カトリック富岡教会

2012-11-01 18:44:14 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 安政2(1855)年の箱館(函館)の開港(外国船への食糧・薪水の供給)に伴って蝦夷地(北海道)に伝来してきたカトリック教は、フォーリー宣教師による札幌での布教を経て明治15(1882)年に小樽でも伝道が開始されます。 明治24(1891)年に永井町に建てられた聖堂が5年後に焼失すると、同35(1902)年に量徳町に仮聖堂が再建されたりしましたが、昭和4(1929)年に富岡町の約1100坪の敷地にこの聖堂が新たに献堂されました。 建物は中世ロマネスクとゴシック様式を混在させた外観とされ、RC造の柱と木造を組み合わせた構造で1階は集会所、2階が単廊式の聖堂となっています。  北海道小樽市富岡1-21-25  11年05月上旬

 ※参考『小樽市の歴史的建造物 歴史的建造物の実態調査(1992年)から』 1994
    『最新版 小樽歴史探訪』 1999
    『小樽の建築探訪』 1995



 切妻屋根の中央正面に十字架を掲げた尖塔が載る。


 現在の稲穂・富岡といった辺りは明治半ばまでは北垣国道と榎本武揚の所有地で丘陵と畑地が続く起伏の激しい土地でした。 それでも明治28(1895)年には富岡1丁目の大部分は宅地としての体裁は整っていたといいます。






 1階の柱の間にはレンガが積まれています。


 重厚な玄関ポーチの開口部は尖頭アーチ。


 玄関ポーチの左右にあるステンドグラスは平成18(2006)年に新たに設置されたもの。 この他にも多くのステンドグラスが同時に設置されたようです。


 入口見返し。


 2階の聖堂に向けて階段を上がります。 踊り場にある蔦のステンドグラスも平成18年の設置。 「蔦のからまるチャペル」と呼ばれていた時代を思い起こして製作されたものだそうです。






 聖堂内へ。


 柔らかな光に灯される。








 聖堂を出ます。


 地獄坂と呼ばれる急な坂道を上って辿り着いたのがウソみたいに穏やかな景色が広がっていました。






 階段を降りていく。


 東側の側面。


 聖堂の裏には同時期に竣工したといわれる司祭館。


 資料によると木造で外壁はスレート張りとなっています。


 教会の鐘は竣工と同時に主任司祭として着任したソラノ神父のドイツに住む父親から寄贈されたものだったという。

函館市文学館

2012-08-06 21:15:36 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 函館の電車通りに建つこの文学館は、大正10(1921)年完成の旧第一銀行函館支店を補強改修・転用した施設。 設計の西村好時(1886~1961)は後に『銀行建築』という本も著す(昭和8年・1933)ことになる銀行建築のスペシャリストだった人物になります。 彼は東京帝国大学を卒業後に曾禰中條建築事務所を経て清水組(現・清水建設)に入社、この建物は第一銀行建築課長に移籍・就任した直後に手掛けたものになるようです。  北海道函館市末広町22-5  12年07月下旬



 

 玄関ポーチは当初、2間(約3.6メートル)前方に突出していましたが、大火後の歩道拡張に伴って昭和9(1934)年頃に現在の形に改められたもの。


 構造は鉄筋コンクリートの骨組みに壁が煉瓦積みの混構造。 西村が函館支店の2年前に手掛けた第一銀行の熊本支店と全く同じ構造になります。


 共同設計者の八木憲一は清水組の技師で、新宿伊勢丹百貨店(昭和8年)などの設計にも携わっています。


 復刻された箱館ハイカラ號が建物前を横切る。 旅愁をかきたてる光景が函館の日常風景。


 こちらが大正8(1919)年築の旧第一銀行熊本支店。 白い花崗岩と茶色の化粧煉瓦の配色は函館支店と共通するものです。 

カトリック住ノ江教会

2012-07-09 17:36:52 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 石川県鶴来町出身で米穀業・共成㈱の社長や小樽区会議員などを務めた佐々木静二の邸宅として明治30(1897)年頃に建設。 起くり屋根の玄関脇に張り出した洋風の応接間が印象的な建物です。 昭和24(1949)年にカトリック富岡教会の分教会に転用され現在に至っています。  北海道小樽市住ノ江2-2-4  11年05月上旬他



 ほぼ真東からのショット。 木造平屋建てです。


 屋根は葺き替えられていますが当初は瓦葺きでした。


 右に見える十字架と鐘楼は教会に転用した際に追加されたもの。


 表玄関。 起くり屋根などは和風色が濃いものです。


 応接間は完全に洋風ですね。 白色のペイントが綺麗。 


 脇玄関。 現在は塞がれてしまって窓があるだけ。


 持ち送りの装飾は何をモチーフにしてるのでしょう。 








 聖母像。


 ブドウは豊穣と生命のシンボル。






 裏手から。 左の建物が元の土蔵(現・司祭館)ですが、平成5(1993)年に外装を張り替えたのでそれと気付きません。


 築百有余年、もはや教会としてからの方が期間が長くなっています。

遺愛幼稚園

2012-05-17 19:00:47 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 遺愛幼稚園は明治15(1882)年創立の遺愛女学校(現・遺愛学院)の附属幼稚園として明治28(1895)年に創設。 しかし明治40(1907)年の大火で建物は焼失し幼稚園は一時廃止されていましたが、大正2(1913)年に再建されたのが現在の建物になるのだそうです。  北海道函館市元町4-1  11年04月下旬



 淡いピンクの下見板が幼稚園っぽくて可愛らしい。 建物はレンガの基礎の上に建っています。


 味付けは繊細というよりは大らか。


 建物の設計者は不明ですが、杉並町にある遺愛学院の本館・宣教師館(共に明治41年築)にも通じた明るいデザインです。


 裏から見ると特徴的な屋根が良く見える。


 こちらは窓枠の白いペンキが少し剥げかかっていますね。


 平屋の附属舎が隠れていました。

 ※現役の幼稚園舎として使用されていますので見学の際は充分にご配慮願います。

旧秋山弁護士事務所

2011-11-10 19:50:44 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 小樽警察署の向かいにあるこの建物は大正4~5(1929~30)年頃に買い入れた本宅に、大正10(1921)年に増築したという事務所建築でした。 2階部分のスティックスタイル風デザインが一際目を引きますが設計者は分かっておらず、施工については大虎(大虎組)ではないかといわれています。  北海道小樽市富岡1  07年04月下旬他



 左奥の茶色い建物が大正4~5年頃に買い入れた本宅?


 窓の菱形部分には何か模様が入っているようにも見えるのですが、資料に載ってた内部写真にはそれらしきものは写っていませんでした。  




 建物は秋山氏の娘婿の宮澤弁護士の事務所として受け継がれ、近年はレストランに転用されていた時期もあったようです。



 ※参考  同じ小樽市内にある北海道大学共同利用施設忍路臨海実験所(旧北海道帝国大学水産学科忍路臨海実験所 大正13年・1924)。 1階が下見板で2階がモルタルという同様のテイストの建物ですが印象はかなり異なりますね。 こちらの設計は北海道帝国大学営繕課(阿部某)。

旧高島町役場

2011-06-16 19:20:32 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 昭和15(1940)年に小樽市に合併された(旧)高島町の町役場として昭和10(1935)年に建設されたもの。 鰊(ニシン)漁場の拠点として栄えた町のシンボル的建物は現在、小樽高島診療所と名前を変え地域の医療活動に貢献しているようです。  北海道小樽市高島4-1-1  11年05月上旬








 1階と2階の窓の間にある装飾。




 表札部分が抉り取られています。


 外壁は石綿セメント版を下見板風に重ねてビス留め。 拡大写真を撮っていませんでした。。。 


 資料によるとRC造の地下一階があるようです。


 門の裏にあった寄附者の名前の入ったプレート。


 強く違和感を覚えたこの部分には古写真を見てみると縦長窓が2つ並んでいました。

旧亀井邸

2011-05-16 19:31:46 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 大三坂の坂の途中、元町カトリック教会の真下に建つこの洋風住宅は、評論家・亀井勝一郎(1907~1966)の父である喜一郎によって大正10(1921)年に建てられたもの。 埼玉県秩父市で生まれ、函館での設計活動で才能を飛躍させた関根要太郎(1889~1959)の手によるモダン住宅です。 ピンク色に塗られた建物は下手をすれば軽快感よりも軽薄感が強調されてしまいますが、弓型に張り出したボウウィンドウと波型に緩くうねった切妻面のボリュームバランスが絶妙でそのような印象は微塵も感じさせません。 完成当時、最先端の建築様式でまとめ上げられた建物は、若き建築家の見果てぬ夢が今現在まで続いている事を確信させるかのようです。  北海道函館市元町  11年04月下旬














 ※非公開の個人邸です。 見学の際は十分にご配慮願います。

旧水上歯科医院

2011-05-10 20:30:50 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 現在は個人邸として使用されているこの建物は昭和7(1932)年に歯科医院として建設されたもの。 設計者は不明となっていますが施工は地元・小樽で最大手の建築請負であった大虎(大虎組?)という事が分かっています。 建物の規模や雰囲気、建築年代から推察するとRC造のように思えましたが実際は木造3階建て。 実は明治中期から昭和の初めにかけて隆盛を誇った大虎が後に衰退していったのは正にその点、優れた木造建築の技術を持っていながらもRC造という新たな建築技術の波に乗り遅れてしまった事が大きな要因だったといわれています。 この建物を見る時、大虎が衰退していく時期の作品と捉えるか、得意としていた木造技術の集大成と捉えるかによって判断が微妙に変わりそうですが、私には後者の見方でしかこの建物に接する事が出来ません。  北海道小樽市住ノ江1丁目  11年05月上旬

 ※現在は個人邸ですので見学の際はご配慮願います。















北海道知事公館

2010-03-02 18:41:03 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)











 昭和11(1936)年に三井別邸新館(三井クラブ)として完成。 三井合名会社の迎賓館となった建物は三角の大きな切妻や屋根窓、そして赤く塗られた梁や柱が印象的なハーフティンバー様式です。 外観のダイナミックさに比べると内部は豪奢を省いた落ち着きのある空間、それでも旧財閥の賓客用建物だけに造りは勿論一級品、裏庭には広大な緑地が広がっていて札幌の中心部にいる事を忘れそうなほどになります。 昭和28(1953)年に北海道の所有になって知事公館となっているようですが、平日のみ(?)館内を見学できるようです。  北海道札幌市中央区北1条西16丁目1-3  07年05月上旬


旧小樽組合基督教会

2010-01-19 07:12:19 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)




 現・日本基督教団 小樽公園通教会(大正15年築 1926)。 いかにも雪国といった傾斜のきつい切妻屋根の建物に2階礼拝堂へ上がる階段塔が組み合わされたシンボリックな外観をしています。 教会創立70周年の昭和47(1972)年に改修が行われ、玄関部が現在のような3連アーチに変更されました。 建物の設計は小樽市の建築課長だった成田幸一郎。  北海道小樽市花園4-20-18  07年05月上旬


 ※おまけ 同じ通り沿いにある花園会館(昭和2年築 1927)。 こちらも屋根の傾斜はかなり急。 分離派の影響があるといわれるファサードを除けば造形的には単純に思えます。 設計・萩原米治郎。  花園4-3-8

旧百十三銀行小樽支店

2009-09-08 07:07:42 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)




 百十三銀行の前身である百十三国立銀行は道内に本店を置く初の銀行として明治11(1878)年に創設。 本店は函館に置かれ、明治26(1893)年には道内初の支店として小樽に店舗が構えられました。 この建物は2代目の小樽支店として明治41(1908)年に建設されたもので構造は木骨石造り。 後の改装で外壁はタイル貼りに改められたものだそうです。 とても100年も前の建物には見えないくらいしっかりしていますね。  北海道小樽市堺町1-25  07年04月下旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ こちらが明治26年に建てられた初代の小樽支店(旧第百十三国立銀行小樽支店)。 軒下にこの銀行のマークである分銅印の模様が取り入れられています。  小樽市堺町1-19 



小樽バイン

2009-01-20 07:12:46 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)



 明治45(1912)年築の旧北海道銀行本店であり、銀行建築の名手・長野宇平治の設計による建物。 辰野金吾の下で斜向かいに建つ日本銀行旧小樽支店の設計に携わりながら、自宅ではこの建物の設計も同時に行っていたという逸話が残るのが、名手の名手たる所以でしょうか。 カボチャ色に塗られた石造の建物は、現在はワインカフェになっています。   北海道小樽市色内1-8-6  07年04月下旬、05月上旬

 ※写真が一部大きくなります。

有島武郎旧邸

2008-10-23 07:06:15 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)







 小説家・有島武郎(1878~1923)の自邸として、大正2(1913)年に北12条西3丁目に建設されたもの。 青・壮年期の合わせて12年間を過ごした札幌は、武郎にとっては特別な思い入れのある場所であり、この地に永住する気持ちで自ら設計構想にあたってこの家を建てたそうです。 しかし完成翌年、愛妻・安子が病(肺結核)に倒れたこともあり、札幌での生活は早々に切り上げられ、以後この建物は幾度かの変遷を経て北海道大学の手に渡って職員や大学院の寮として利用されていました。 昭和58(1983)年の廃寮に伴って「札幌芸術の森」内に移築され、現在は有島武郎に関する資料の展示室となっています。 室内から見る菱形模様の窓のデザインが特に強く印象に残る建物でした。  北海道札幌市南区芸術の森2-75 札幌芸術の森  07年05月上旬

豊平館

2008-09-20 11:56:08 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)









 洋風としては現存する国内最古のホテル建築(明治13年築 1880)。 安達喜幸を中心とする開拓使工業局営繕課により建てられたもので、一説によると安達はJ・コンドルらから構造上の提言を受けてこの建物に取り組んだとも云われます。 竣工翌年の明治天皇の北海道行幸の際の行在所にあてられたのを開館日として、以後は民間に貸し付けられホテルと西洋料理店として引き継がれました。 後の大正天皇や昭和天皇など皇族の宿泊もありましたが、次第にホテルとしての機能は薄れ、公会堂や音楽会場として市民の文化活動の拠点へと変わっていきました。 昭和33(1958)年に中島公園へと移築され、現在は結婚式場などとしても利用されています。

 アメリカ風の下見板張りにヨーロッパのコリント式の柱頭飾り、懸魚の付いた櫛型のペディメントなど、日米欧のスタイルが絶妙に融合した建物は、白の外壁にウルトラマリン・ブルーの縁取りがとっても爽やかな印象を放っています。 中に入ってみればシャンデリアや暖炉などに目を奪われますが、一番の注目点はシャンデリアの吊り下がっている中心飾り(メダリオン?)の漆喰彫刻。 朱色が入るくらいの地味目なものですが、作者は伊豆の長八の系統と推測され、「波に千鳥」や「鳳凰」、「梅」など各部屋により異なった和のテイストが楽しいです。  北海道札幌市中央区中島公園1-20  07年05月上旬

 ※参考  『日本の駅舎とクラシックホテル』
      『札幌の建築探訪』
      『ノスタルジック・ホテル物語』
      『郷愁の時を訪ねて クラシックホテルの物語』  他  

旧通信電設浜ビル

2008-08-23 00:00:00 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)



 現・協和浜ビル(昭和8年築 1933)。 運河沿いに姿を見せるこの建物は、小樽初の貸しビルとして建てられたもの。 パッと見は4階部分のアーチ窓位しか印象に残りませんが、柱に埋め込まれた照明など玄関周りの装飾はなかなか手が込んでいます。 建築後間もなく、石原裕次郎の父親が勤務した山下汽船小樽支店が、この建物の3、4階に入居していたそうです。  北海道小樽市色内1-2-18  07年05月上旬