安政2(1855)年の箱館(函館)の開港(外国船への食糧・薪水の供給)に伴って蝦夷地(北海道)に伝来してきたカトリック教は、フォーリー宣教師による札幌での布教を経て明治15(1882)年に小樽でも伝道が開始されます。 明治24(1891)年に永井町に建てられた聖堂が5年後に焼失すると、同35(1902)年に量徳町に仮聖堂が再建されたりしましたが、昭和4(1929)年に富岡町の約1100坪の敷地にこの聖堂が新たに献堂されました。 建物は中世ロマネスクとゴシック様式を混在させた外観とされ、RC造の柱と木造を組み合わせた構造で1階は集会所、2階が単廊式の聖堂となっています。 北海道小樽市富岡1-21-25 11年05月上旬
※参考『小樽市の歴史的建造物 歴史的建造物の実態調査(1992年)から』 1994
『最新版 小樽歴史探訪』 1999
『小樽の建築探訪』 1995
切妻屋根の中央正面に十字架を掲げた尖塔が載る。
現在の稲穂・富岡といった辺りは明治半ばまでは北垣国道と榎本武揚の所有地で丘陵と畑地が続く起伏の激しい土地でした。 それでも明治28(1895)年には富岡1丁目の大部分は宅地としての体裁は整っていたといいます。
1階の柱の間にはレンガが積まれています。
重厚な玄関ポーチの開口部は尖頭アーチ。
玄関ポーチの左右にあるステンドグラスは平成18(2006)年に新たに設置されたもの。 この他にも多くのステンドグラスが同時に設置されたようです。
入口見返し。
2階の聖堂に向けて階段を上がります。 踊り場にある蔦のステンドグラスも平成18年の設置。 「蔦のからまるチャペル」と呼ばれていた時代を思い起こして製作されたものだそうです。
聖堂内へ。
柔らかな光に灯される。
聖堂を出ます。
地獄坂と呼ばれる急な坂道を上って辿り着いたのがウソみたいに穏やかな景色が広がっていました。
階段を降りていく。
東側の側面。
聖堂の裏には同時期に竣工したといわれる司祭館。
資料によると木造で外壁はスレート張りとなっています。
教会の鐘は竣工と同時に主任司祭として着任したソラノ神父のドイツに住む父親から寄贈されたものだったという。