琴平のT邸

2013-07-01 05:15:05 | 愛媛・香川


 創業は明治26(1893)年、体育用器具などの製造を行い県内でも有数の職工数を誇っていたという都村体育器械製作所(現・都村製作所)の経営者の自邸として大正14(1925)年に建設されたもの。 木造モルタル3階建ての建物は1階が和室で2階が洋室、そして3階には和室と洋室が設えてあるそうです。 当初は建物南側に店舗兼主屋があり、2階にはそこに繋がる渡り廊下がありましたが現在は両者とも撤去されてしまっています。 建物の主たる玄関口は撤去された主屋にあった為、この洋館には正規の玄関口が無いそうです。  香川県琴平町  10年08月中旬

 ※参考『香川県の近代化遺産』  2005

 ※個人邸ですので見学の際はご配慮願います。



 3階にはバルコニー。


 ステンドグラスが嵌まっています。


 建物から少し離れると寄棟屋根が見えました。


 窓枠は木製なのでしょうか。


 大工棟梁は本田正という人物。


 2階側面にある大きな開口(ガラス窓)が渡り廊下のあった部分になると思われます。

淡翁荘

2013-01-24 21:24:06 | 愛媛・香川




 (…前回からの続き) 浮き立つ気持ちを抑えつけながら階段を上っていく。


 「天使―澁澤龍彦に捧ぐ」 1993


 澁澤龍彦(1928~1987)は小説家であり、昭和40(1965)年に雑誌「新婦人」でベルメール(独)の球体関節人形を紹介した事でも知られる。
 

 天使に悪魔の影。


 光に導かれていく。






 「未来と過去のアダム」 1984
  
 ※注意 管理人は展示された人形を全て芸術品と解しますが、そうとは思われない方もいらっしゃると思いますので不本意ながら自主的な規制を持って掲載する事をご理解ご容赦願います。




 外はバルコニーのようになってるみたい。




 2階大広間。


 パンフレットに載った昔の写真を見てみると当初は木造住宅が連続した建物でした。 老朽化した部分を取り壊し独立建物として改修・整備したようです。


 「ナルシシズム」 1998


 床の寄木細工は鎖を模したようなデザイン。


 暖炉。


 「少女」 2008






 溜め息が漏れる。


 天井の繰型も美しい。








 「少年」 2005


 「少年」も「少女」も秘蔵っ子だったのを里子に出されてここに来たものという。


 奥の扉は開かない。


 2人の間を通り抜けるのを少しだけ躊躇いました。


 心を落ち着けて。






 「男の人形1」 2000




 「男の人形2」 2000


 奥の洋室へ。




 ここにも暖炉がある。






 「目前の愛2」 1995




 床のデザインも違ってる。
 

 ディテールの一つ一つも見飽きない。


 全てが中心から微妙にズレているような感覚がありましたが、今思うと錯覚だったのか。




 「目前の愛3」 1995


 「人形愛」の言葉の意味を悟る。




 この館の主、淡翁(鎌田勝太郎)なのでしょうか?




 悟った言葉が重い槍となって胸に突き刺さる。




 最後に残った部屋。


 間合いを詰めながら…


 「未来と過去のイヴ」 1973


 左はまだ視界に入れない。


 33歳で夭逝した家具デザイナー・森谷延雄(1893~1927)の作品が置かれています(椅子は復元品)。


 「頭部」 1960年代


 

 「少女の人形」 1960年代


 「少女の人形」 1960年代  ※自主規制


 事の後。


 最後の扉。


 「木枠で出来た少女3」 2000


 儚げな表情に心も奪われる。


 戻ろう。


 1時間の見学予定が2時間を超えていた。 撮影自由は罪作り。




 受付で聞いた「何時間でも居ていいよ…」の意味がここで分かりました。 時間を忘れてしまうだけの魅力と魔力がここには詰まっていた。




 ここは青空よりも曇り空のほうが似合うような気がする。




 ここは香川・坂出市、四谷シモン人形館。

扉の向こう

2013-01-22 20:28:21 | 愛媛・香川

 扉の奥は…


 人形達の住む世界。
 

 「目前の愛1」 1995




 御馴染みの竹内金庫(竹内製造)。


 打刻された銘板には明治二十四年製造の文字。


 扉を閉めかけた時に別の視線に気づく…


 「キリエ・エレイソン3」 1997




 ちょっと前にここから入ってきたのでした。




 ここにも2体。


 「ピグマリオニスム・ナルシシズム」 1998


 「ルネ・マルグリットの男」 1970  70年大阪万博の繊維館、真紅のロビーに十数体の彼が並んでいた。


 「彼」の隣りの部屋は応接室。


 ここは昭和11(1936)年に建てられた迎賓館。


 施工は清水組大阪支店。


 照明器具なども昔日の物が残っている。


 この人形は作り手が異なるよう。


 「クウァジ・ウルティマ」 1995


 …杉様?


 「機械仕掛の少年1」 1980








 この時点でテンションが上がってフワフワした感覚。


 何を見て撮っているのか頭が理解していない状態。




 窓から外を覗くと、この建物の本来の玄関(正門)が見えた。 




 館内のBGMはもちろんニーナ・シモン。




 

 自分は光に呼び寄せられる虫けら。


 格の高い御客様はこちらからどうぞ、となる。


 先程の応接室から見ると外はこんな感じです。




 分かりにくいけど奥の右手に扉がある。


 扉を開けると…!


 「男」 2000


 我が故郷・立川市のオリジナルキャラクター(ゆるキャラ?)は「くるりん」だそうです。 どうでもいい情報ですが、何となく思い出した。


 和室ソーン。


 もう一度言っておきますがテンション上がり過ぎて脳が若干マヒしてる状況で写真を撮っています。 解説や説明文が右から左へ抜けていく状態。






 









 これも「ちんくぐり」でいいのかな。




 和室から廊下へ出て襖を開けたらこの人。


 「機械仕掛の人形1」 2000


 これで1階を全部見たのでようやく2階へ。 (続く…)

旧高松港港務所

2013-01-20 12:08:34 | 愛媛・香川


 大正11(1922)年から昭和3(1928)年に渡って行われた高松港の第三次築港事業に伴い、新たな県桟橋の待合・券売所及び事務所として昭和2(1927)年に建設された建物。 設計は田村工務所によるもので1階の東側1/4が各船会社の事務所として細分化され、残りの大部分はほぼ全て待合室、2階には貴賓室や広間が充てられ、3階も広間になっていたそうです。 平成13(2001)年に新しい高松港旅客ターミナルビルの完成により業務を終えた後は閉鎖された状態で残されていましたが、建物の老朽化を理由として去年(2012年)の初め頃に解体されてしまいました。  香川県高松市玉藻町10  10年08月中旬

 ※参考『香川県の近代化遺産』 2005
    『香川の明治建築―大正・昭和の原風景』 1983  

 ※現存せず。



 平成22(2010)年に開催された瀬戸内国際芸術祭に伴って建物はギャラリーとして活用され、正面中央部分はミラーパネルに覆われた状態でした。 どのアングルで撮っても自分の姿が映りこんでしまうので玄関周りの写真が一枚も無い…。


 昭和28(1953)年に高松港湾事務所と改称され、更に昭和38(1963)年からは高松港管理事務所となっていました。


 1階待合室の柱。 無料のギャラリーとして開放されていたので中に入る事が出来ました。


 2階へと続く階段にはシャッターが降りたまま。


 瀬戸内海へと向いた2階の1/3はバルコニー。 船で旅立つ人に迎える人、旅行客にビジネス客など様々な人々の思惑が交錯した場所だったでしょう。


 昭和モダニズムまではまだ行っていない感じです。


 昭和58(1983)年刊行の写真集『香川の明治建築―大正・昭和の原風景』を読むと、高松港に沿って高松桟橋駅(昭和5年・RC造 昭和34年に移転してきた高松駅に統合され消滅)、大阪商船待合所(昭和3年・RC造 後に関西汽船待合所 設計/施工・清水組)、玉藻ビル(昭和3年・RC造の雑居ビル)、そしてこの高松港港務所と並び建つ姿が昭和の初めに完成していたようです。 80年の歳月を経て土地の記憶は完全にリセットされてしまいました。

下高瀬簡易郵便局

2012-08-05 17:55:38 | 愛媛・香川


 昭和10(1935)年に建てられた旧丸岡呉服店を昭和25(1950)年に郵便局として転用したもの。 設計・施工とも不明ですが京都の近代建築を模して建てられたものだと伝わります。  香川県三豊市三野町下高瀬533-2  10年08月中旬



 周りの家屋とは趣を異にする圧倒的な存在感。


 パラペットには屋号の「ヤマヤ」の文字。




 正面向かって右側が郵便局、左は住居として(?)使用している雰囲気です。


 右から左に書かれているので建築当初のものかも知れません。




 南の側面にある通用口。




 ファサード中央を凹ませているので両端は塔が建ちあがったようにも見えます。




 床に残るタイル。


 内部の中央は吹き抜けになっていて天窓がついているそう。


 山形の七日町二郵便局は洋品店を郵便局に転用したもの。 旧郵便局を商業店舗に転用する例は比較的多いのですが、その逆は非常に少ない印象があります。


 接する路地は古くからの商店街という感じではなく、それだけにこの建物の異質さだけが際立っています。

愛媛県庁舎

2012-05-27 18:05:38 | 愛媛・香川


 3代目庁舎(明治42年築・1909)の老朽化によって建て替えられた4代目の愛媛県庁舎(昭和4年築・1929)。 設計は木子七郎(1884~1955)によるもので構造は工学博士の内藤多仲が協力、施工を東京の安藤組が担当しました。 木子家は代々、禁裏・御所に出入りする大工職の家柄で、七郎の父・清敬は宮内省関係の和風建築を手掛けたり、帝国大学の講師として我が国で初めて日本建築学を講じるなどした人物。 七郎の10歳上の兄・幸三郎も東京帝国大学の建築学科を卒業し、住友の建築部に勤めた後に宮内省に入省し宮廷建築家として活躍しました(後に独立して建築事務所を開設)。  愛媛県松山市一番町4-1  12年05月上旬他



 両翼を広げ中央には銅板葺きのドーム屋根を配す。 建設費は102万円で現在の金額に換算すると100~120億円くらいになるそう。


 ♪


 車寄せの正面には右から左に「廰縣媛愛」の文字。


 

 車寄せの装飾。


 照明部分にも装飾があります。


 内部へ。


 手の込んだ天井装飾。 


 市松模様の床は大理石。 探せばアンモナイトの化石も見つかるそうです。


 装飾がいっぱい。




 電話ボックスも建築当初からのものでしょうね。


 上階へと続く階段にも大理石が張られています。 


 ちなみにここのロビーは2階にあたります。 階数表示も昔のままですね。


 階段の踊り場にはステンドグラス。


 ステンドグラスをアップで。


 3階は赤い絨毯が印象的な空間。


 階数表示もこの通り。


 階段を上がりきった所が貴賓室。 暖炉も大理石で出来ていますが、当初から薪ではなく電気式のものであったそうです。


 

 天井のシャンデリアはガラス製で建築当初からのもの。 


 今度は4階へ。


 この円筒状の張り出しは塔屋へと続く階段部分になります。


 下部の装飾をじっくり見ていたら何か気持ち悪くなってきた(汗)。


 ここにもステンドグラスが嵌まっていますね。


 トップライトからは光が降り注ぐ。


 お約束の階数表示。


 装飾も単なる羅列ではなくデザインを微妙に変えて配しています。


 4階の正庁。 各種式典が行われる場所。


 首が痛くなるほど天井を見上げてしまいます。


 これ以上は立ち入り禁止で見られませんでしたが、柱頭の上には鷲(ワシ)の装飾などもあるそうです。


 さっき見た円筒部分の階段がこれ。


 お花模様が可愛らしい。


 ドームの下にあたる部屋は鍵がかかっていて入れなかったので戻ります。


 螺旋な階段も美しい。


 4階から見た階段室。


 別の階段から屋上も見る事が出来ました。 さっき入れなかったドーム下の部屋は会議室になっているようです。


 ここは両翼の前方に突き出した部分。


 扉の上の装飾。


 階段を一気に下って1階に到着。


 

 1階は薄暗く、見上げた上階が恋しくなります。


 そろそろお別れの時。
 

 

 日の丸と愛媛県旗が翻る。 素晴らしい建物を堪能出来た事に感謝。

石崎汽船本社

2012-05-14 19:53:13 | 愛媛・香川


 江戸時代から続く海運業者の本社屋として三津の海岸端に建設されたもの(大正13年築・1924)。 三津は松山市周辺の海の玄関口であり、明治36(1903)年に開設された三津~尾道間航路により本州への最短窓口になるなど大変な活況を呈していました。 建物は鉄筋コンクリート造(RC造)地下一階で地上二階(一部三階)建て。 一階には事務室と応接室、二階は来賓室や会議室・食堂にあて、三階には秘書課の為の部屋を設け、職住一体型ではない(社長の住まいがドッキングしていない)事務所専用ビルとしては県内でも初期のものになるそうです。 建物の設計者は木子七郎(1884~1955)。 愛媛県で初めてのRC造である萬翠荘(旧久松定謨邸・大正11年)を手掛け、関東大震災(大正12年)後の復興事業にも携わっていたことから、この本社ビル建設にあたっては特に耐震耐火に気を配り、自らが施工監督にあたり技術指導をし、資材の購入まで細部に渡って関与していたそうです。  愛媛県松山市三津1-4-9  12年04月下旬

 ※参考『愛媛の近代洋風建築』 1983
    『愛媛温故紀行』 2003
    『三津の古建築ものがたり』 2011
    『萬翠荘物語』 2012 



 柱型の間に薄茶のタイル。 創建当初の写真と見比べても外見上の大きな変更点はありません。


 総工費は38、366円(当時)。 ちなみに萬翠荘は30万円かかったといわれています。


 2階のバルコニー。 上棟式では懸賞付きの餅まきを行い、竣工したばかりの新型船との祝賀披露を兼ねて600人もの群衆が詰めかけたという。


 装飾品の多くは大阪から調達。 


 窓枠は予算の都合で鉄枠から木製に変更、エレベーターの設置もやはり予算により中止になったそうです。


 痕跡で分かりますが、ここは出入り口になっていました。


 かつては会社の前は砂浜で泳ぐ事も出来たそうですが、埋立てや港の大改修により海岸は遠くなっています。

旧引田郵便局

2010-11-21 19:48:04 | 愛媛・香川






 大正初期に東京の「あめりか屋」から高松にやってきた松末某により昭和7(1932)年に建てられたという旧郵便局舎。 2階建てのように見えますが平屋の建物で、採光用と思しき八角形窓が独創的でモダンな表情を作りだしています。 構造は木造かと思ったらコンクリート造、それも木筋コンクリートという他では殆んど聞いた事が無いような構造形式。 知る限りでは岩国徴古館(山口県 昭和20年)が竹筋コンクリート造だったと思いますが、木筋というのは竹筋のひとつ前段階の施工技術だったのでしょうか? そういえば半円ペディメントにあしらわれた郵便マークの〒部分だけが木片ぽいのも何だか不思議に思えてきます。  香川県東かがわ市引田2253  10年08月中旬


 説明看板。 こちらでは東京の松末組の設計・施工と記載されています。

香川県農業試験場本館

2010-02-03 07:04:46 | 愛媛・香川





 
 昭和5(1930)年に本場を現在地に移転した時に建設されたもの。 単に農業に関する試験・研究をするだけの施設では無く、農民たちの研究の場や農事相談所、集会所としての役割も果たすなど地域社会と密接に関わってきた建物です。 車寄せを備え風格を感じさせる立派な建物ですが、2年後の2012年までには農業試験場は他所へ移転予定、跡地には病院が建設される事が周知の事実のよう。 広大な敷地なので病院建設予定地から直接は外れているようですが、今後の周辺整備の方向性によってはその存在も危ういものになってしまうかも知れません。  香川県高松市仏生山町甲220  09年7月中旬  

滝宮駅

2010-01-28 07:13:26 | 愛媛・香川





 大正15(1926)年開業のレトロ駅舎。 カラフルに塗り分けられた下見板の建物に赤い丸ポストが寄り添う様はとても可愛らしい出立ちです。 竣工時はモルタルスタッコ壁にハーフティンバーという仕上げだったらしいのですが、それもまた見てみたかったですね。  香川県綾川町(旧綾南町)滝宮  09年07月中旬


 ※おまけ 滝宮駅から南に出た道路沿いにあったのは旧中国銀行滝宮支店(昭和8年築 1933)。 厚く塗り込められていますが玄関の鉄扉に「中国・・滝宮・・」という文字が判読出来ます。


旧東亜温泉

2009-11-16 07:10:40 | 愛媛・香川





 先日紹介した角本金栄堂から東に歩くこと数分、通りから一歩下がった所にある旧東亜温泉の建物は昭和2(1927)年の築。 2階建てですが階高があるので他の建物より頭ひとつ飛び出していて非常に目立つ存在です。 正面部分には4本の柱型、色ガラスの入った欄間窓や窓上のアーチ型の装飾など、平面的な建物が立体的に見えるように工夫が凝らされています。 裏手に続く平屋の建物は旧浴室でしょうか。  香川県坂出市室町  09年07月中旬

 ※現在は個人邸(?)のようなので、見学の際はご配慮願います。


 ※おまけ  こちらは八幡町ある旧八幡湯(昭和初期築?)。 裏手は見ていませんが、壁面全体に玉石が塗りこめられているのが他では見ない大きな特徴になっています。 こちらも現在は個人邸としての活用。



 旧八幡湯のそばで見つけた建物。 詳細は不明です。 


角本金栄堂

2009-11-09 07:08:30 | 愛媛・香川




 坂出のアーケードが続く商店街の東端にあるのがこの建物(昭和9年築・1934)。 当時、坂出の商工会理事であった施主の角本氏が、地元大工を神戸に連れ建築見学させて建てたものと伝わります。 現在は1階部分は喫茶店になっていますが、当初は1階が菓子問屋、2・3階は畳敷きの和室を設えた住居部分にあてられていました。 港で栄えた坂出の商店街も今や車社会となって人の流れが変わり、昼間でもどこか薄暗く寂しげな風が吹くばかりです。  香川県坂出市元町1-10-22  09年07月中旬

 ※参考 『香川県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』 2005

堀家時計店

2009-10-08 07:15:45 | 愛媛・香川





 丸亀駅の北口、かつての福島遊郭近くに建つ看板建築の時計店(昭和初期築)。 元々は医院として建てられ、一時期はホテル(トキワ・ホテル?)ともなっていたようです。 遊郭街の残映を帯びた艶っぽい建物とは対照的に優等生のような建築。  香川県丸亀市西平山町98  09年07月中旬

旧鶴身病院

2009-08-22 07:09:02 | 愛媛・香川






 そぼ降る雨の中、大正期の病院建築とご対面(大正元年築 1912)。 廃墟系のサイトではこの建物を見た事がありましたが、自分の目指す建物がこれだとは思いもしませんでした。 建物は寄棟屋根で下見板張り、正面側は上げ下げ窓で玄関上にはファンライトを備えた造り。 地方の医院建築として文化財に指定されてもおかしくない立派なものですが、荒らされてしまって風通しのよい無残な姿に成り下がってしまっています。 このまま放置されたら火でも付けられやしないかと心配になってきます・・・。    香川県高松市牟礼町  09年07月中旬

 ※管理されています。 無断立ち入りせぬようご注意ください。
  「鶴見」では無く、「鶴身」病院の誤りでした。
  お詫びさせて頂くとともに、記事内容を訂正致します(陳謝)。

 ※追記 『香川県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』によると、施主は九州帝国大学医学部の第一期卒業生であり、卒業後、釜山病院長として韓国に赴任し、帰国後にこの病院を建設。 当時の県内では珍しかったレントゲンを備えており、旧牟礼村内だけでなく村外からも多くの患者が集まったとの事です。 

旧坂出港務所

2009-08-19 07:15:57 | 愛媛・香川





 坂出港は江戸時代より塩の積み出し港として栄え、近代的な商港として発展してきた歴史があります。 この建物は昭和9(1934)年に建てられ、港の発展とともに煩雑になる港湾業務に携わってきたと思われます。 いつ頃まで使われていたかは分かりませんが、平成10(1998)年に港務所の改築(新築移転)の記録があるので、その頃まで使用されていたものとも考えられます。 昭和初期らしい無骨な建物ですが、細部の装飾や展望塔の白色ドームがノスタルジックな雰囲気を高めていて美しささえも感じました。 このまま放置するには惜しいですし、フィルム・コミッション等で活用されたらいいと願ってしまいます(・・・と思ったら既にその用途で活用されてました)。  香川県坂出市築港町2  09年07月中旬

 ※追記 『香川県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』によると、この建物は1階を大阪商船の乗降場として待合室や切符売り場に使用し、2階を港務所として港に関する行政事務の場としていたそうです。 3階は畳敷きの休憩室、塔屋は物見台あるいは風速計測室だったらしいとの事。 昭和31年に港務所が移転した後は坂出海上保安署として昭和46年まで使われていたそうです。