旧加治田駐在所

2012-08-09 19:44:53 | 愛知・岐阜


 富加城下の町場であり旧街道の要衝として栄えた加治田に残る明治時代の駐在所跡。 創建時の記録は不明ですが、明治6(1873)年に第二十三番取締所が加治田に設置された当時の建物だと伝えられています。 翌年に第二十三番屯所と改称され、明治10(1877)年には上有知警察署加治田分署、その後も交番所や巡査派出所と改称され、戦後になった昭和25(1950)年に駐在所の移転により理髪店(井戸理髪店)へと建物は受け継がれました。  岐阜県富加町加治田  10年08月下旬

 ※参考『改訂 東海の明治建築』 1976
    『東海の近代建築』 1981

 ※現存せず。



 1階正面はタイル貼りに変わっていますが、2階部分は建築当初の姿が残る。 アーチ型の出入口に扉は両引き戸。


 瓦には・・・ウサちゃん! 何故こんな所にウサギがいるのでしょうか?




 理髪店(現在は廃業)として内部は大きく改変されてしまっています。 当初は1階が巡査詰所と控室、2階は宿直室あるいは取調室になっていたようです。


 漆喰が剥がれ土壁が覗く。 隅石も漆喰をグレーに着色して塗り表したものと分かります。


 屋根は方形(ほうぎょう)、ベランダの屋根は起くりがついて懸魚も備わる。


 ヨレヨレの状態。 県内最古の擬洋風建築のようですが…。


 昭和25(1950)年まで地域の安全を守りました。 今度は誰がこの建物を守ってくれるのでしょうか。

愛知県庁大津橋分室

2012-08-08 19:02:53 | 愛知・岐阜


 官庁街へと向かう大津通りに東面するこの建物は、愛知県信用組合連合会が昭和8(1933)年に地元・名古屋の北川組の施工により建てたもの。 旧制の信用組合は中小商工業者の金融機関で、愛知県信用組合連合会は愛知県下の各種信用組合の連合組織であったと考えられるそうです。 2・3階にスクラッチタイルを貼ったシックな建物の設計は愛知県の営繕課、担当は黒川巳喜と土田幸三郎といわれます。  愛知県名古屋市中区丸の内3-4-13  10年02月中旬

 ※参考『愛知県の近代化遺産』 2005ほか



 階段室の東面と北面には3本のピラスター(付け柱)。


 当初は2階に食堂、3階は講堂とその控室になっていました。 現在はどのようになっているかは不明です。


 パラペットのテラコッタはグリフォン(グリフィン)でしょうか? グリフォンは黄金の守護と知られているので金融関係の建物としては相応しいものとなります。 


 3本のピラスターの下には3つの丸窓。 


 松明(たいまつ)飾り。




 現在は塞がれていますがここが本来の正面玄関でした。




 左から太陽、月、雲(?)。 何やら暗示的ですね。


 3階のバルコニーに嵌め込まれたテラコッタ。


 黒川巳喜はあの黒川紀章の父親だそう。


 施工した北川組のデータによると建物竣工は昭和7年になっています。


 

 昭和32(1957)年から愛知県の所有へと変わる。


 隣りの伊勢久は昭和5(1930)年の築。 2棟で昭和初期の大津通りの表情を今に伝えます。


 当時の愛知県営繕課は表現主義的意匠を多用していたという。

旧私立新川中央病院本館

2012-06-26 18:42:08 | 愛知・岐阜


 明治44(1911)年に九州帝大医科を卒業した施主が、新規に開業するにあたって建設した病院(大正3年築・1914)。 設計者は不明ですが診察室や手術室、応接室から調剤室まで一通りの設備を機能的に配した設計になってるそうです。 訪問時は建物を使用している雰囲気は薄く、病院の記念碑的な建物として保存しているように見えました。  愛知県碧南市松江町6-83  09年02月上旬

 ※参考『愛知県の近代化遺産』  2005



 この建物の一番の見せ場になる玄関ポーチ。 真ん中の角柱は補強用として近年に加えられたものです。


 玄関周りをペパーミントグリーンで縁取りして清潔感があります。


 古典的な装飾。


 基礎にレンガを5段積み。 後補の柱も同様の仕上げにして統一感を持たせています。








 ここは学校の跡地であったという。


 このまま大切にして欲しい。

旧大浜警察署

2012-04-12 19:29:36 | 愛知・岐阜


 明治20(1887)年に完成した木造の安城警察署大浜分署の老朽化により大正13(1924)年3月にRC造で建て替えられたもの。 同年8月に大浜警察署と改称・独立し昭和36(1961)年まで周辺地域の安全を見守り続けました。 その後は県土木出張所や公民館、市教育委員会の民俗資料保管庫となっていたそうです。  愛知県碧南市錦町1-7  10年01月下旬

 ※参考 『わが街 ビルヂング物語』 2004
     『愛知県の近代化遺産』  2005



 中央の2階建て(一部3階)部分が建築当初のもの。 木造平屋で昭和2(1927)年・同12年・同15年と3度増築されていましたが、平成21(2009)年に完了した外観整備事業により増築部の一部が撤去されています。


 正面玄関。 直線的なデザインです。




 火事や暴動・自然災害に対し、治安を守る立場にある警察署の建物は安全でなければならぬという考えから、中央・地方に関わらず警察署の建物はRC造が積極的に採用されるような時代背景があったという。






 印象的な八角塔屋。 中世ヨーロッパのお城風。


 窓の下には赤茶のラインが入ります。


 建物の裏側。


 2階は武道場。 塔の屋上にはその昔、半鐘があって火の見も兼ねていたそうです。


 設計者は不明ですが設計手法や時代、地域などを考慮すると大中肇の可能性があるという。

三河織物工業協同組合女子寮

2011-07-29 18:31:00 | 愛知・岐阜


 三河木綿の産地として知られ、現代においても織物や繊維ロープ工業が盛んな蒲郡市に残るこの建物は、昭和2(1927)年に愛知県立三河染織試験場本館として市内・三谷町に建てられていたもの。 昭和29(1954)年の試験場の新築に伴って移築され、三河織物工業協同組合の仮事務所から三河織物信用金庫、そして組合女子寮として使用されてきました。  愛知県蒲郡市神明町12-20  10年01月下旬

 ※参考(古写真も) 『東海の近代建築』 1981




 移築当初は道路に面して建っていましたが、昭和55(1980)年に50メートルほど奥(北側)に移動。


 訪問時は女子寮の雰囲気は無く、倉庫代わりに使われているように見えました。


 現在の姿はあまりにも無愛想なので、かつての姿をここに留め置く。 淡い緑色の下見板と白漆喰の壁面、縁取りは濃緑色の美しい建物であったようです。 改修の仕方が何とも残念。

旧加藤商会ビル(旧シャム領事館)

2011-07-14 19:19:52 | 愛知・岐阜


 シャム(現在のタイ王国)から米などを輸入する貿易商社であった加藤商会のビルとして昭和6(1931)年頃に建設されたもの。 社長の加藤勝太郎は昭和12(1937)年の名古屋汎太平洋平和博覧会の頃にシャム国の名誉領事に任命され、ここでビザの発給などの業務を行っていた事から加藤商会の貿易業務が別の建物に移った後もシャム国の領事館として使用されました。 戦後は中埜産業(ミツカン)に売却され平成10(1998)年には脇を流れる堀川の水辺空間整備計画によって取り壊しも検討されましたが、市民などによる保存要望書が出されたこともあり名古屋市が保存活用する事になりました。   愛知県名古屋市中区錦1-15-17  10年02月中旬







 2・3階はレンガ風のタイル貼り。








 地上3階・地下1階。 地階部分には扉を設け商品の輸送に堀川の船運も利用していたという。 


 タイ国旗がたなびく。 現在は1~3階にタイ料理のお店が入っています。


 設計・施工ともに不詳。

瀬戸市品野町の建物。

2011-01-11 20:57:19 | 愛知・岐阜


 瀬戸市中心部の建築探訪からの帰り道、偶然通りかかった同市・品野町で見つけた建物。 入母屋屋根で左右対称形、縦長窓に壁面はタイル張りという、いかにも昭和初期の公共建築のような建物です。 愛知県の近代化遺産総合調査報告書には載っていなかったと思いますし(記憶)、ネット上にも情報が無いので詳しくは分かりませんが予想はそれほど外れていないのではないでしょうか。 昭和34(1959)年に瀬戸市に合併編入される前の旧・品野町の中心区域だと思われる場所に建っています。  愛知県瀬戸市品野町  11年01月上旬



 愛知銀行の裏手、駐車場の一角で発見。


 大きな車寄せ。


 陶磁器の産地だけにタイルは惜しみなく使われたのでは。


 車寄せにある六角形の照明器具。 


 破風にあるマーク。 読めそうで読めない字がもどかしい。


 後ろ姿。 現在は使われていない建物っぽい。


 先を急いでいたので探索しませんでしたが、この付近を入念に調べればまだお宝建物が眠っているかもしれません。 そんな雰囲気があります。

旧豊田喜一郎邸

2010-11-01 20:30:42 | 愛知・岐阜


 発明王・豊田佐吉の長男であり、現在のトヨタ自動車の創業者である豊田喜一郎(1894~1952)の別荘として昭和8(1933)年に名古屋市南山町の丘陵地に建設されたもの。 3階建てのように見える半地下部分とガラス張りの大きな温室が特徴的です。 昭和8年というのは喜一郎が佐吉の創業した豊田自動織機製作所内に自動車部(トヨタ自動車の起源)を設置し、車造りに本格的に取り組んだ時期と重なります。 研究開発に日夜没頭する傍ら、休日にはこの別荘でくつろぎ温室で草花を愛でるといったような姿が想像出来る暖かな建物に思えました。  愛知県豊田市池田町南250  07年09月下旬他


 現在はトヨタ鞍ヶ池記念館の敷地内に移築。 移築の様子は館内でビデオ放送されていますが物凄く大変そう。


 設計者は前回も紹介した鈴木禎次です。


 手作り感が伝わってきます。


 玄関ポーチも適度な包まれ感が心地良い。






 ポーチの上部をレリーフが飾る。




 温室内。 緑溢れる場所に建っているのが分かるでしょうか。






 青と白の日除けテントが可愛らしい。 小粋なフレンチやイタリアンレストランみたい。


 半地下部分の壁には自然石(?)が所々に埋め込まれています。






 宮崎アニメとかにも出てきそうな建物。 定期的に一般公開もしてますが内部撮影不可というのが残念でした。


 ※参考 名古屋市東区・文化のみちエリアにある旧豊田佐助邸(大正12年)。 佐助は佐吉の実弟です。


 鈴木禎次設計の旧中埜家住宅(明治44年)。 愛知県半田市。


 同じく鈴木禎次設計(実地設計・星野則保)の旧諸戸精太郎邸洋室(大正6年頃)。 三重県桑名市。

岡崎信用金庫資料館

2010-10-30 17:29:06 | 愛知・岐阜


 旧岡崎銀行本店(大正6年築 1917)。 明治時代の始まりと共に紡績など地元産業が発展し、金融機関設立の必要性に迫られた地元財界人達により明治23(1890)年に設立されたのが岡崎銀行であり、この建物は大正6年に銀行本店を現在地に移転した時に建てられたものです。 昭和20(1945)年7月の岡崎空襲により煉瓦の外壁を残して建物は焼失しましたが、同様に空襲でビルを焼失していた岡崎商工会議所により終戦後に買い取られ内部を修復される形で使用されました。 その後は老朽化の問題等により取り壊しの話も出ましたが、岡崎信用金庫が建物を買い取って内部を鉄筋コンクリートで補強するなどして復元改装、現在は資料館として公開するに至っています。  愛知県岡崎市伝馬通1-58  07年09月下旬他

 ※参考 『東海の近代建築』  1981



 旧東海道に面する南側が正面ですが資料館の入り口はこの西側。




 赤レンガと御影石(花崗岩)のコンビネーション。




 こちらが本来の正面玄関。 南側は御影石が多く使われていますが、石灯籠を作る職人の多かった岡崎でもこれだけの石の化工は難工事だったそう。


 半円球を連ねた装飾が各所にワンポイントで使われています。


 東側の尖塔屋根。




 建物の設計者は鈴木禎次(1870~1941)。 名古屋高等工業学校建築課創設直後から教授を務め、後に独立し愛知県内に数多くの建物を手掛けました。


 装飾を簡略化して古典的な建築意匠からは脱却。 セセッションの影響があるともいわれます。


 



 無料の資料館でしたが撮影は禁止でしたので内部写真はありません。

岐阜県教育会館

2010-08-23 07:15:57 | 愛知・岐阜


 岐阜県教育会館として使用されている建物の西側の棟は、大正末期(1921~25)頃に建てられたという昔の岐阜県教育会図書館。 ちょっと前までは正面に他の建物があり、近くの交差点に架かる歩道橋からパラペット部分のみが見える状況でしたが、現在はその建物が撤去され全体像が拝めるようになりました。  岐阜県岐阜市美江寺町2-1  10年08月下旬



 アーチが強調された(かつての)正面玄関と円弧状のパラペット。 表現主義的な様相です。


 全体が見えるようになって却って建物各部の傷みが目に付きますね。




 側面の装飾。


 設計は河村鹿市と佐藤信次郎。 河村は早稲田を卒業して大阪で修業した経歴という。


 歩道橋からのショット。 以前はこんなカットしか撮れませんでした。

旧塚原毛織事務所

2010-02-04 07:11:12 | 愛知・岐阜





 毛織物業を始めた塚原嘉一は昭和5(1930)年に丸嘉商店を設立、京城(現・ソウル)や奉天(現・瀋陽)に支店を設け販路を広げ、その事業が拡大するに伴って工場と本宅を昭和9(1934)年に現在地に移転しました。 この建物はその時に建てられた工場事務所で、現在は医療法人(代表者の名字が同じなので恐らく子孫の方)の事務所として使用されています。 窓や玄関の上に浮き上がる華やかな装飾が最盛期だった頃の姿を静かに想起させます。   愛知県小牧市中央2-185  09年03月上旬

カトリック多治見教会神言修道院

2009-11-06 07:12:14 | 愛知・岐阜








 国道19号を離れて緩やかな坂道を登っていくと見えてくる教会(昭和5年築 1930)。 東西に伸びた赤い屋根と屋根窓、そして聖堂へと続く入り口部分に載っかる尖塔が視野いっぱいに広がりとても印象的です。 建物の設計はドイツ生まれのモール神父によるものと云われますが、聖堂内の装飾に菊や蓮といった和の意匠が使われている事から日本人棟梁が神父の指示を基に行ったとも推察されます。 聖堂内は当初、白漆喰仕上げでステンドグラスがあるだけの大変質素なものでしたが、壁画が描かれ祭壇が造られるなど次第に装飾豊かで荘厳なものへと変わってきたようです。   岐阜県多治見市緑ヶ丘38  09年10月中旬

名和昆虫研究所記念館

2009-08-29 07:24:09 | 愛知・岐阜





 名和靖(1857~1926)は岐阜県船木村(現・瑞穂市)に生まれ、幼い頃から昆虫に興味を持ち、採集や分類に留まらず害虫駆除や益虫保護といった応用昆虫学の普及に晩年まで取り組みました。 当初は岐阜市京町に開設された「名和昆虫研究所」でしたが、現在地に移転拡大し、その際に建てられた「特別昆虫標本室」が現在の記念館の建物になります(明治40年築 1907)。

 木造煉瓦建ての洋館は武田五一の設計によるもので、三十万にも及ぶ膨大な蒐集標本のうち約一万点を展示していたそうです。 大きな屋根窓や妻面のハーフティンバー風の仕上げが優美な雰囲気を醸し出しており、棟飾りに刻まれた蝶々の模様には思わずグッときてしまいました(笑)。 名和が再発見・命名したギフチョウを象ったものでしょうか・・・?  岐阜県岐阜市大宮町2-18  08年04月下旬


 ※おまけ  記念館の傍らにある昆虫碑は名和の還暦を祝って大正6(1917)年に建てられたもの。 こちらも武田五一の設計です。


一宮市役所

2009-06-03 07:07:33 | 愛知・岐阜





 一宮市の市制10周年を記念して昭和5(1930)年に建てられたもの。 設計は元愛知県営繕課技師の松本善一郎によるもので、平面はロの字型で中庭に議場が突出しており、当初は左翼の端に火の見櫓として利用された25.5メートルの塔がありました。 繊維の街として栄えた一宮を端的に象徴する顔として新築された建物でしたが、なんでも建設工事費が予定を超過してしまった為に施工者が途中で工事を放棄してしまい、その時の現場管理人が私財を投げ打って建物の完成にこぎ着けた、というエピソードも残っているようです。 そんな歴史を背負った建物ですが、どうやら近々建て替えの計画があるようで、この建物を見られる期限は残り少ないものとなってきています。  愛知県一宮市本町2-5-6  09年03月上旬

 ※参考 『東海の近代建築』  1981

旧加納町役場

2009-05-13 07:11:45 | 愛知・岐阜



 京都大学教授だった武田五一に設計を依頼して大正15(1926)年に完成。 1階に役場事務室と兵事課、2階には議場と議員控え室が配置され、この2階の議場の天井は緩い尖りアーチ状になっているそうです。  訪問時は空家になっていて壁は薄汚れ、みすぼらしさを通り越して“おどろおどろしい”感じさえありました。 どうやら耐震性に問題があるようですが、綺麗に磨けば間違いなく光る建物なのでこのままにしておくのは勿体無いです。  岐阜県岐阜市加納本町1-16  08年04月下旬

 ※写真が一部大きくなります。