矢吹~郡山の建物たち

2011-06-20 20:43:54 | 南とうほく (宮城・山形・福島)
 震災発生から初めて訪れた福島県。 期待と不安の中、矢吹町と郡山市の建物を見てきました。



 まずは矢吹の総合衣料実践堂(旧東邦銀行矢吹支店 昭和2年)。 道路の路面のうねりが地震のエネルギーの大きさを物語っていましたが、この建物は被害はほとんど無さそうに見えます。 但し、向かいの奥にあった洋風意匠の住宅は跡形もなく消えていました。


 同じ通りに面する旧屋形医院(大正10年頃)。


 他ブログで写真は見て知っていましたが、門柱と玄関ポーチが崩れてしまっています。
  

 基礎の部分もダメージを受けていて今後が不安な状況。  


 国道4号線を北上して郡山へ。 金透小学校にある金透記念館(明治9年)は曳家・復元などによって昭和53年に現在の姿になったもの。
 

 ロープが張られ近づけませんが屋根瓦が落下して散乱しています。


 道路から見ると高台にあるのですが、建物の亀裂や軒周りの部材の落下が一目瞭然です。 下の歩道も危険な為、通行禁止になっていました。


 本町通りの吉田薬局(昭和8年)は無事。


 看板建築たる所以。


 同じ通りの東邦銀行郡山中町支店(昭和13年)。 タイルの割れや欠落が見受けられます。 側面には足場も掛かって補修工事が始まっていました。 


 小野美工堂。 初見です。


 近江屋。 これも初めて見ました。 川柳会館のプレートがあります。


 一階部分が潰れ鉄筋が剥き出しになった建物。


 准看護師高等専修学校の建物(昭和12年)も以前と変わり無し。


 日本基督教団郡山教会の牧師館は屋根にダメージを受けブルーシートが被せられていました。


 建物の被害はまちまち。 このような状況の建物が点在しています。


 営業出来る状態ではありません。


 これも初めて見つけた建物。


 この雰囲気からするとかなり古そうです。 


 日本基督教団郡山細沼教会礼拝堂(昭和4年)。


 壁面に大きな亀裂が何本も入っています。


 塀も倒れてしまっていました。


 郡山合同庁舎(昭和5年) 傾いて見えるのは写真がヘタだから。。。


 郡山市公会堂(大正13年)も大丈夫そう。 むしろ隣の中央公民館が被災して立ち入り禁止になっていました。 

 通行止めの原因はこれ。 解体作業も進んでいないようです。 


 はやま通り、水道局前の路面の亀裂。 縦横それぞれ10センチくらいの幅で、子どもの足ならすっぽり嵌ってしまいそう。


 はやま通りをそのまま西に歩いていたら気になる建物を発見。


 正体はこれでした。 昭和5年に鎌倉に建てられた久米正雄の住宅を平成12年に移築してきたそう(久米正雄記念館)。 残念ながら被災して暫らく内部は見られないとの事。


 聖ペテロ聖パウロ教会(昭和6年)。


 深沢にある旧後藤家住宅(明治19年以降?)。


 庭木で良く見えませんが灯籠が倒れ窓もあちこちベニヤで塞がれています。


 安積疏水事務所貴賓館(昭和12年)は意外にも大きな被害を受けていました。  


 地震から3か月経っていますが何も手当てされていないようにも思えます…。


 開成館(明治7年)も大きなダメージを受け休館中。


 壁という壁、至る所に亀裂が入っていて復旧までには相当な時間がかかりそうです。


 安積歴史博物館(旧福島尋常中学校 明治22年)も被災により休館中でしたが見た限りでは大きな被害は無し(諸事情により撮影せず)。 最後にその福島尋常中学校の一部だったという建物を見にいきます。 


 安積歴史博物館のHPに一行だけ紹介されているハリハツクスの家とはこれの事でしょうか。 それとハリハツクスとはハリファックス(明治22年当時赴任してきた外国人教師)の事なのでしょうか? 


 関連する資料が無くて2棟の建物とも詳細は不明です。 手持ちの資料にはハリファックスの住宅(住居)も移築されたとありますが、その建物の写真とこの2棟も違うもので謎がまたひとつ残ってしまいました。


 ※本文に加筆修正を加えました。

旧高島町役場

2011-06-16 19:20:32 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)


 昭和15(1940)年に小樽市に合併された(旧)高島町の町役場として昭和10(1935)年に建設されたもの。 鰊(ニシン)漁場の拠点として栄えた町のシンボル的建物は現在、小樽高島診療所と名前を変え地域の医療活動に貢献しているようです。  北海道小樽市高島4-1-1  11年05月上旬








 1階と2階の窓の間にある装飾。




 表札部分が抉り取られています。


 外壁は石綿セメント版を下見板風に重ねてビス留め。 拡大写真を撮っていませんでした。。。 


 資料によるとRC造の地下一階があるようです。


 門の裏にあった寄附者の名前の入ったプレート。


 強く違和感を覚えたこの部分には古写真を見てみると縦長窓が2つ並んでいました。

旧四倉銀行

2011-06-13 19:17:56 | 南とうほく (宮城・山形・福島)

  
 四倉銀行は大正5(1916)年、四倉港築港第一期工事の開始に伴って漁業振興の為に設立された金融機関。 この建物は大正15(1926)年に3万8千円(当時)をかけて地元の堀江工業により建てられました。 設計者は不詳となっていますが、その設計手法などからある程度の近代的建築教育を受けた者による設計といわれています。 昭和4(1929)年の金融恐慌で四倉銀行は閉鎖、以後この建物は平商工信用組合四ツ倉支店や個人医院、学習塾として使われてきたそうです。  福島県いわき市四倉町東4-28  10年04月中旬

 ※参考 『福島県の近代化遺産』 2010
 ※現存せず(震災による)。



 庇(ひさし)は直線的ですが、その上には丸みを持たせた装飾を施す。


 四倉の「Y」をモチーフとしたレリーフとはこれの事? かなり抽象化されたデザインです。


 玄関脇にはドリス式のオーダー。




 パラペット付近の処理の仕方が表現派の影響を感じさせます。






 アーチ窓の彫りの深さも印象的。

旧池田氏庭園洋館

2011-06-08 21:00:42 | きた東北 (青森・秋田・岩手)


 明治中期から戦前まで3代に渡って高梨村長を務めた大地主・池田氏により建てられたルネサンス様式の私設図書館(大正11年築 1922)。 秋田県内で初めての鉄筋コンクリート(RC)造りの建物といわれ、室内の壁紙には金唐革紙が貼られるなど、東北三大地主の一人に数えられた池田氏の名に恥じない煌びやかな建物になっています。  秋田県大仙市高梨大嶋1  11年06月上旬



 平成18年から22年にかけて行われた大規模復元工事により甦った塔屋ドーム。 モルタル洗い出し仕上げ。


 御影石の基壇が廻る。


 外壁タイルは復元工事により約2割が貼り替えられたもの。  


 窓ガラスは約7割が創建当時のものが残っているという。


 建物の設計者は秋田出身で建設当時は東京在住だった建築家・今村敬輔。 どのような経歴を持つ人物だったのでしょう。  (※追記 今村敬輔は秋田工業学校建築科を卒業した後、矢留建築事務所~東京市土木局建築課第二営繕係)


 玄関ポーチを支える柱はイオニア式。


 イタリアから取り寄せたという白色大理石が使われる。


 玄関の足元に貼られたタイル。


 先日の大地震により庭園内の灯籠がズレるなどの被害があったそう。 この亀裂もその時のものでしょうか。


 建物に足を踏み入れる。 正面は食堂兼音楽室。


 左手は閲覧室。 2階には書庫を設け、村民にも建物を開放し地域の教育向上に寄与したという。


 右手は階段室。 残念ながら2階は非公開。


 階段親柱。 セセッション風?


 見上げてみる。


 一歩前へ。




 



 館内には6種類もの金唐革紙が使われる。 2階食堂の物は国会議事堂の執務室で使われていたものと同一柄という(写真は1階の食堂兼音楽室のもので今回復元されたもの)。


 食堂兼音楽室の隣りには玉突室(ビリヤード台は参考展示)。 来客をもてなす為の迎賓館的機能も持ち合わせた建物でした。


 団体客が押し寄せてきたので外へ出ます。






 玉突室の上はバルコニー。 晴天時には鳥海山の遠景も望めるそうです。




 2011年は春(終了)・夏・秋の3回の特別公開でしか庭園内には入れません。


 水辺に咲くカキツバタ。 調べるまでずっとアヤメだと思っていました。。。

呼松郵便局

2011-06-02 19:00:55 | 岡山・広島・山口


 昭和10(1935)年に当時のお金で一万数千円で建てられた郵便局舎。 玄関周りに曲線を多用したフォルムは決して優美という訳ではありませんが、掃き溜めに鶴といった趣で道行く人々の視線を一身に集める存在感を発揮しています。  岡山県倉敷市呼松2-9-23  11年01月上旬



 丸ポストを配する演出が心憎い。


 エントランス上部にステンドグラス。


 色使いも茶目っ気たっぷりです。




 この建物の表情を司るボウウィンドウ。 設計は中村建築事務所となっています。


 吊り下げられた郵便マークは円盤状。


 ステップも曲線を描く。




 ボウウィンドウの上部にもステンドグラスがあります。


 いつまでも咲き誇れ。




 押したらどうなるの?


 建築当初からのものらしいスクラッチタイル。


 後ろは絶壁でした。