ゴールデンウィークへの準備。

2008-04-28 21:11:15 | その他・雑記
 みなさん、こんにちは(今晩は)。
 
 今年は曜日の配列が良くないので、ゴールデンウィークといっても私は長期の連休にはなりませんが、来月にはとりあえず建物探訪に行ってきます。

 明日は仕事もお休みなので、一日かけて旅の準備や訪問場所を考えるつもり・・・という訳で、また暫らくの間ブログをお休みさせて貰います。

 仕事もそこそこ忙しく半月くらいは休むかもしれませんので、今年見た建物その3を、いくつか公開。

 新規投稿はお休みですが、コメントには返事出来ると思いますので宜しくお願い致します。

 それではまた。






































 

旧伊予農業銀行郡中支店

2008-04-25 07:17:57 | 愛媛・香川



 現・伊予ショップガイド(明治44年築 1911)。 外壁が新しい物に変えられ正面扉なども味気ない物になっているので、パッと見たところでは古さは感じませんが、窓周りや柱頭飾りなどを見てみれば確かに明治期の擬洋風建築だという雰囲気は伝わってきます。 愛媛銀行~芸備銀行~広島銀行と変遷し、昭和38(1963)年から現用途(伊予ショップガイド)になってるようです。  愛媛県伊予市灘町7  07年01月上旬

 ※おまけ  こちらはお隣の湊町で見つけた建物。 昭和元(1926)年築の藤井医院ではないかと思うのですが、玄関部分の凝った造りに目を奪われます。 松本にもありましたが、この辺りは個人医院が非常に密集したエリアです。
    



  おまけ その2  お次は萬安港旧灯台(明治2年築? 1869?)。 浅くなった港を修築する際に、それまであった木造の灯台を石造で改めたもの。 さらにその後の港の改修(大正元年 1912)で今の場所に移築されてきたそうです。 現在は灯台としての機能はしてませんが、かつての萬安港の賑わいを今に伝える大切な灯火(ともしび)になっています。  

旧山本理髪店

2008-04-24 07:06:18 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)



 大正末期頃に旧円山村に建てられ、昭和61(1986)年まで営業をしていたという理髪店の建物。 正面部分だけ白ペンキを塗られて爽やかに清潔感をアピールしています。 人形や小道具が妙にリアル過ぎて(?)イイ感じ。  北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1 北海道開拓の村内  07年05月上旬 

つきさっぷ郷土資料館

2008-04-23 07:07:07 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)




 旧北部軍司令官官邸(昭和15年築 1940)。 かつて月寒に歩兵第25連隊が置かれていた事を雄弁に物語るレンガの建物。 戦後は進駐軍の接収や北海道大学の学生寮として転用されていた為、かなり荒っぽい使われ方をされていたらしいのですが、現在は郷土資料館として静かな余生を過ごすに至っています。 月寒の歴史を後世に伝える為に、限られた予算の中で地域住民のボランティア活動によって資料館の運営をやりくりしている、という管理人さんのお話が大変印象的でした。 北海道札幌市豊平区月寒東2条2丁目  07年05月上旬

 
 ※おまけ  こちらは札幌市水道局西岡水源池取水塔(旧札幌衛戍地水道取水塔 明治40年築 1907)。 旧陸軍の軍用水道施設の一環として作られたもので、旧月寒水道は歩兵第25連隊へも給水していたそうです。  札幌市豊平区西岡公園内 

 

旧塩屋出店洋館

2008-04-22 07:09:29 | 島根・鳥取




 商家風町屋の旧塩屋出店の中庭に建つ小さな洋館(昭和10年頃築 1935)。 子供たちの文化育成の為に教会として利用されていた建物を、智頭町出身の映画監督である西村克己氏の映画記念館として再生したものです。 本当に小さな建物ですが、1階には所狭しと昔の映画のポスターなどが展示され、ささやかな時間を過ごす事が可能となっています。  鳥取県智頭町智頭545  06年11月上旬 


 ※おまけ  こちらが旧塩屋出店主屋(明治30年頃築 1897)。 現在は食事処として活用。 正面脇の通路から中庭に入れば洋館の姿を見られます。 主屋・洋館ともども登録文化財。


旧布部郵便局

2008-04-21 07:01:04 | 島根・鳥取



 昭和14(1939)年築。 昭和62(1987)年まで現役だったという郵便局舎は、細部の意匠にこだわった白壁の綺麗な建物でした。 玄関庇(ひさし)と上部の装飾には丸みを持ったデザインを施しつつ、1階横の窓は菱形にして微妙にハズしている所が心憎い。 現用途は不明でしたが、大切にされているようで一安心です。  島根県安来市広瀬町布部  06年11月上旬

中原浄水場 旧管理事務所

2008-04-18 07:06:19 | 南とうほく (宮城・山形・福島)




 昭和8(1933)年築。 建設当初は陸屋根でパラペットにスペイン瓦を載せたモダニズム色の強いものだったのを、近年の改装によって寄棟屋根にしたもの。 内部公開はされていないようでしたが、玄関横の窓のアイアンワークがさりげなくお洒落で、中も見てみたかった建物です。 仙台市青葉区にありますが、東北道の仙台宮城I.C.からは西の方に位置する(市内とは逆方向)ので、なかなか訪問しづらい場所かもしれません。  宮城県仙台市青葉区芋沢中原24  08年04月中旬 

南甲府駅

2008-04-17 07:15:49 | 山梨・新潟



 昭和3(1928)年築。 中央線の甲府駅とは比較にならないくらいに駅前は閑散としていますが、身延線の前身である富士身延鉄道の本社屋でもあった為、このように立派な駅舎が建てられたそうです。 何かの本で見たコンクリむき出しの外装が私の中でのイメージだったのですが、現在は白と薄ピンク?のツートンカラーに塗られた綺麗な外観になっていました。  山梨県甲府市南口町  06年06月中旬他

瑞穂町武道館

2008-04-16 07:12:13 | 島根・鳥取




 昭和3(1928)年築の旧田所尋常高等小学校講堂。 マンサード屋根になっている出入り口部分の庇(ひさし)が特徴的。 建物正面部分の出っ張りには奉安庫が配置されていたそうです。  島根県邑南町(旧瑞穂町)下亀谷210  05年09月下旬

 ※おまけ  武道館のお隣りにあったこの建物は、昭和30(1955)年築の旧田所小学校でしょうか。 訪問時は建設資材の置場のようになっていました。


旧七戸郵便局

2008-04-15 07:05:23 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 昭和3(1928)年築の旧郵便局舎。 セセッション風の装飾が特徴だそうです。 国の登録文化財に指定されていますが現状ではあまり手を掛けられていないような雰囲気。 ペンキを塗りなおすだけでもかなり見栄えは良くなると思いますが、そこまでの余裕も無いのでしょうか。 雨の中での訪問でしたが横の窓が少し開いているのを閉めてあげたかったです。  青森県七戸町七戸141  07年07月中旬 

旧大箇口医院

2008-04-14 19:36:38 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 平成8(1996)年に親子2代、約百年に渡る医療活動に終止符を打ったという旧個人医院の建物(昭和11年築 1936)。 この地域の患者達の悲喜こもごもの姿を見てきた建物も、現在は宗教関係の施設として生まれ変わっているそうです。 玄関上部の装飾が美しい・・・。  岩手県奥州市江刺区玉里青篠  07年7月中旬

 ※参考 『いわて未来への遺産 近代化遺構を歩く 明治~昭和初期』  2003 

旧山田郵便局電話分室

2008-04-11 07:08:59 |  三重県



 現在は明治村に移築されている宇治山田郵便局(明治42年築 1909)が手狭になった為、吉田鉄郎の設計で大正12(1923)年に増築された建物。 レンガ造ですが表面はモルタルを塗られ、鉄筋コンクリート造のように見せています。 山田郵便局は神都・伊勢にあるという事から、地方都市の郵便局の中では別格の扱いを受け、本棟ともども県都である津をしのぐ建物が建てられたそうです。 現在は「ボンヴィヴァン」というフランス料理店として活用されています。  三重県伊勢市本町20-24  05年12月下旬他

 ※写真が一部大きくなります。   

北海道教育大学函館校 北方教育資料室

2008-04-10 07:06:07 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)



 旧函館師範学校(大正3年築 1914)の建物の両翼をカットして、中央部分だけを移築・保存したものだそうです。 玄関ポーチの部分がアンバランスに大きく感じましたが、元々の建物にはちょうど良い大きさだったのでしょうね。 塔屋の天辺にはランタンが付いています。  北海道函館市八幡町1-2  06年04月下旬

 ※写真が一部大きくなります。

松本、蟻ヶ崎へ

2008-04-09 07:06:36 |  長野県


 今でこそ近代建築をメインに建物探訪を続けておりますが、最初に興味を持った建物はお城でした。 

 一口にお城といっても昭和に入ってから再建されたものには興味が薄く、いわゆる現存12天守巡りを始めたのが建物探訪のきっかけ。

 といっても関東には現存する天守閣はひとつも無くて、自分の住んでいる所から一番近くにあるのがこの松本城でした。 何度か訪れている親しみあるお城なので、松本に行くとついつい此処に寄ってしまいます。。。

 でも今日の紹介はここではありません。 目的は蟻ヶ崎。

  





 この建物は松本深志高校の管理普通教室棟と講堂(昭和8年と同9年築 1933と1934)です。 各部に見られる近世ゴシック様式の意匠は、東大の安田講堂(大正14年築 1925)を模したものといわれています。 いかめしい角(つの)と玄関部のアーチが目につくスクラッチタイル貼りの立派な建物だと思いますが、長野県内には擬洋風からこのような近代的なものまで、様々なバリエーションを持った「学び舎」が現存しているので、各地を見て回るのも面白いかと思います。


 朝方は晴れ間ものぞいていましたが、午後になると雲行きは怪しくなる一方。 私の心情を察しているのかいないのか、天気は下り坂になってきました。 実は蟻ヶ崎に来た理由はもう一つあります。 ここには“男装の麗人”といわれた川島芳子のお墓があるのです。  


(写真が一部大きくなります)

 彼女が男装するようになった理由は、自身の恋愛問題とも養父・浪速に関係を迫られた為ともいわれますが、真実は分かりません。

 広大な中国大陸を舞台にして、激動の時代を駆け抜けた彼女の生涯は、まさに「時代の徒花(あだばな)」と呼ぶべきものかもしれませんが、それだけに鮮明な印象を残したのもまた事実です。

 同じく日本と中国、2つの祖国の間で翻弄され続けた李香蘭(山口淑子)と運命を微妙に交錯させながらも、第二次大戦における日本の敗北は2人の”よしこ”の生涯を大きく違える事になります。

 漢奸(売国奴)の嫌疑をかけられながらも、日本人である事が証明されて無罪を勝ち得た淑子。

 しかし芳子には日本国籍は無く、漢奸罪の適用により死刑判決を受け、昭和23(1948)年、彼女は銃殺刑に処せられました。

 死刑執行後、彼女の獄衣のポケットには辞世の句が残されていたそうです。


  家あれども帰り得ず
  涙あれども語り得ず
  法あれども正しきを得ず
  冤あれども誰にか訴えん

 
 彼女が悲劇のヒロインだったとは思いませんが、最期の言葉がいつまでも胸に突き刺さるのは何故なのでしょう・・・ 川島芳子は今、この松本の地で永久の眠りについています。   06年07月中旬訪問


 ※松本市 歴史の里(長野県松本市島立)内には「川島芳子記念室」が置かれています。 大きなスペースではありませんが、興味のある方は是非覗いてみてください。 彼女がどんな人物だったのか、ちょっとだけでも感じ取れる事と思います。 

旧五十嵐歯科医院

2008-04-08 07:05:10 |  静岡県











 大正3(1914)年頃に建てられた個人医院兼住宅の建物。 大正7(1918)年頃に西側部分(正面向って左手の、一歩下がった所)、昭和13~14(1938~39)年には玄関から右側の部分と、2度の増築がなされ現在のような形態の建物になったそうです。 
 
 以前からあった明治期の町家を洋風に改築したともいわれるだけに、内部には通り土間があり、タタミ敷きの和室が基本になっています。 建物前面だけでなく、背面にも大きな窓が開いているので中は結構明るい感じ。 近江八景や富士松原が描かれた欄間飾りも見事なもので、家具に嵌めこまれた(?)大きな金庫などもありました。 玄関入ってすぐの階段を上がれば、2階はレトロな診療椅子が置かれた治療室や年季の入った技工室などになっています。 建物は旧東海道に面しているので、この治療室から見えた往時の蒲原の町並みは、患者さんにとっても楽しみの一つだったのかもしれませんね。
 現在、建物は無料で公開されてますが、もっと詳しく知りたければ邸内で売っている『旧五十嵐邸物語』がお勧めです。 建物の説明は勿論、修復や保存についての作業の一端が写真付きで解説されているので大変分りやすいものになっています。  静岡県静岡市清水区蒲原3-23-3  07年02月上旬他    
 

 ※おまけ こちらはすぐ近くで見つけた楳田医院。 大正7(1918)年の建物(『静岡県の近代化遺産』では大正初期築になっています)。