梅津会館

2009-03-31 07:11:38 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 若くして函館に渡り海産物問屋として成功した、当地(常陸太田)出身の梅津福次郎(1858~1942)の寄付により建設(昭和11年築 1936)。 自らの商才で蓄えた富を惜しげなく寄付し、彼の地・函館や故郷の為に御恩返しを忘れなかったという福次郎の誠実な人柄が浮かび上がるような立派な建物です。 太田町役場~常陸太田市役所として昭和53(1978)年まで使用され、現在は梅津会館と改称されて郷土資料館になっています。  茨城県常陸太田市西二町2186  07年04月中旬他

 ※写真が一部大きくなります。

 ※こちらが函館に残る梅津商店の建物。 06年04月下旬の撮影。




 ※おまけ  東一町で見つけた前島催事場。 てっきり梅津会館を真似た建物かと思いましたが、それよりもずっと早い明治期の建物と後日判明。 同行したM氏の指摘が無かったら完全に見過ごしていました。 


 中城町にあった北村洋品店は昭和4(1929)年の築。


 こちらの看板建築は詳細不明です。


辻学園調理技術専門学校

2009-03-30 07:11:28 |  大阪府






 スクラッチタイルとテラコッタを使用し落着きと風格を感じさせる渋い建物は、今やスーパーゼネコンの一つに数えられる大林組の旧本社ビルです(大正15年築 1926)。 中央の窓3列は縁取りされ、最上階の6階部分にはバルコニー。 両肩にあるメダリオンの下にはラテン語で「紀元1926年」と竣工年が印され、現代のビルディングが持ちえない歴史の重みも感じさせています。  大阪府大阪市中央区北浜東6-9  08年01月上旬他

東京大学 医科学研究所

2009-03-29 16:22:56 |  東京都









 旧伝染病研究所(昭和12年築 1937)。 外壁にスクラッチタイルを用い、玄関の車寄せ(ポーチ)に連続アーチを配すなど、東大の本郷キャンパスの建物群と同じスタイルでまとめ上げられた「ウチダゴシック」の建物(設計・内田祥三)。 建物を上から見ると両翼が後ろに下がったブーメランのような形をしています。 東側のポーチの屋根部分に設けられた3種類の明かり取り(?)の図柄にはどんな意味が込められているのでしょう。  東京都港区白金台4-6  05年04月上旬他


杉浦家住宅

2009-03-28 00:00:00 |  静岡県





 裏通りに佇むトンガリ屋根は、明治34(1901)年に建てられた藤枝製茶貿易会社の事務所だった建物。 2階の屋根の隅につく鬼瓦に、☆に「茶」の文字が入っているのがその時の名残だそうです(後で知ったので写真がありません・・・)。 玄関ポーチは傾き、カーテンや雨戸が閉まったままなのが少し気になります。 塔屋や建物の裏側を見る限り、元は全面下見板張りの建物だったのではないかと思いました。  静岡県藤枝市藤枝  08年07月中旬

 ※個人邸ですので見学の際はご配慮願います。
  09年12月中旬再訪し、鬼瓦(☆茶)の写真を追加しました。

旧日新館(旧チャンプリン邸)

2009-03-27 07:16:32 | きた東北 (青森・秋田・岩手)











 横手で旅館業を営んでいた小松亀吉が、旧制横手中学校の英語教師として赴任してきた米国人、チャールス・チャンプリンの為の住居として明治35(1902)年に建てたもの。 大工棟梁は藤村初五郎ですが、建物の基本設計はチャンプリン自身と云われます。
 
 ペンキも塗られていない下見板の外観は非常に素朴に見え、玄関上の半円アーチに使われているオレンジの色ガラスがアクセントとして映えています。 現在も居住者がいるので公開部分は限られていますが、この家で半生を過ごし教師・宣教師として活動した米国人スマイザーの遺品が多数残されていました。  秋田県横手市城南町7-1  08年08月中旬

 ※現在は個人邸となっており住んでいらっしゃる方がいます。 建物公開は水曜日のみですので見学の際は十分なご配慮をお願い致します。

旧右近権左衛門邸(北前船主の館)

2009-03-25 20:53:02 | 富山・福井



















 空と海が混じり合い、境目の無くなった青を見渡すこの洋館は、北前船主・右近家の離れとして昭和10(1935)年に建てられたものです。 和風の本宅が建つ後側、山肌の中腹にあり、下から見上げると山小屋のようにも見えた建物は、1階がスパニッシュで2階がシャレー風の組み合わせ。 内部に目をやれば玄関や暖炉のグリル、床や壁にちりばめられたタイルには濃密な意匠が施され、階段室のステンドグラスには右近家の店印である一膳箸をマストに掲げた南蛮船の図柄も刻まれています。 一説にはヴォーリズの設計とも云われる(実際には大林組の設計・施工で確定的)建物は勿論素晴らしいのですが、この建物で一番強く印象に残ったのは窓の外に広がる日本海の海の色。 長く続いた北前舟の時代は明治に入り翳りを見せ始め、いち早く近代船主へと脱皮した右近家は、この洋館が完成した頃には既に海上船舶保険業などに転身し成功を収めていたと云います。 それでもなお切っても切れない海との関係を、この窓越しでの対話という形で無意識の中で続けていたような気がしました。  福井県南越前町河野2-15  08年07月中旬

 ※参考  『日本の洋館  明治編Ⅰ』  2002
      『近代化遺産探訪』  2007

多田屋本社

2009-03-18 07:16:41 | 埼玉・千葉



 明治末期完成の旧東金税務署の建物。 路地の先に屋根の三角が見えた時は期待が膨らみましたが、いざ正面に出てみると玄関や窓周りの改修が著しいように思え、全体的な印象が希薄になってしまうのが残念です。  千葉県東金市東金1135  07年01月下旬他

 ※おまけ  こちらは昭和初期築の多田屋店舗。 多田屋は文化2(1805)年創業の老舗書店だそうで、この建物は石造を模した木造の建物です。 左の路地を入れば奥に多田屋の本社があります。


愛知県庁本庁舎

2009-03-17 07:07:19 | 愛知・岐阜








 この建物は昭和13(1938)年に完成した愛知の県庁舎です。 頭に名古屋城の天守のような瓦屋根が載っているのは、軍靴の足音が聞こえる時代を反映した帝冠様式を採用しているからです。 さすがに本物の名古屋城のように金の鯱は載っていませんが、本家が第二次大戦の空襲により焼失したのに対し、火に強いコンクリ造のこの建物はお隣の名古屋市役所(昭和8年築)と共に生き残り、以前と違わぬ異容(偉容)を私たちの前に誇っています。  愛知県名古屋市中区三の丸3-1-2  09年03月上旬

勝専寺

2009-03-16 07:07:15 |  東京都




 北千住にある赤レンガの洋風寺院(明治36年築 1903)。 赤レンガといっても純粋なレンガ造ではなく、コンクリ造の外壁にレンガを張り付けたものですが、釣鐘型の窓や庇に載っかる徳川家の葵紋(?)、入り口扉上の漆喰装飾など、鎌倉時代に創建された名刹としては異例の和洋が混ぜこぜになった建物であります。 当時、川向うにあった小菅監獄が赤レンガの建物だったので、レンガ壁ではイメージが悪いという檀家からの反対もあったようですが、それを押し切ってまでこの建物を作ってしまった住職は、さぞや進取の気象に富む人だったのでしょうね。  東京都足立区千住2-11  06年01月中旬他

 ※参考 『近代建築再見 上巻  生き続ける街角の主役たち』  2002
   
 
 おまけ  北千住の商店街のアーケードがぽっかり途切れる場所にあるのが、この大橋眼科医院。 大正6年の建物を建て替えるにあたり、他の古い建物から集めた千以上の解体部材を用いて昭和57(1982)年に建て直したものだそうです。 なにしろ本物の古い部材を使っているだけに、とても築30年かそこらの建物には見えません。
 


 

安良町公民館

2009-03-13 07:12:44 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 明治18(1885)年竣工の旧鶴岡警察署大山分署。 四隅の薄く塗られたブルーの柱が白壁に綺麗に映えており、地域のシンボルとして今まで大切にされてきた様子が窺えます。 この建物を請け負った高橋兼吉(1845~1894)は、致道博物館内にある旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署なども手掛けた庄内ではお馴染みの名棟梁です。  山形県鶴岡市大山2-23-23  07年09月中旬

 ※写真が一部大きくなります。


 ※おまけ  旧大山分署の近辺で見つけたレトロ建築。

 まずは大山小学校の東にある新民館。 明治40(1907)年に建てられた当時の大山小学校の一部だそう。

 休日でしたが中からは子供たちの大きな声が聞こえてきます。

 大山小学校の建物(西側)も古そうです(昭和8年築? 1933?)。 何故か3階部分の角部のみ窓が無く、のっぺりしていて気色悪い(笑)。 何かの理由で後年に窓を埋めてしまったのかも。



 こちらは近くの交差点にあった柴田医院(詳細不明)。 木造の大きな建物ですが既に廃業された様子でした。


 最後に栗本医院。 門から少し奥まった所に見つけた建物です。 営業してるか微妙でしたので敷地の外から観察しましたが、遠くからでは良く解りません(泣)。



眺峰館

2009-03-12 07:05:24 |  静岡県





 料理店の玄関塔屋として建てられたトンガリ屋根のハイカラ建築(明治25年築 1892)。 昭和18(1943)年に料理店が廃業すると社員寮や個人店舗などに使用され、一度は園芸センターに移築されていたものを昭和59(1984)年に再移築。 1度目の移築の際に既に塔屋部分のみの保存となっていたようです。 現在は1階部分のみ公開されており、建物の名称にもなった3階からの富士の眺望が叶わないのはちょっと残念。 資料により内部は2・3階とも畳敷きという説と、2階のみは板張りという説がありますが確認は取れていません。  静岡県富士市伝法80-1 広見公園内  09年02月下旬

 ※参考 『総覧 日本の建築 5 東海』  1986
     『静岡県の近代化遺産』  2000

旧畑山発電所

2009-03-11 07:11:17 | 徳島・高知



 安芸市の中心部から曲がりくねった道を延々と北上していき、疲れと共に嫌気がさして、もう引き返そうかと思い始めた頃にようやく姿を見せるのがこの旧発電所の建物です(大正12年築 1923)。 更に近づくには目の前の清流に架かる吊り橋を渡らなければなりませんが、ところどころ底板の抜けた木製の橋は見るからに危険そうで、リスクを冒してまで足を踏み出す勇気は流石にありません。 それでも建物の妻面のアールの付いた処理の仕方などは、“ドイツ表現主義の流れを汲む”という解説も頷ける独特のもので、わざわざ遠くまで足を運んだ甲斐があったと思えるものでした。  高知県安芸市畑山  06年12月下旬

 ※参考 『土佐の名建築』 1994

KIRAKUZA

2009-03-10 07:13:45 | 徳島・高知



 高松と徳島を結ぶJR高徳線の板東駅前で見つけた旧映画館らしき建物(詳細不明)。 映画全盛期の昭和の匂いを今でも漂わせています。  徳島県鳴門市大麻町板東  06年12月下旬

 
 ※おまけ 大麻町の近代建築の紹介。 まずは船本家牧舎(旧富田畜産部牧舎)。 ドイツ人の設計・施工で大正6(1917)年に建設(大正8年増築)されたもので、1階部分は煉瓦造になっています。  大麻町桧野神ノ北


 お次は、柿本家バラッケ(旧板東俘虜収容所 大正6年築)。 トイレ休憩で立ち寄った道の駅内で偶然に発見したもので、登録文化財のプレートが貼られていたので気が付きました。 移築されてきたとはいえ、扉や窓はアルミ製だし外壁も屋根も完全に新しいので外見的に見所はありません。 移築前は牛舎に転用されていたので物産館として活用・保存するには仕方なかったのかもしれませんが・・・ もう一つ現存する旧板東俘虜収容所の建物(安藝家バラッケ)は調査不足の為、追い切れず。  大麻町桧東山田 道の駅 第九の里内 

真岡市久保講堂

2009-03-09 17:57:09 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)




 真岡出身の美術評論家・久保貞次郎が、父・六平の80歳を記念して真岡小学校に寄贈した建物(昭和13年築・1938)。 一時は解体の危機にあったものを昭和62(1987)年に現在地に移築してきたものです。
 
 F・L・ライトに師事した遠藤新の設計だけに直線を多用し水平線を強調したフォルムが特徴的で、両脇に聳える2つの塔屋も印象的です。 その塔屋に設けられた縦長のアーチ窓が微妙な柔らかさも感じさせ、堅すぎないイメージを作りだしているように思いました。 内部は見れませんでしたが2階にギャラリーも廻る板敷の空間は音響効果も優れているそうです。   栃木県真岡市田町1345-1  08年12月上旬


 ※参考 『総覧 日本の建築 2 関東』  1989 
  写真が一部大きくなります。

 ※12年08月追記 久保貞次郎はいわゆる滝川製贋作事件の関係者でもある事を知りました。

旧古田土雅堂邸

2009-03-06 07:15:59 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)












 明治後期~大正時代に米国で活躍した日本画家、古田土雅堂(こだと・がどう 1880~1954)が帰国時に輸入したアメリカの組み立て住宅。 大正13(1924)年に県都・宇都宮に建てられたものでしたが、平成11(1999)年に解体を余儀なくされ、古田土氏の故郷である茂木町に移築されてきたものです。
 元からの色か分かりませんが白壁に黄色の屋根が印象的で、特に屋根の妻面の上部をカットして出来た大きな△が黄色い屋根をより一層引き立たせ、周りの風景に埋没しない存在感を与えています。 建物内部も公開(土日祝日のみ)されており、各部屋に設置されたスチーム暖房や猫足(?)のバスタブなど、当時のモダンな生活ぶりを彷彿とさせるものがいくつか残されていました。  栃木県茂木町茂木1123 道の駅もてぎ内  08年11月下旬