川口連棟式事務所ビル

2020-09-23 08:09:23 |  大阪府


 大阪港の南部へと注ぐ木津川に背を向け、かつての川口居留地に位置するこの建物は大正10(1921)年頃の建築ですが、建築主など詳しい事はまだ良く分かっていないようです。  大阪府大阪市西区川口1-4-20他  08年01月上旬他

 ※参考『大阪府の近代化遺産』 2007
    『モダン・シティふたたび 1920年代の大阪へ』 1987



 5階建てのビルを挟んで南側の棟。 建物は1階が事務所で2階が居住スペース、地下は居住用や物置として使用されてきたと伝わる。


 アール・デコといった味付けの玄関装飾。


 南棟の一番北側の部分は、良く見ると階高も微妙に異なるし独立しているように思えます。 元は北側の棟に続いていたのでしょうか。




 こちらは北棟。 当初は似たような建物が他にも数棟あったようです。


 (旧)新大阪新聞社社屋という情報もありますが正確かどうか分かりません。


 正面からは分からなかったのですが裏手の2階部分には幅60センチほどのバルコニーが全面に設けられているという。


 ちょうどこの建物がある辺りには大阪で初めてのカフェー・キサラギが明治末に開業し、木津川を挟んだ向かいの江之子島には大正末まで大阪府庁が置かれていました。 近代大阪の中心地で流行の発信地でもあった旧川口居留地の面影は今では微かに残るのみとなっています。

旧精華小学校

2013-02-28 19:02:01 |  大阪府


 大阪市立精華小学校は大阪2大繁華街のひとつ、ミナミの中心に位置し、平成7(1995)年に児童数の減少に伴い閉校となりました。 昭和4(1929)年に完成したモダンな校舎は残され閉校後は精華学習ルーム・精華小劇場として利用されていましたが、なんばエリア一帯の活性化へと向けた再開発により敷地は不動産会社に売却される事が決定、この校舎は解体撤去されその跡地には複合的商業施設が建設される予定のようです。  大阪府大阪市中央区難波3-2-4  08年01月上旬他

 ※参考『関西の近代建築 ウォートルスから村野藤吾まで』 1996
    『ヒロシマの被爆建造物は語る 未来への記録』 1996
    『ヒロシマを探そう 原爆を見た建物』 2006
    『大大阪モダン建築』 2007



 戎橋筋に面した商店街のど真ん中に学校への入り口があります。


 遠近感・立体感を駆使して視覚的に奥へと誘(いざな)う。 訪問した時はこの扉の前にある鉄の門が閉まっていて中には入れませんでした。
 

 設計者の増田清(1888~1977)は福島県桑折町の出身、耐震構造学の基礎を築いた佐野利器(1880~1956)門下として東京帝国大学工学部建築学科を大正2(1913)年に卒業、安藤組大阪支店を経て同6年に大阪府土木課建築技師となり、さらに同13年には自らの事務所(増田建築事務所)を大阪に開設しています。 彼は鉄筋コンクリート造の普及に熱心で特にその構造設計に優れた手腕を発揮しました。 


 大阪を拠点に活動していた増田ですが本川小学校や広島市役所(共に昭和3年築・1928)の設計で広島市との関わりも深く、彼の地にも作品を残しています。


 増田の設計した建物は耐震強度に特に優れ、それは原子爆弾にも耐えるものでした。 彼が広島市内に設計した4つの建物は原爆の全壊全焼地域の中で大きな被害を受けながらも全て生き残り戦後の復興を支えました。 現在でもその内の2つ(平和記念公園レストハウスと本川小学校平和資料館)の姿を見る事が可能です。


 小学校に附属している幼稚園に残る装飾。


 ここは芝居街として栄えた道頓堀の近くという事もあり、出演中の子役が公演期間中だけ転校してくる事もあったそう。 地元有志の出資により設立されたという小学校が今、その役割を完全に終える時が来たようです。

原田産業大阪本社ビル

2013-02-05 19:21:18 |  大阪府


 創立は大正12(1923)年という貿易商社(当時は原田商事)の本社屋として昭和3(1928)年に完成。 2階建ての小規模な建物ですが非対称のファサードに手の込んだ細部意匠を取り入れて欲動感を演出しています。 設計者の小笠原祥光は明治8(1875)年生まれ(当初の名前は鈅・ますみ)で工手学校の建築科を卒業、鉄道院に長く勤めて東京駅(大正3年開業・1914)の建築工事には鉄道院側として参加しました。 大正4(1915)年に住友の技師に転じて同10(1921)年には住友を退職、小笠原建築事務所を開設して主に大阪で活躍した建築家であったようです。  大阪府大阪市中央区南船場2-10-14  08年01月上旬他

 ※参考 『関西の近代建築 ウォートルスから村野藤吾まで』 1996
     『大大阪モダン建築』 2007



 建物も永く使われていれば所有者や用途の変更はあるものですが、建設以来、同じ企業により同じ用途(本社ビル)として使われているのは珍しい事だそう。   






 一般には公開されていない建物ですが原田産業のHP内の「ギャラリー」に非常に美しい内部の様子が紹介されています。


 大きな縦長窓の内側は吹き抜けの階段室。 この空間を作り出したくて入口を正面ではなく右に寄せたのかも。


 小笠原祥光は渡辺節の事務所に短期間だけ在籍していた事もあり、村野藤吾とも仲が良かったと伝わります。


 こちらは大阪府池田市にある旧池田実業銀行本店(現・いけだピアまるセンター 大正14年築・1925)。 設計の小笠原鈅が小笠原祥光と同一人物である事に最近気が付きました。 名前が変わった時期・理由までは調べきれていません。




 こちらも同じく池田市にあるK家住宅(昭和5年築・1930)。 調べた文献には設計/施工・小笠原建築事務所と記載されており、事務所の作品リストにも条件がほぼ合致する件名があるので恐らく小笠原祥光の作品だろうと思います。


 この大邸宅を建てたのは酒蔵業者。 そちらの個人名で検索してみましたが情報は見つけられませんでした。


 ミステリー小説の舞台にでもなりそうな雰囲気を持っています。


 個人邸っぽい(?)ので控え目に観察。 人が住んでいるのかどうかも良く分かりませんが…。


 

 構造はRC造でスクラッチタイルを張っています。


 小笠原の作品は内部装飾の密度が高くダイナミックな造形で顧客からは好評だったよう。 この邸宅も内部は凄いのかもしれませんね。

旧大阪農工銀行本店

2012-05-29 19:41:01 |  大阪府


 辰野片岡建築事務所の設計により大正7(1918)年に完成。 当初は赤煉瓦タイルの建物でしたが昭和4(1929)年に國枝工務所(國枝博)により改修を受け、現在のようなクリーム色のタイル張りの建物に一変しました。 近年まで衣料品関連の輸出入を業務とする八木通商の本社となっていましたが、現在はマンション建設の為に内部を解体され、外壁のみ新しい13階建てマンションの足元に保存される予定になっています。  大阪府大阪市中央区今橋3-2-1  08年01月上旬他



 

 植物等をモチーフにしたこういった装飾はアラベスクと呼ばれ、イスラム建築に多く見られるものみたい。


 アールデコを得意にしていた國枝博は東京帝国大学の卒業生。 大阪で活躍したそうですが詳しい事が良く分からない建築家ともいわれます。






 窓や軒周りをテラコッタ(素焼きの焼き物)で飾り、建物の表情がタイルのみで平滑な印象になるのを抑えています。




 建物の裏手にあたる西面は改修を逃れ、辰野時代の面影が残っていました。


 改修を受ける前には角に塔も聳えていたそうです。


 無粋な3階部分は勿論戦後の増築。 今橋は大阪の金融街として知られる町でした。

大阪市立工芸高等学校

2010-10-04 19:10:12 |  大阪府






 ベルギーのアールヌーヴォーの建築家、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデが設計したワイマール工芸学校をモデルに設計したといわれる建物(旧大阪市立工芸学校本館 大正13年築 1924)。 1・2階の壁面にはレンガを積み、その上には旧勾配の屋根をかけて3階部分の窓面を屋根窓風に見せるという一風変わったこの建物は、大阪市営繕課・矢木英夫の設計ではないかと推察されるもの。 過渡期のデザインだとは思いますが国内に現存する同様な作品が少ないだけに非常に新鮮に映ります。 屋根に載っかる深緑の時計塔がとても繊細で儚なげな感じがして美しいと思いました。  大阪府大阪市阿倍野区文の里1-7-2  08年01月上旬他

河村商店

2010-09-23 18:29:02 |  大阪府






 現在は衣料品店となっているこの建物は大正7(1918)年に加島銀行池田支店として建設されたもの。 設計が辰野片岡建築事務所となっているので何となくレンガ造りの建物に思えてしまいますが、実際には木造でレンガ調のタイルを張り付けてそれらしく演出しています。 同じ設計者・同規模の建物で九州の八幡には百三十銀行八幡支店(大正4年)がありますが、そちらは外壁こそレンガ風タイルですが構造は鉄筋コンクリート(RC)造。 防災・防犯面で不安の残る木造建築で建てられたのは当時の両銀行の資本力の差などが出ているのでしょうか?  大阪府池田市栄本町8-7  09年11月下旬

夕陽丘高校 清香会館

2010-06-15 19:54:50 |  大阪府






 夕陽丘高校は明治39(1906)年に府立の高等女学校として設立された歴史を誇る伝統校。 この建物はその伝統校の同窓会館として昭和9(1934)年に建築家・木子七郎の設計により完成したもの。 木子が設計を担当したのは彼の妻がこの女学校の出身であり、建設資金を工面していたのが彼女の同級生であったからと云われています。 建物はRC造3階建てで角部を大きく面取りして柔らかみを持たせ、まるでふっくらとした女性のボディラインを思わせるような優しい造形。 「清香会館」という言葉の響きが持つイメージとも合致するような建物に思えます。 設計時に木子が考慮した点も今に伝わっており、①構造的に丈夫 ②質実簡素で虚飾は不要 ③近代女性は知的に明朗であって欲しいので建物も朗らかな感じ ④耐久性、維持管理が経済的の4点であったそうです。  大阪府大阪市天王寺区北山町10-10  08年01月上旬

 ※参考 『大阪府の近代化遺産』  2007
  現役の高校の敷地内にあります。 見学の際はご配慮願います。 

旧和泉銀行本店

2010-01-18 07:16:42 |  大阪府





 
 渡辺節設計の旧銀行建築(昭和8年築 1933)。 2階部分にまで伸びたアーチ型のエントランスがダイナミックで、漢字の「門」の字のようにも見えるファサードはとても印象的に映ります。 内部も綺麗に改装されていて旧金庫室の扉なども健在でした。  大阪府岸和田市北町14-3  07年12月下旬他

岩出建設大阪支店

2009-11-18 07:15:52 |  大阪府




 古典様式で飾られた旧銀行建築(大正9年築 1920)。 資料により旧三菱銀行九条支店とも旧川崎貯蓄銀行ともなっているのですが、銀行の沿革を検索した限りでは後者のほうが正確のような気もします。 訪問時はこの界隈では唯一無二といっていい存在でしたが、この後に解体されてしまい現存していません。  大阪府大阪市西区千代崎2-25-9  08年01月上旬

 ※現存せず。

大阪府立中之島図書館

2009-09-16 07:08:31 |  大阪府















 住友家第15代当主・住友吉左衛門友純の寄付により建設された図書館(明治37年築・1904)。 設計は住友家お抱えの建築家・野口孫市によるもので、左右の増築部分は野口の補佐をしていた日高胖によって大正11(1922)年に完成しました。
 ギリシア神殿のような正面の大オーダーが圧巻の建物ですが、天井ドームから光が降り注ぐ中央ホールの美しさも特筆もの。 高揚した気分がいつしか知的欲求心へと転換していくような上昇感が味わえます。  大阪府大阪市北区中之島1-2-10  08年01月上旬他

 ※内部撮影には書面手続きが必要です(簡単な紙一枚書くだけ、詳細は入り口受付で)。 

寺田紡績

2009-09-09 07:07:46 |  大阪府








 寺田紡績(テラボウ)はナイロン樹脂などの化成品やタオルの製造販売を行っている会社で、こちらはその本社および工場となっています。 個別の建物の詳細は分かりませんが工場は大正初期に建てられたものといわれ、河口沿いに煉瓦造りの建物が並ぶ姿は100年近い歳月を経て醸成された格別の味わいとなっています。  大阪府貝塚市津田南町28-55  07年12月下旬

成協信用組合岸和田支店

2009-08-24 19:17:44 |  大阪府






 旧四十三銀行岸和田支店。 資料により大正8(1919)年か9年築、RC造ともレンガ造りともなっていて判断に迷う建物です。 設計の佐伯建築事務所(佐伯與之吉)は辰野片岡建築事務所に入所して腕を磨き、独立後にこの作品を手掛けました。 赤と白のツートンカラーがその流れ(辰野式)を汲んでいる事を明らかにしているようにも思えます。  大阪府岸和田市魚屋町2-1  07年12月下旬他

旧陸軍第四師団司令部庁舎

2009-06-16 07:17:50 |  大阪府





 大阪城の天守閣再建の為に集められた寄付金をもとにして昭和6(1931)年に建設。 しかしその建設費は天守閣を遥かに凌いだもので、この建物は完成と同時に軍に寄付されました。 ロマネスク様式の建物はタレット(隅塔)やロンバルディアバンドが特徴の中世の城郭風スタイルで、他ではあまり目にしないタイプ。 車寄せの軒も深くて全体的に堂々とした造りになっています。 戦後は大阪府警本部や市立博物館として使用された建物も、平成13(2001)年からは空家状態。 場所も建物も悪くないと思われるだけに大変勿体無い事です。  大阪府大阪市中央区大阪城1-1  08年01月上旬

大丸心斎橋店

2009-05-15 07:08:26 |  大阪府








 第一期:大正11(1922)年~第三期:昭和8(1933)年築。 御堂筋側のゴシックスタイルの外観は、茶色のスクラッチタイルと白い花崗岩・テラコッタを使ったクッキー&クリームのように美味しそうな配色。 北西角には「水晶塔」と云われる鉱物結晶のような塔もそびえます。 心斎橋筋側の入口上には羽を広げた壮麗な孔雀の姿。 イソップ寓話をモチーフにした動物たちも建物内外に棲みついて訪問者達に視線を向けています。 「百貨店」という言葉の響きが持っていた憧れやトキメキを形にしたような煌びやかな内装は、6階までの大吹き抜けこそ無くなれど、洋画家・佐伯祐三がパリに渡るに際しチケットを求めにここを訪れた頃と何ら変わらない輝きを保っています。 ヴォーリズが弾けた珠玉の作品。  大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-7-1  08年01月上旬他

 ※参考 『モダン・シティふたたび 1920年代の大阪へ』 1987 
      『approach』 1998春号 特集:慎ましさの中の豊かさ ―近江八幡のヴォーリズ建築  ※竹中
       工務店の広報誌
      『モダン心斎橋コレクション メトロポリスの時代と記憶』 2005
      『大大阪モダン建築』 2007
      『ヴォーリズ建築の100年 恵みの居場所をつくる』 2008



 ※おまけ  大丸の裏手の方向、東心斎橋にあるのがこの島之内教会。 中村鎮の設計によって昭和4(1929)年に建てられたものではないかと思うのですが、決め手となるような証拠を持っていません。 窓や出入り口などの開口部の取り方は、同じ天満教会にも似たような印象を受けるのですが、果たしてこれは古い建物なのでしょうか?  


 ※追記 昭和3年築の建物として登録文化財に指定されました。


 こちらが天満教会(昭和5年築)。 コンクリートブロック造りで有名な建物です。
 

辻学園調理技術専門学校

2009-03-30 07:11:28 |  大阪府






 スクラッチタイルとテラコッタを使用し落着きと風格を感じさせる渋い建物は、今やスーパーゼネコンの一つに数えられる大林組の旧本社ビルです(大正15年築 1926)。 中央の窓3列は縁取りされ、最上階の6階部分にはバルコニー。 両肩にあるメダリオンの下にはラテン語で「紀元1926年」と竣工年が印され、現代のビルディングが持ちえない歴史の重みも感じさせています。  大阪府大阪市中央区北浜東6-9  08年01月上旬他