東京カテドラル 大司教館

2008-02-29 00:00:00 |  東京都



 丹下健三設計の聖マリア大聖堂の裏手で見つけた建物。 ここには過去3、4回訪問しているのに、こんな建物があったとは今回初めて気づきました(恥)。 結構古そうでしたが書物やネット等で見た記憶がなかったので、あるいは戦後の建物なのかな・・・と思い帰宅して検索してみたところ、1階は戦前の煉瓦造り(?)、2階部分が戦後に木造で増設されたものという情報を見つけました(カトリック東京大司教区の公式HP)。 優しげな雰囲気をもった趣ある建物ですが、老朽化やスペース効率など色々と問題があるみたいです。  東京都文京区関口3-16  08年02月中旬

 ※現役の教会施設です。 見学の際は十分な御配慮を願います。


 ※おまけ  こちらが聖マリア大聖堂(昭和39年築 1964)。 外装はステンレス・スチール貼りで、近未来的な姿がカッコイイ。 

 

萬歳閣

2008-02-26 07:10:16 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)



 旧松方正義別邸(明治36年築 1903)。 明治の元勲(げんくん)で2度の内閣総理大臣を務めた松方正義(1835~1924)。 日本銀行の創設に係わるなど、主に財政畑を歩んだ人だったそうですが、それだけにとどまらず農政にも積極的で、政府による殖産政策の一環として那須野ヶ原の開拓が推進されると、政府の高官や他の華族達と共に参入し、林業と牧場を主体に農場経営を図ったそうです。 
 この別邸は赤松林の中に在り、松方が新たに牧羊を手掛けるに当たって建設されたもので、当初は「松茂山荘」と呼ばれていました。 建設の翌年、塩原御用邸に滞在中の皇太子(後の大正天皇)の行幸を受けた際に、日露戦争の激戦地であった遼陽陥落の知らせを受け「万歳」を唱えた事から、「萬歳閣」と呼ぶようになったと云われます。
 
 建物は現在も松方一族による管理が行われているようで、敷地には立ち入れませんが柵越しにその姿を望む事が可能です。 建物は下見板張り、1階のファサード部分のみ大谷石が使われており、ガラス張りの大きなサンルームが特徴的。 秋には紅葉した樹木に包まれる素敵な姿が見られるそうです。  栃木県那須塩原市(旧西那須野町)千本松  千本松牧場内  07年12月下旬

 ※写真が一部大きくなります。

めぐみ幼稚園第一園舎

2008-02-25 07:06:21 | 岡山・広島・山口





 旧下関バプテスト教会(昭和5年築 1930)。 坂の階段を上りつめて辿り着いた建物はピンクとブルーが色鮮やかなカラーリング。 塔屋部分の3連アーチ窓や手すり、玄関周りなどに装飾が集中していますが、全体的にはシンプルで大人しめ(配色を除いて、ですが)のデザインでまとめ上げられています。 現在は幼稚園の屋内運動場や保育室として使用されている様子。 恥ずかしながら設計がヴォーリズ建築事務所だという事は、つい一昨日に知りました。  山口県下関市上田中町  05年12月下旬他


 ※おまけ  第一園舎のすぐ裏手、ちょっと上にあるのが めぐみ幼稚園第二園舎(旧宣教師住宅 明治38年築 1905)。 ヴェランダコロニアル・スタイルの建物で、牧師の住居として当初は福岡に建てられていたものを移築してきたそうです。 じっくり見たかったのですが、入っちゃダメ! 的なロープが通路に張られていた為に近寄れず。



 ※2つの建物とも現役の幼稚園施設として使用されています。 見学の際はくれぐれもご注意の程お願い致します。

旧陸軍省軍馬補充部六原支部官舎

2008-02-22 18:44:18 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 雑草の間から顔を覗かせているのは明治44(1911)年に建てられた、かつての陸軍省軍馬補充部六原支部の洋風官舎群です。 南北に走る道路をはさんで東に1棟、西に2棟。 最初の2枚の写真が東の建物で、こちらは支部長官舎だったらしく他の2棟に比べて少々大きめ。 草木に覆われ確認しづらいのですが、下見板張りと上げ下げ窓が見て取れます。 西の2棟は高級部員の為のもので、大きさこそ小ぶりですが長官舎と同じ様な造り。 このうち1棟は周囲の雑草も刈り取られ近接できたので、倉庫か何かに転用されている様子でした。

 『岩手の戦争遺跡をあるく』によると、日清戦争(1894~95)に勝利した明治政府は、列強諸国に肩を並べるべく軍備の拡充に着手。 当時の軍隊の主力は騎兵隊であって、馬産地である岩手は軍馬の供給に大きな役割を果たしていたそうです。 地元の村長等を歴任した桑島重三郎は、軍馬育成施設の誘致こそ地域の発展につながると考え東奔西走、明治31(1898)年に見事に誘致に成功し、施設は第一次世界大戦後の軍縮で廃止(大正14年 1925)されるまで27年間存続しました。 最盛期には千頭余りの軍馬を放牧、仕事に従事する雇い人は百人を数えるなどして地域経済に多大な貢献を果たしましたが、施設は消え、六原支部の跡地は現在、岩手県立農業学校へと姿を変えてしまい、かつての面影を残すものはこの官舎群だけとなっています。  岩手県金ケ崎町六原  07年07月中旬

 ※管理されています。 無断立入りご注意下さい。

中之条町歴史民俗資料館

2008-02-21 19:03:24 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)



 旧吾妻第三小学校(明治18年築 1885)。 新潟との県境、山間の町に残る擬洋風建築。 上から見るとコの字型をした建物で、寄棟・白漆喰壁の和の意匠に、縦長窓や隅石(風)の洋の意匠がミックスされた不思議な造形をしています。 現在は町の歴史民族資料館として活用されているので内部見学も可能。 意外にも(と言っては失礼ですが・・・)かなり充実した展示内容なので、一見の価値はあると思います。  群馬県中之条町中之条町947-1  07年04月上旬

 
 ※ おまけ 日本キリスト教団 吾妻教会の旧教会堂。 歴史民俗資料館の展示で紹介されていたので知った建物です。 現在の教会のすぐ近くにありました(詳細不明)。

  

リタハウス

2008-02-20 19:41:04 | 北海道 その他のエリア





 ウイスキー造りに生涯を捧げた『日本のウイスキーの父』、竹鶴政孝(1894~1979 ニッカウヰスキー創業者)。 本場のウイスキー造りを学ぶ為に竹鶴が単身乗り込んだ(大正7年 1918)のはスコットランド・ハイランド地方。 異国での実習に勤しむ日々の中で、彼は後に生涯の伴侶となるジェシー・ロベルタ・カウン(愛称リタ)と出会う・・・ 二人が紡いだ「琥珀色の夢」は、ウイスキーづくりの理想郷・余市で花開き、その信念は変わることなく現在まで引き継がれる。

 ※ 旧但馬八十次住宅(昭和6年築 1931)。 当初は経理事務所として使用され、その後、研究室、資料館と用途を変え、現在はティールーム「ロッホ・ローモンド」があります。 ロッホ・ローモンドとはハイランドにある美しい湖の名前で、竹鶴とリタはそこで将来を誓い合ったといいます。  北海道余市町(よいちまち)黒川町7-6 ニッカウヰスキー余市蒸溜所内  07年04月下旬
 



旧檜山爾志郡役所

2008-02-19 18:51:07 | 北海道 その他のエリア





 明治20(1887)年に檜山爾志(ひやまにし)郡役所兼江差警察庁舎として建設される。 道内に現存する旧郡役所としては唯一のもので、白ペンキ塗りの下見板が大変美しい建物です。 
 
 警察や役場の分庁舎など、100年以上もの長きに渡って使用されてきた間に、様々な手が加えられてきた建物ですが、平成5(1993)年に役場庁舎の新築移転に伴って現役を終えた後、同8~9年にかけて修復工事が行われ創建当時の姿に戻されています。 その修復工事の際に確認されたという布クロスが壁や天井に貼られ、室内(特に2階部分)はかなり華やかな装い。 妙な“うねり”を持った階段などと共に目を楽しませてくれています。 現在は江差町の郷土資料館という新たな役割を担っており、明治時代から変わらぬ眼差しで江差の町を見守り続けています。  北海道江差町中歌町112  07年04月下旬 

イタリア館

2008-02-18 19:39:08 | きた東北 (青森・秋田・岩手)


 旧フランコイタリアン缶詰工場事務所(大正7年築 1918)。 近くにある案内板によると、イタリア人のジュセップ・ファブリー(1866~1918)はイワシの缶詰を製造する為に良質のイワシを追い求め、大正5年にこの地にやって来て事業を始めたそうです。 彼の目論見は見事に的中し事業は大成功。 母国での予想以上の評価を得た事から、規模を拡大する為に赤煉瓦造りの近代的な工場や事務所を建設し、本格的な缶詰の生産に乗り出しました。 しかし当時全国で流行した悪性の感冒にかかり工場落成後間もなくにファブリーは急逝。 志半ばで倒れる事になりましたが、彼の残した事業やハイカラな風俗などは、地域の住民達に親しまれ大きな影響を与えたそうです。  建物は昭和43(1968)年の十勝沖地震で屋上にあった5本の煙突が倒れる被害に遭遇。 昭和45(1970)年にはレンガの上にモルタル塗装をしたとの事です。  青森県青森市油川浪返  07年04月下旬

 ※ 現在は個人住宅ですので、見学の際はご配慮願います。 

旧遠藤医院

2008-02-17 19:25:06 | 山梨・新潟


 大正15(1926)年築。 個人病院というより、ちょっとした町役場のように立派な建物でした。 裏手にも周ってみましたが全体的に旧状を留めているように見え、これだけの建物を維持・管理してきた家主の苦労に頭が下がります。  山梨県身延町梅平  07年12月上旬

 ※現在は個人住宅と思われます。 見学の際はご配慮願います。

 ※追記 建物は1階が診察室、2階が患者の病室になっていて住居とは完全に分離した病院専用の建物だったそうです。 平成2(1990)年閉院。  

鎌倉文学館

2008-02-15 07:09:50 |  神奈川県




 昭和11(1936)年に加賀百万石のお殿様、前田家第16代当主・前田利為により建てられた鎌倉で最大級の別荘建築。 鎌倉の3大洋館のうちの一つともいわれます。 戦後はデンマーク大使が使用したり、佐藤栄作元首相が亡くなる前まで週末の静養に使用していたそうで、この間に吉田茂元首相も訪れ、そのあたりの様子を作家・三島由紀夫が小説『春の雪』で描いているそうです。
 
 昭和58(1983)年に前田家から鎌倉市に寄贈され、現在は鎌倉文学館として一般公開されています。 内部のステンドグラスなども素敵なのですが、残念ながら内部撮影は禁止。 室内から見える鎌倉の海が大変印象的でした。  神奈川県鎌倉市長谷1-5-3  07年10月中旬

 ※写真が一部大きくなります。

 

 ※おまけ  鎌倉3大洋館の残り2つは、旧華頂宮邸とこちらの 旧濱口雄幸別荘(大正5年築 1916)。 桜井小太郎の設計です。 ここは個人邸ですので見学の際は御配慮願います。 鎌倉市扇ガ谷。
 

新井ビル

2008-02-14 18:24:33 |  大阪府




 大正11(1922)年築の旧報徳銀行大阪支店。 正面に被さる道路標識がちょいと目障りですが、1階部分の円柱と石張りの外壁が元は銀行だったという事を静かに語りかけているかのよう。 現在は「五感」という洋菓子店が入居していて、かつての金融の町に現代の華やかなりし女性たちの姿を呼び込む事に成功しています。 
 設計の河合浩蔵(1856~1934)は神戸に自らの建築事務所を構え関西を中心に活動していたそうです。 大阪市内では他に旧造幣局発電所(現・造幣博物館)が現存しています。  大阪府大阪市中央区今橋2-1-1  08年01月上旬 
  

両国公会堂

2008-02-13 19:58:56 |  東京都



 両国国技館のすぐ北側、隅田川から道一本隔てた小さな庭園の中に、銀行王と呼ばれた安田善次郎の寄贈による建物が残っています。 旧本所公会堂(大正15年築 1926)。 
 
 正面の入り口側はそそり立つ壁のようでしかありませんが、横手に回って見てみればコロンとした太っちょな体躯が視界に入り込んできます。 薄緑色のドーム屋根が暖色系の外壁の差し色となって、辺りには“ほっこり”とした和みの空間が。 冬場の良く晴れた日には、日向ぼっこをしに皆が訪れる安らぎの“ひととき”を作りだしています。 戦後は進駐軍のクラブとしても使われたこの建物は、老朽化を理由にして現在は使われてないようです。  東京都墨田区横綱1-12 旧安田庭園内  05年05月上旬他

旧高知県電気局庁舎

2008-02-12 19:46:03 | 徳島・高知



 近代建築が少ないと思われている高知県ですが、昭和初期に建てられたという立派な建物が残っていました。 『土佐の名建築』(1997年刊行)に、取り壊し予定がある・・と出ていたので、もう無いかも知れないと思っていましたが、遠くまで足を運んだ甲斐がありました。 白黒の写真しか見た事がなかったので、外壁の淡いブルーグレー色が目に眩しく感じてしまいます。 現在の使用状況が分かりませんが、塔の部分(アールになっていますね)にはらせん階段もあるそうなので、内部も見てみたいし、しっかり活用されていくと嬉しいのですが・・・  高知県南国市立田  06年12月下旬

 ※写真が一部大きくなります。

今津ヴォーリズ資料館

2008-02-11 18:22:24 |  滋賀県




 大正12(1923)年に建てられた旧百三十三銀行今津支店の建物を保存・活用して資料館としたもの。 名前の通りヴォーリズ建築事務所による設計です。 生涯に1500以上もの建物の設計をしたといわれるヴォーリズですが、銀行建築については数えるほどしかなく珍しいものかと思います。 琵琶湖を挟んでいるとはいえ、本拠地・近江八幡から今津(高島市)までは船を使えば距離は勿論、時間的にも程近く、動力船・ガリラヤ丸を使っての湖畔伝道の足跡が、建築という形となって今も残っている点が感慨深いですね。 この資料館が面する辻川通りは、他にも今津基督教会、旧今津郵便局が現存し、近年はヴォーリズ通りとして街並み整備が進められています。  滋賀県高島市今津町今津175  07年11月下旬 

三井住友銀行大阪中央支店

2008-02-10 00:00:00 |  大阪府




 旧三井銀行大阪支店(昭和11年築 1936)。 設計・曾禰中條建築事務所。 設計は違いますが、同じ旧三井銀行の建物という事で横浜の支店と非常に良く似ています。 特に大通りに面した側に4本の渦巻き円柱を備える点などは、ここだけ見たら区別がつかないくらい。 一目でそれと分かる銀行建築の典型的な形の一つといえそうです。 戦前に多くの秀作を生み出した曾禰中條建築事務所の最後の作品。 大阪府大阪市中央区高麗橋1-8-13  08年01月上旬