旧粟野郵便局

2011-11-29 20:04:08 | 南とうほく (宮城・山形・福島)

 
 国会議事堂が完成したのと同じ昭和11(1936)年の建築。 福島県の近代化遺産リストを見るとRC造となっている事に少し驚かされますが、合併前の旧梁川町は養蚕が盛んで幕末から昭和の初め頃までは蚕都として隆盛を誇り、全国から買い付け人が訪れるなど商業的にも盛んだったそうなので、そう考えれば木造ではない立派な局舎がこの場所に建てられた訳も分かるような気がします。   福島県伊達市梁川町粟野  11年09月中旬



 現局の西隣り。


 マイナスのネジで留まっているので昔の古いプレートでしょう。






 山形のパラペットに〒マーク。 パラペットを廻らした旧郵便局って意外に珍しいかも。




 斜めになった梯子の形状から推測すると附属屋があったと思われます。 


 現在も郵政公社の所有となっています。

旧岩槻警察署

2011-11-24 18:41:01 | 埼玉・千葉


 現在は岩槻郷土資料館として活用されているこの建物は岩槻警察署庁舎として昭和5(1930)年に完成したもの。 当時の岩槻町では初めてのRC造建築として県の土木課技師により設計され、施工は地元の小川啓次郎が行いました。  埼玉県さいたま市岩槻区本町2-2-34  10年11月下旬

 ※参考 『近代埼玉の建築探訪』 2006



 塔屋部分。 窓には全て鉄柵が取り付けられています。


 昔の写真を見ると玄関ポーチ部分と同じデザインの石造の門柱がここにありました。


 裏側から。


 付属の平屋建て。




 塀のデザインも昔のままっぽい。


 2階部分をセットバックさせてバルコニーにしているみたい。


 中に入るとカウンターと太くて立派な円柱。




 扉のガラス面にあった植物模様の装飾。 昔のものでしょうか。


 壁や柱、天井は全て白く統一されていて非常にモダン。


 梁の部分に施された装飾が天井周りと上手く調和していて美しい。


 アーチ型の扉がメルヘンチック。


 階段室へ。


 これ、好きです。


 2階に上がってみたいね。


 この部屋は留置場っぽい雰囲気がします。








 全体的なアールデコの中に表現派風のデザインも混じっているように感じます。
 

 施工を担当した小川氏の会社はこの建物の竣工から3年後に倒産。 昭和の金融恐慌~世界恐慌の真っ只中であったものの「採算を度外視して立派な庁舎を建てたのも一因」と近所に噂されたという。

高橋医院

2011-11-21 19:08:18 | 富山・福井


 明治41(1908)年完成の洋館医院。 施主は医学校を卒業後しばらく勤務していた東京・順天堂医院のイメージを取り入れた建物を希望し、隣の上市町の大工を実際に東京まで見物に行かせてこの医院を建てたと伝わります。 中央に2階建ての本館を置いて左手には平屋の病室、庭木に遮られて見えませんが右手に和風の住宅を備えた規模の大きな個人医院となっています。  富山県滑川市小林  08年06月下旬

 ※参考 『明治・大正期 富山県の建築』 1982  内部写真が載っています。 





 入院施設が無いかベッドの数が19床以下だと医院で、20床以上だと病院と定義されるみたい(豆知識)。


 昔の写真を見ると玄関扉は大きなガラスの入ったものでしたので、扉自体は取り換えられています。


 2階の窓はペディメント付き。 淡いピンクの外壁にグリーン系の窓枠がオシャレ。


 内部写真を見ると玄関入ってすぐの待合室は畳敷きで、右にレントゲン室があって左に診察室があるみたい。 壁には腰板が張られていて天井も凄く高そうです。


 単純に計算して今年(2011年)で103才。 一世紀分の風雪に耐えてきた重みを感じずにいられません。

大和生命保険新潟支店

2011-11-20 19:58:39 | 山梨・新潟


 明治44(1911)年に創設された日本徴兵保険会社の新潟支部として昭和15(1940)年に建設。 設計は横河民輔(1864~1945)率いる横河工務所によるもので総工費はおよそ48万9千円(当時)、当初はRC造で建てられる予定でしたが日中戦争の勃発した昭和12(1937)年頃からの金属高騰により木造に設計変更されて建てられました。 訪問した時点(2007年06月17日)で既に空家になっていましたが、この僅か2週間後位に解体されて現在は跡地にマンションが建っているようです。  新潟県新潟市中央区東中通1-86-51  07年06月中旬  ※現存せず。



 交差点に面して入口を設け、御影石やメダリオン状の装飾などで控えめに飾っています。


 解体翌年の平成20(2008)年10月に大和生命は経営破綻。 この建物が売却されたのもその辺りと関係がありそうですね。 




 横河民輔は建築家というよりも事業家としての側面が強く、建物の設計は所員に一任してしまう事が殆んどだったという。 この建物も恐らく所員の誰かの手になるものと思われます。

旧秋山弁護士事務所

2011-11-10 19:50:44 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 小樽警察署の向かいにあるこの建物は大正4~5(1929~30)年頃に買い入れた本宅に、大正10(1921)年に増築したという事務所建築でした。 2階部分のスティックスタイル風デザインが一際目を引きますが設計者は分かっておらず、施工については大虎(大虎組)ではないかといわれています。  北海道小樽市富岡1  07年04月下旬他



 左奥の茶色い建物が大正4~5年頃に買い入れた本宅?


 窓の菱形部分には何か模様が入っているようにも見えるのですが、資料に載ってた内部写真にはそれらしきものは写っていませんでした。  




 建物は秋山氏の娘婿の宮澤弁護士の事務所として受け継がれ、近年はレストランに転用されていた時期もあったようです。



 ※参考  同じ小樽市内にある北海道大学共同利用施設忍路臨海実験所(旧北海道帝国大学水産学科忍路臨海実験所 大正13年・1924)。 1階が下見板で2階がモルタルという同様のテイストの建物ですが印象はかなり異なりますね。 こちらの設計は北海道帝国大学営繕課(阿部某)。

芳流館 互盟社

2011-11-07 18:32:10 | 奈良・和歌山

 
 古座川沿いの県道227号に面して建つ木造洋風建物。 正確な建設年代は分からないようですが、大正時代に建てられた物だといわれています。 「互盟社」とはこの地域に明治時代に創設された青年会の組織の事で若衆組にあたるそう。 若衆組は集落ごとに組織されており、村での自警団的活動や消防、祭礼行事などといった仕事を分担し、夜は若衆宿に集まって一緒に寝泊まりし親睦を図った古来からの習俗なのだそうです。  和歌山県古座川町高池  11年02月中旬



 正面全景。 司馬遼太郎(1923~1996)の『街道をゆく 熊野・古座街道』では「ミルクコーヒー色の木造洋館」として描写されています。


 ちゃんとコリント式のオーダーになっているのが凄い。 設計施工は不詳ですが腕の立つ棟梁の仕事だったのではないでしょうか。






 互盟社の「互」。




 屋根瓦にも「互」の文字が。




 現在は町の文化財の獅子舞が保存されていて、グループの活動拠点になっているみたいです。