仕事に追われる日々。

2008-06-24 20:45:22 | その他・雑記
 仕事が忙しくてブログに取り掛かる気力がありません(ダメ人間?)。 少し休みたいので、今年見た建物で未公表(一部再掲あり)だったものを、とりあえずピックアップしておきます。 順番も地域もメチャクチャに紹介しますので適当に推察して下さい(←投げやり)。 

 



















































 今年の分はこれでしばらくネタ切れなので、梅雨が明けたら改めて建物探訪に行かなければ。 とりあえず北陸&新潟に出掛けたいです・・・

 


旧有壁郵便局

2008-06-20 07:16:20 | 南とうほく (宮城・山形・福島)



 宿場町であった有壁で見つけた旧郵便局舎(大正15年築 1926)。 東北本線の有壁駅の北側に位置します。 押し出し感のあるなかなか立派な建物ですが、現在も使用されているかどうかまでは分かりませんでした。  宮城県栗原市金成有壁上原前  08年04月中旬


 ※おまけ  こちらは同じ通り沿いにあった旧商店(現・個人邸)の建物。 旧局舎と良く似た意匠でまとめ上げられています。   

エリスマン邸

2008-06-19 19:13:34 |  神奈川県








 スイス生まれの生糸貿易商、F・エリスマンの私邸として大正15(1926)年に横浜・山手町に建てられたもの。 エリスマンの死後、所有者が転々とし、昭和57(1982)年にはマンション建設の為に解体される事になりましたが、部材は横浜市に寄贈され、平成2(1990)年に元町公園の現在地に復元されました。

 1階には応接室(暖炉付)や食堂、サンルーム。 2階部分は寝室や浴室が宛がわれ、3階には小さな屋根裏部屋まであるそうです。 設計はチェコ出身のA・レーモンドで、この建物の細部には、彼の師匠であるF・L・ライトの影響が出ていると云われます。  神奈川県横浜市中区元町1-77-4 元町公園内  08年02月中旬他 

RISTORANTE VENTO MARINO

2008-06-18 19:04:45 |  神奈川県



 大磯の駅前に建つ明治末期の白亜の洋館(旧木下別邸)。 大磯は明治の中頃に伊藤博文や西園寺公望といった、当時の国の実力者達がこぞって別邸を構えた気候温暖で風光明媚な土地。 時代の移り変わりと共に多くの建物が失われていく中、個人別邸として建てられたこの洋館はイタリアンレストランとして生まれ変わっていました。 建物の裏手は丘陵地が広がり、国道1号の先には相模湾が望める絶好のロケーション。 ここでの景色を見ながらの食事は格別のものでしょう(入店していないので、あくまでも想像ですが。。。)。  神奈川県大磯町大磯1007  08年03月中旬  

旧寺泊町役場

2008-06-16 19:51:03 | 山梨・新潟




 昭和12(1937)年築のモダンな旧町役場。 新庁舎の完成に伴って解体が決定し、すでに内部は取り壊しの準備が始まっています。 役場脇の階段を上って後ろを振り返れば彼方には雄大な日本海が。 全ての生命の源である母なる海と、消えゆく建物との対比は皮肉としか言いようがありません。  新潟県長岡市寺泊上田町8224-2(?)  08年06月中旬

 ※現存せず。 

牧田組本社

2008-06-14 15:01:28 | 富山・福井





 梅雨の晴れ間を縫っての富山日帰り強行軍。 ロシア語併記の看板も目に入る新湊の街並みは、新潟の港町にも似た「国境」を意識させるような独特な匂いが漂っています。 旧南島商行本店の建物(大正4年築 1915)は、新湊の市街地からは西に外れ、2本の川に挟まれた少し寂しいエリアに佇んでいました。 茶褐色の煉瓦貼りの建物に白の花崗岩を配したスタイルは辰野式のようにも思え、銀行建築のように堂々とした姿に大正浪漫の夢を重ね合わせてしまいます。 明治と昭和に挟まれ短く終わった大正時代の輝かしき息吹を、この建物は今なお感じさせています。  富山県射水市(旧新湊市)庄西町1-18  08年06月上旬他


 ※追記 『富山県の近代化遺産』によると、父親の死により教職を辞し回船業を継いだ南嶋間作(1863~1899)は、汽船時代の到来による北前船の将来性を危惧した事から大型汽船を購入する事を決意し、上海経由で香港まで赴いて汽船チャイナ号(1018トン)を購入。 同船を奈古浦丸と名付け回船業の近代化を図って南島商行を設立します。  明治32(1899)年に間作は若くして亡くなり子の昇(2代目間作)が家業を相続、第一次世界大戦(1914~1918)の好景気の中で本店として建築されたのがこの建物だったそうです。 しかし第一次世界大戦後の不景気により南島商行は大正11(1922)年に解散・整理され、昭和の初期に現在の牧田組の所有となり現在に至っているという。

旧梅田診療所

2008-06-01 19:09:14 |  東京都



 私の生まれ育った町(市)に残る登録文化財の建物です(昭和4年築 1929)。 私の知る限り立川に残る近代建築は非常に少なくて、その中での代表といえるものではないでしょうか。 去年撮った写真(2、3枚目)と比べると、玄関部分に少し手が加えられているように見え、少なくとも放置はされていないようで安心します。
 
 私が子供の頃は「基地の町」のイメージが抜けきらなかった立川ですが、20年位前に始まった駅前の再開発・区画整理によって、この町は大きな変貌を遂げました。 立川駅周辺には大規模商業施設が建ち並び、大小のオフィスビルが林立、頭の上にはモノレールまで町を見下ろすように走り始めました。 私の実家のすぐ近くには「アートコーヒー」の立派な建物がありましたが、再開発の時流に飲み込まれて、いつしか消滅。 写真が無いので古い記憶を呼び覚ますしかないのですが、この「アートコーヒー」の建物は銀行建築のようにカッコイイ建物だったと記憶しています。 晩年はマク○ナルド(バレバレ。。。)のお店に転用されていたのですが、天井が高く、始めて内部に入った時は気分が高揚してワクワクしたのを思い出します。 今になって思えばこの頃から古い建物が好きだったようで、自分にとっての古建築めぐりの原点だったのかもしれませんね。  東京都立川市高松町  08年06月上旬他

 ※10年12月追記 アートコーヒーの建物は日本勧業銀行立川支店だった事を確認しました。