保土ヶ谷カトリック教会(保土ヶ谷「被昇天の聖母マリア」教会)

2012-02-21 19:28:15 |  神奈川県


 フランス出身のシェリル神父により昭和13(1938)年に建設された教会。 神父は明治38(1905)年から昭和13年まで30年以上の長きに渡って東京・神田教会の主任司祭を担当し、東京教区から分離・新設された横浜教区のこの教会の初代司祭として建設工事に携わったといわれます。 建物の設計・施工者に関しては明確ではないようですが、横浜山手のカトリック教会(昭和8年)と類似する点も多い事から、スワガー/関工務店ではないかと推察されるようです。  神奈川県横浜市保土ヶ谷区霞台8-41  10年08月上旬他

 

 建設当時は周囲には葡萄畑が続き桜の木も多く、高台になっている事から何より見晴しの優れた場所だったという。




 軽やかなアーチ窓が並ぶ。


 スワガー/関工務店の組み合わせは旧バーナード邸やカトリック豊中教会、震災により先頃解体された旧ノートルダム修道院(福島)などが挙げられます。


 室内にもアーチが用いられ居心地の良さや安堵感に満たされる空間が広がっています。










 建物の北西面。






 敷地内で向かい合う司祭館は、教会より少し前に完成した建物みたい。

粟野の見世蔵と洋館

2012-02-18 21:11:48 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)


 平成18(2006)年に鹿沼市と合併して廃止された(旧)粟野町に残る黒漆喰塗の見世蔵と石造の洋館建築。 正確な建設年代は不明ですが明治から大正頃のものとされています。 こちらのお宅は天保年間に菜種・胡麻・荏などから絞油を行っていた事から屋号を代々「油屋」と称す旧家で、林業にも携わり明治から昭和にかけては郵便事業も任されていました。 この建物も当初は郵便局として使用された後、昭和5(1930)年までは下野中央銀行の粟野支店となっていたそうです。  栃木県鹿沼市(粟野町)口粟野  11年06月下旬

 ※参考 『栃木県の近代化遺産』 2003
 ※現在は個人邸と思われますので見学の際はご配慮願います。



 イギリス積みのレンガとタイルのコンビネーションが折り目正しさを感じさせる。


 タイルは銀行として使われていた時に貼られたものとされています。


 雷文入り。






 撮影した時は気付きませんでしたが丸ポストがありますね。 旧郵便局というのも納得。




 この部分を見ると石造というより木造か土蔵造りのようにも思えてしまいます。。。




 ここでは掲載しませんが表札には今でも「油屋」という2文字が入っています。


津宮の建物

2012-02-16 19:36:51 | 埼玉・千葉


 香取駅の北側を走る国道沿いで見つけた小さな洋館。 確証はありませんがお隣の津宮郵便局の旧局舎と思えます。 この冬は各地で厳しい寒さが続いていますが、萌黄色の建物にちょっとだけ春を先取りしたような気分になりました。  千葉県香取市津宮  12年02月上旬



 庇の上に「局便郵宮津」という看板が掲げられていたのでしょうか。


 大小の引違い窓を2段重ねています。


 目の前を車が引っ切り無しに通っていますが、人通りはほとんどありません。


 看板は意図的にこの位置に建てられたのでは?




 春の足音が聞こえてきます。

旧利根銀行新治支店

2012-02-14 19:02:27 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)


 明治33(1900)年に新治村に資本金1万円(当時)で設立された利根銀行の社屋として明治40(1907)年に建設されたもの。 利根銀行は大正15(1926)年に沼田商業銀行と合併、この建物は利根銀行の新治支店となりました。 その後も銀行の合併・再編などにより群馬中央銀行~群馬銀行~群馬大同銀行の各支店となりましたが昭和9(1934)年に銀行としての役割は終えました。 昭和28(1953)年からは土建業者の事務所として使用され現在に至っているようです。  群馬県みなかみ町羽場1094  10年04月下旬

 ※参考 『群馬県近代化遺産総合調査報告書』 1992
     『颯爽たる上州 群馬の近代化遺産』 1995



 関東と越後を結ぶ三国街道沿いに建つ。 起り(むくり)屋根の玄関ポーチが和的です。 


 玄関上部にはファンライト。 一転して洋風のイメージ。 




 築100年を超え、各部には経年劣化も。


 合併先の沼田商業銀行の建物(旧沼田貯蓄銀行本店・明治41年頃)も沼田市内に現存していますが、あちらは囲いで覆われてしまってその姿は殆んど見えません。

旧川崎銀行水戸支店

2012-02-06 18:10:38 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)


 水戸市の南側に位置する茨城町海老沢に生まれた川崎八右衛門(1834~1907)により設立された川崎銀行。 川崎家は回漕問屋として東北諸藩の御用達を勤め、幕末期には水戸藩の財政立て直しの為に藩内で通用する藩札・通貨の鋳造など、鋳銭事業も手掛けるようになっていきました。 明治7(1874)年には為替取扱業の川崎組を創設、本店を東京・日本橋に置き現在の警視庁や千葉・茨城両県の公金取扱いを行って富と信用を蓄えていったそうです。 そして明治13(1880)年に川崎組は銀行組織となって川崎銀行と改称。 後に川崎財閥へと発展していく我が国を代表する私立銀行の誕生でした。

 水戸にこの建物が新築されたのは明治42(1909)年の事。 設計は明治15(1882)年に工部大学校造家学科(現在の東大工学部建築学科)を卒業した新家孝正(1857~1920)。 構造は鉄筋コンクリート(RC)造といわれ、国内では最も早い時期のものとなるそうです。  茨城県水戸市泉町3-2-4  09年01月中旬他

 ※参考『総覧 日本の建築 関東』  1989
    『特別展 西洋ロマンとモダン建築 水戸の近代建築から』  2004
    『茨城県の近代化遺産』  2007



 1階部分にはルスティカ積み風の仕上げも見られます。


 2階は白いタイルを貼って清楚な雰囲気を漂わす。 川越の旧八十五銀行本店(大正7年)にも通ずるイメージ。


 戦災で車寄せと屋根、建物内部を焼失。 戦前の古写真を見ると正面中央に三角のペディメント△を掲げ、中央と両脇の3か所に尖がり屋根がありました。


 玄関上部にあるキーストーン風の装飾。


 窓を飾る面格子。 戦前の写真には写っていないので戦後の物と思われます。


 大田原と新庄に古い建物を使用している現役の銀行店舗(信金含む)がありますが、洋風建築ではこれが一番古い?


 西側面。 こちら側にあったレンガ塀は先の震災で大部分が崩れてしまったそう。 写真を探しましたが撮っていなかった…。


 現存する国内最古のRC造は横浜の三井物産ビル(明治44年)だと思っていましたが、情報が正しければこちらの方が2年早く竣工した事になります…?