎に関する資料の展示室となっています。 室内から見る菱形模様の窓のデザインが特に強く印象に残る建物でした。  北海道札幌市南区芸術の森2-75 札幌芸術の森  07年05月上旬
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中野小学校旧西校舎

2008-10-22 07:05:11 |  長野県





 竣工明治29(1896)年の洋風校舎。 破風に輝く赤い星型の窓が目につきますが、これは屋根裏部屋への採光を目的とするもので、ここは明治天皇・皇后の御真影(肖像画や写真)がかけられた特別な部屋だったそうです。 元々は両翼に長く伸びた大きな建物でしたが、一本木公園に移築するにあたり中央部のみを保存。 現在は「信州中野 銅石版画ミュージアム」となって一般公開(内部撮影は不可でした)されています。  長野県中野市一本木479-5 一本木公園内  07年10月下旬他


 ※おまけ その1  こちらは同じ中野市内で見つけた建物。 雰囲気的には旧洋品店といった感じですが、詳細は分かりません。 道路の拡幅工事が近付いており、工事が延伸すれば取り壊しの可能性があります。



 おまけ その2  上の建物と駐車場をはさんで向き合う形(斜向かい)にあったのがこちら。 なにかの店舗だったと思うのですが、メモし忘れました。。。

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旧上野警察署

2008-10-21 07:04:24 |  三重県



 半官半民の基金により明治22(1889)年に完成。 昭和7(1932)年にK氏に払い下げられ、同10(1935)年に現在地に移築。 当初は伊賀合同新聞社として使用されていましたが、その後、K氏個人の住宅に転用され今日に至っているそうです。 屋上に火の見櫓があった事を除けば、ほぼ創建当時の姿を保つ貴重な建物。 三重県の観光情報には公開日が10月23~25日となっているのですが、今年も公開されるのでしょうか。  三重県伊賀市上野丸ノ内1-2  07年08月中旬

 ※参考 『総覧 日本の建築5 東海』 1986
     『東海の近代建築』 1981 
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豊岡市役所

2008-10-20 07:07:01 | 京都・兵庫




 旧豊岡町役場(昭和2年頃築 1927頃)。 “コウノトリの飛ぶまち”としてアピールしている豊岡は、大正14(1925)年に発生した北但馬地震(北但大震災)からの復興による昭和初期のRC造の建物が数多く残る町でした。 この旧町役場も同様で、当初は2階建てだったものを後年の増築により3階建てにしたものだそうです。 言われてみれば3階の両肩部分が増築だと気づきますが、全体的なフォルムはバランスが取れており、瓦屋根の見せ方もいい仕上がりで上手な纏(まと)めかたをしていると思います。 車寄せの前にあるお池(ライオンの口から水が出るやつ)も当時からのものでしょうか。  兵庫県豊岡市中央町2-4  08年10月中旬
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ミオールの館

2008-10-17 07:07:34 | 京都・兵庫





 旧四本邸(大正6年築 1917)。 現地案内板によると、川崎造船の大株主であった四本萬二氏により元々は神戸市垂水に建築されたもので、私邸というよりは舞踏会などの為の社交機能を重視させ、当時世界的に流行していたユーゲントシュティール様式で建てられたものだそうです。 戦後は垂水警察署となって、異人館警察の愛称で親しまれていましたが、現在は「お菓子の里 丹波」内に移築されカフェ等として活用されています。 お洒落な雰囲気に圧倒されて一人では内部に入れなかった(汗)のですが、水面に写る姿は優雅の一言であり、素直に中も見ておけば良かったです。。。  兵庫県篠山市東吹416 お菓子の里 丹波内  08年10月中旬  
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富山県立福野高等学校巌浄閣

2008-10-16 07:08:35 | 富山・福井




 旧富山県立農学校本館(明治36年築 1903)。 宮大工であった藤井助之丞の設計・施工で建てられ、明治42(1909)年には皇太子(後の大正天皇)の行啓時の御座所にもなったという由緒歴史ある建物です。 校舎全面改築に伴って昭和43(1968)年に現在地に移転・修復され、当時の吉田実県知事によって「巌浄閣(がんじょうかく)」と名付けられました。 国の重要文化財。
 
 発色の良いピンク色のペンキが結構刺激的ですが、正面中央に凝縮された装飾の数々も立派なものです。 玄関上のファンライトやペディメント付きの2階窓、屋根に載っかる半円頭の破風(?)など、当時の大工棟梁の技量が遺憾なく発揮された重要文化財の名に恥じない素晴らしい建物でした。 福野高校の敷地内にあります。  富山県南砺市(なんとし 旧福野町)苗島443  08年06月上旬


 ※写真が一部大きくなります。
  参考 『日本列島西洋館の旅』 2000年
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旧豊郷尋常高等小学校

2008-10-15 20:22:03 |  滋賀県



 豊郷小と聞くとヴォーリズ設計の小学校が頭に浮かんでしまいますが、こちらは明治20(1887)年に至塾小学校の講堂として建設され、登録文化財に指定されている豊郷小学校です。 玄関バルコニーの辺りに洋風建築のエッセンスが集められているとはいえ、華美な装飾は無く全体的に大人し目で手堅くまとめられている建物ですね。 現在は学習塾として使われている様子でした。  滋賀県豊郷町四十九院815  08年05月下旬
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グリーンハウス

2008-10-09 19:40:24 |  神奈川県










 藤沢ゴルフクラブ(創立昭和5年)のクラブハウスとしてアントニン・レーモンドの設計で昭和7(1932)年に完成。 当初は1階にゴルファーの更衣室と浴場、2階がロビー、3階には来賓室と女子更衣室が割り当てられました。 戦時中は横須賀海軍の全面接収を受けゴルフクラブは昭和18(1943)年に閉鎖。 戦後は一時、引き揚げ者の仮住まいとして使用された後、昭和28(1953)年には県営の運動場となって現在は神奈川県立体育センターの合宿所兼食堂となっています。

 奥行きのある玄関ポーチから建物内に入れば、目の前の大きな階段に誘われて現在は食堂となっている、かつてのロビーに導かれます。 以前はフロントに格子ガラスが張られ、ロビーの中央には大きな暖炉が設置されていて天井に煙突が伸びていたそうですが今は見当たりません。 それでもむき出しになった天井のトラスや円窓、床のモザイクタイル(オリジナルか分かりませんが5、6種類の図柄がありました)やテラスへの出入り口になっている扉の上の造形などに強く惹かれるものがあります。 テラスに出てみれば円筒形の階段室には雰囲気のある外階段が廻り、屋根には優しげな青緑色の瓦。 テラスの手摺の上の何とも言えない風合いの緑色のタイルと共に、この建物がグリーンハウスと呼ばれる所以を物言わず語りかけてくれていました。 現状ではボロボロでみすぼらしさが目立つ建物ですが、このまま朽ち果てさせるには本当に惜しい建物だと思います。  神奈川県藤沢市善行7-1-2  08年09月下旬

 ※参考 『残照 神奈川の近代建築』 1982
     『ヨコハマ建築慕情』 1991 
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