在日米海軍司令部

2009-06-29 00:00:00 |  神奈川県




 米軍横須賀基地の正面ゲートから入って数百メートル、右手の奥に見えてくる在日米海軍司令部は、大正15(1926)年に建てられた旧海軍横須賀鎮守府だった建物。 戦後の占領を考えて空襲されなかったという帝国海軍自慢の横須賀海軍工廠は現在、米海軍の第7艦隊の拠点・後方支援基地として使用されています。 塗り込められた3階の窓部分がこの建物の機密性・重要性を端的に物語っているように感じます。  神奈川県横須賀市楠ヶ浦町 米海軍横須賀基地内  09年06月上旬

神戸ゴルフ倶楽部 クラブハウス

2009-06-27 07:00:00 | 京都・兵庫













 神戸ゴルフ倶楽部は日本初のゴルフ場として明治36(1903)年に創立。 創設時は9ホールでのスタートとなりましたが、翌年にはさらに9ホールが増設されて全18ホールが整いました。 「六甲山の開祖」と称される英国人実業家、A・H・グルームらにより開設された事もあり、当初は英国人を中心とした外国人会員が大多数を占めていましたが、大正末には日本人会員の数がそれを逆転。 昭和になってドライブウェイやロープウェイ、六甲ケーブルの開通など六甲山の開発が進み、それに合わせて神戸ゴルフ倶楽部でも施設やグリーンの改造が行われ、このクラブハウスも昭和7(1932)年にヴォーリズの設計により建て替えられました。

 山上の平地に造られたゴルフ場という事もあって現代ゴルフのプロツアーが行えるほどの規模は無く、こぢんまりとしていてアットホームなゴルフ場になっています。 クラブハウスも同様で、過剰な設備は一切無く、プレーを終えた後に家族や友人達と談笑して寛ぐには最良の空間だと思えるものでした。 六甲山は避暑地だけに夏場は涼しくて快適ですが、逆に冬場は非常に厳しく、雪の為にこのゴルフ場は半年近くも閉ざされてしまうそうです。 そんな事もあってか休憩室の縦長窓のカラクリはかなり独創的な仕掛け。 窓を下げれば下の部分に格納されて大きな開口が出来て風が通り抜け、下から板戸を引き上げれば風雪に対する万全の備えとなるといった具合です。 2度の改修を受けているそうですが、昔から違わない普遍的な価値観を待った建物という印象を持ちました。  兵庫県神戸市灘区六甲  09年06月中旬

※写真が一部大きくなります。

植柳小学校旧講堂

2009-06-25 07:11:32 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島






 大正14(1925)年築。 特異な外観と朽ちかけたコンクリートの表面が禍禍しさと共に孤高の存在感も放っています。 これだけの建物が市の文化財レベルに留め置かれるべきだとは思いません。 設計は熊本市役所の西本清樹と云われます。  熊本県八代市植柳上町449  09年05月上旬

 ※現役の小学校内にあります。 見学の際は十分なご配慮をお願い致します。
  写真が一部大きくなります。

九州電力 上野変電所

2009-06-24 07:06:28 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島




 大分水電により大正3(1914)年に建てられた煉瓦造りの変電所。 窓の上のキーストーンや妻部分のメダリオンなど、赤煉瓦の躯体に白い装飾を入れて単調な壁面になるのを回避しています。 内部は一部吹き抜けで、1階の天井はヴォールトになっているようです。  大分県大分市上野丘1-11  09年05月上旬

 ※参考 『大分県の近代化遺産』  1994

旧弘前市立図書館

2009-06-23 07:09:21 | きた東北 (青森・秋田・岩手)










 堀江佐吉・斎藤主(つかさ)など、弘前(ひろさき)市内の建設請負業者ら5名の寄付金をもとに建設され、市に寄贈された図書館建築(旧日露戦捷記念弘前図書館 明治39年築 1906)。 赤の双塔ドームが洋館ムードを高め、前面に整然と並べられた窓が開放的で明るいイメージを作り上げています。 平面図がL字型(廊下もL字型)になっているせいなのか、建物出入り口が正面中央ではなく左の塔側に設けられているのも面白いですね。 昭和6(1931)年まで図書館として使用され、その後は市内・富野町に移築され喫茶店兼私営アパート等となっていました。 平成2(1990)年、弘前の市制施工百周年の記念事業として現在地に再移築・復元されました。    青森県弘前市下白銀町2-1  05年08月中旬他

 ※参考 『西洋館漫歩 建築スケッチの旅』  1984
  写真が一部大きくなります。 

江北図書館

2009-06-22 07:05:19 |  滋賀県




 寄棟屋根・4連アーチ窓の旧伊香郡農会庁舎の建物(昭和12年築 1937)。 今は財団法人が運営する現役の図書館だそうです。 写真をぼんやり眺めていたら、フッと、旧東川手村役場を思い出してしまいました。  滋賀県木之本町木之本1362  08年07月下旬

 ※参考 『湖国のモダン建築』  2009

清水銀行由比支店本町特別出張所

2009-06-19 07:02:16 |  静岡県




 明治末の静岡には194もの地方銀行が林立していましたが、現在は静岡・清水・スルガの3行に統合されています。 正面のイオニア式角柱が特徴的なこの建物も、当初は庚子(こうし)銀行本店として大正14(1925)年に建てられたものです。 由比町初めてのRC造の建物は、地元の亀山治作による施工。 内部は吹き抜けで2階に10畳の和室が設えてあるそうです。  静岡県静岡市清水区由比41  09年02月下旬

 ※参考 『静岡県の近代化遺産』  2000

旧伊庭家住宅

2009-06-18 07:04:43 |  滋賀県













 住友家第二代総理事だった伊庭貞剛(1847~1926)の邸宅として建設。 完成後は彼の四男であり、後に安土村長なども務めた伊庭慎吉(1885~1975)の住まいとなりました。 建物の設計はヴォーリズによるもので、大正2(1913)年完成という事は彼の作品の中では初期の物。 柱や梁をむき出しにしたハーフティンバーが美しい建物ですが、和風然とした玄関部分や石積みの外壁をしたサンルーム(?)など、全体的には統一感の無さも感じてしまいます。 建物の解説をしてくださったガイドさんの話だと後年になって増改築された部分があるようなので、あるいはその辺りがチグハグ感に影響しているのかも知れません。 内部は1階が和室中心で2階が洋室中心の和洋折衷スタイル。 傾斜の緩やかな階段はヴォーリズ建築の美点の一つといえるものでした。 1階部分に痕跡がありますが、元々はドイツ壁 + ハーフティンバーの建物のようです。  滋賀県安土町小中191  07年11月下旬

 ※参考 『街角ルネサンス ―湖国に息づく西洋建築―』 1986

旧陸軍第四師団司令部庁舎

2009-06-16 07:17:50 |  大阪府





 大阪城の天守閣再建の為に集められた寄付金をもとにして昭和6(1931)年に建設。 しかしその建設費は天守閣を遥かに凌いだもので、この建物は完成と同時に軍に寄付されました。 ロマネスク様式の建物はタレット(隅塔)やロンバルディアバンドが特徴の中世の城郭風スタイルで、他ではあまり目にしないタイプ。 車寄せの軒も深くて全体的に堂々とした造りになっています。 戦後は大阪府警本部や市立博物館として使用された建物も、平成13(2001)年からは空家状態。 場所も建物も悪くないと思われるだけに大変勿体無い事です。  大阪府大阪市中央区大阪城1-1  08年01月上旬

旧本庄警察署

2009-06-15 07:10:59 | 埼玉・千葉




 明治16(1883)年築。 建物の構成は旧登米警察署(宮城県 明治22年築)と良く似ています。 大きく異なっているのは屋根のペディメントを支える柱がコリント式なのと、外壁が漆喰塗りで隅部をコ-ナーストーン風に仕上げている所でしょうか。 ベランダの手すりや上げ下げ窓は写真を元に復元されたものですが、天井の灯火掛けの円形レリーフは当時のまま。 2階のバルコニーの天井に付いていたレリーフの図柄は鳳凰のようにも見えます(ニワトリではないと思われ)。 警察が移転した後は消防団本部~簡易裁判所・区検~公民館・図書館として使われ、現在は歴史民俗資料館になっています。  埼玉県本庄市中央1-2-3  08年08月上旬

 ※写真が一部大きくなります。
  参考 『総覧 日本の建築2 関東』  1989
     『近代埼玉の建築探訪』  2006

旧南湖院第一病舎

2009-06-12 07:12:27 |  神奈川県







 南湖院―  東洋一のサナトリウム(結核療養所)。 国木田独歩終焉の地。
 
 南湖院は医師・高田畊安により明治32(1899)年に創設。 高田教とも言われる神道色をまぶした特異なキリスト教と安静療法とで結核患者の治療に当たりました。 広大な敷地にはおよそ60棟もの建物が点在し、最盛期には400人を超える患者や職員達による一大コロニーの状況を呈していたそうです。 しかし高田院長の没(昭和20年 1945)後は海軍に全面接収される事になり、南湖院は解散に追い込まれました。

 現在は老人ホームとなっている敷地の中に、南湖院で一番最初に建てられた第一病舎(明治32年築)が残っています。 人間の生死のドラマ、そして南湖院の全ての歴史と向き合ってきた建物は、今はホームの施設として使用されているようでした。    神奈川県茅ヶ崎市南湖  08年03月中旬他

 ※参考 『ヨコハマ建築慕情』  1991


 ※その他の結核療養所。
 旧富士見高原療養所(長野県 大正15年)。 堀辰夫『風立ちぬ』の舞台。


 旧近江サナトリウム(滋賀県 大正7年)。 現・ヴォーリズ記念病院。

宇陀の不明建物。

2009-06-11 07:13:02 | 奈良・和歌山




 榛原福祉会館を探している時に見つけた正体不明の建物。 屋根は入母屋、外壁は石造風に仕上げ、1階の窓には頑丈そうな鉄扉。 玄関周りにはペディメントや様式不明の柱頭飾りまで備わって単なる倉庫建築ではない感じ。 建物左手の痕跡から判断すると、隣に町屋の商業店舗があってその付属屋として建てられたものかも知れません。  奈良県宇陀市榛原区萩原  07年09月下旬


 ※おまけ  こちらが本来の目的だった榛原福祉会館(大正11年築? 1922?)。 旧県立蚕業試験場の建物で、玄関屋根の鬼瓦に蚕(かいこ)の姿があるのが過去を偲ばせます。 建物の状態もなかなか良さそうでしたが、日本建築学会から保存要望書が出ている通り、幼稚園の園庭拡張計画に伴い解体の可能性があるようです。



海山郷土資料館

2009-06-10 07:06:24 |  三重県




 林業家・松永家により日露戦争の勝利を祝して別邸として建てられたもの(明治43年築 1910)。 向栄館と呼ばれていたこの建物は建物全体が尾鷲杉の展示場としての役割も持っており、厳選された良質の木材を入念な施工で仕上げたものだそうです。  三重県紀北町海山区中里96  07年08月中旬


※おまけ お隣の大紀町(旧大内山村)間弓で見つけたのは、旧大内山郵便局(大正15年築 1926)でしょうか?

北見ハッカ記念館

2009-06-09 07:12:14 | 北海道 その他のエリア










 旧北聯(ホクレン)野付牛薄荷工場研究室兼事務所(昭和10年築 1935)。 昭和初期に世界の薄荷(ハッカ)市場のおよそ7割を占めるまでに隆盛を極めていた北見ハッカの歴史を後世に伝える記念館。 飾り立てない木の温もりが豊かな時代を想起させます。  北海道北見市南仲町1-7-28  06年05月上旬