旧厚保郵便局

2007-03-30 07:09:46 | 岡山・広島・山口






 廃な旧郵便局舎(昭和9年築 1934)。 美祢西I.C.を下りた直ぐ近くにありましたが、かなり荒れていたので先行き不安な建物です。 後ろに平屋建ての住居部分?が付属しています。  山口県美祢市西厚保町本郷  05年12月下旬他

 ※09年09月下旬再訪。 写真の追加・変更、本文に加筆修正を行いました。

静岡銀行本店

2007-03-28 07:32:35 |  静岡県







 旧静岡三十五銀行本店(昭和6年築 1931)。 2面にある4本の円柱がいかにも銀行建築らしく重厚に見せています。 昭和18(1943)年に静岡三十五銀行と遠州銀行が合併して現在の静岡銀行が設立されました。  静岡県静岡市呉服町1-10  07年02月上旬他

鹿角市郷土民俗資料室

2007-03-25 12:12:25 | きた東北 (青森・秋田・岩手)







 旧鹿角郡公会堂。 大正天皇御大礼記念として大正5(1916)年に建設。 現在は民俗資料の収蔵庫として使用されています。 内部に入ってみれば300人収容というホールはステージ付きの立派なもので、各種催事に利用された他、戦時中には兵隊の教育の場としても使われていたそうです。 かつてホールに吊り下がっていたという豪華なシャンデリアは失われ、外装のペンキも剥げかかってみすぼらしさが目立つ建物ですが、“花輪の鹿鳴館”といわれた残り香は今もまだ漂っています。  秋田県鹿角市花輪中花輪  05年11月中旬

 ※08年08月中旬再訪し内部見学。 写真の追加・変更(秋から夏になってしまいました・・・)、本文の加筆・修正を行いました。
  写真が一部大きくなります。

旧殿居郵便局

2007-03-22 07:11:55 | 岡山・広島・山口




 どんどんふえる定額貯金。 どんどんふえる・・・

 二代目局長・河田寛が地元の大工棟梁・石光孝一(資料により別の名前も見受けられますが、ここでは現地説明板に従います)を東京に連れ、そこで見てきたデザインを参考にこの局舎を建てたと云われます(大正12年築  1923)。 特徴的な八角塔屋は第二次大戦で焼失する前の東京駅のドームを真似たとも伝わりますが、真偽のほどはどうでしょうか。  山口県下関市豊田町殿居1111  05年12月下旬

旧東川第五小学校

2007-03-17 09:29:26 | 北海道 その他のエリア




 現・北の住まい設計社。 昭和3(1928)年築の木造校舎で昭和58(1983)年に小学校は閉校。 現在は家具の製造工場などとして使用されています。 オリジナルっぽい星型の校章が残っているのは、ここの卒業生の方には懐かしい想い出を呼び起こすものでしょうね。  北海道東川町北5線東7号  06年05月上旬

米子測候所

2007-03-16 07:01:43 | 島根・鳥取


 昭和14(1939)年築。 米子工業高校に近接しており予想以上に大きな建物でした。 もちろん現役の施設ですが、平日なら見学も出来るようです(電話確認が必要です)。  鳥取県米子市博労町4-325  06年11月上旬

 ※10年05月再訪。 どうやら解体される様子でした↓

妹背牛郷土館

2007-03-15 07:01:17 | 北海道 その他のエリア






 昭和6(1931)年に妹背牛(もせうし)村役場として建てられたもの。 説明板には、明治期のフランス風デザインの流れを汲んだ建築・・・とあります。 緑のマンサード屋根に白い窓枠がメルヘン(死語?)で可愛らしい建物は、開拓時代から現代に至るまでの資料や農具などの展示が行われています。  北海道妹背牛町妹背牛247-2  06年05月上旬

熊本洋学校教師ジェーンズ邸

2007-03-14 07:11:11 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島





 熊本洋学校に迎えられた外国人教師の為に、明治4(1871)年建設。 英語教師として赴任したL・L・ジェーンズ(1838~1909)の一家が移り住んだ事から、ジェーンズ邸と呼ばれました。
 明治9(1876)年に洋学校が廃校になりジェーンズ一家が熊本を去ると、翌年に起きた西南戦争の際には官軍征討総督・有栖川宮熾仁(たるひと)親王の宿舎になりました。 その際、元老院議員・佐野常民による「戦傷者を敵味方区別なく救済したい」という願いに直許が下り、博愛社(後の日本赤十字社)が創設。 ここは日赤発祥の地になりました。
 数度の移転・用途変更の後、昭和45(1970)年に現在地に移築。 洋学校関係・日赤関係の資料が展示・公開され今日に至っています。  熊本県熊本市水前寺公園22-16  05年05月上旬

牧丘郷土文化館

2007-03-13 07:10:36 | 山梨・新潟





 旧室伏学校。 明治8(1875)年築の藤村式建築。 数度の用途・名称の変更の後、室伏公民館として使用されていましたが、平成15(2003)年に現在地に移築され無料公開中。 道の駅・花かげの郷まきおか内にあります。  山梨県山梨市牧丘町室伏2120  07年03月上旬他

餘部鉄橋

2007-03-12 07:17:11 | 京都・兵庫







 天空の朱橋(明治45年完成 1912)。 全長309メートル、高さ41メートル、11基の橋脚を持つトレッスル式の橋。 設計は鉄道院技師の古川晴一。彼は碓氷峠のアーチ橋も手がけ、鉄道橋に関しては当時の第一人者でした。
 
 この橋を始めて知ったのは、昭和61(1986)年の暮れも押し迫った頃(12月28日)に起きた回送列車の転落事故でした。 日本海より吹き付ける突風により列車があおられ転落、直下にあった水産加工工場を押しつぶし6名の尊い命が失われるという惨事でした。 テレビに映し出された鉄橋の姿は、まだ子どもだった自分の常識の範疇を超える異形の存在でしかなく、ほどなくして記憶の片隅に埋もれていくものでした。
 
 あれから20余年。 鉄橋はついに姿を消す事になりそうです。 今春には新しい橋への架け替え工事が着手され、数年先の新橋完成後には解体・撤去が始まるのでしょう。 転落事故後に建立された観音像の前に立ち、朱色の鉄橋を見上げると、なにか血の通った尊い存在のような気がしてきて、大切な物を失うような錯覚を覚えます。  兵庫県香美町香住区余部(あまるべ)  06年11月上旬

中成堂歯科医院

2007-03-11 10:14:20 | 埼玉・千葉




 旧中野歯科医院(大正2年築 1913)築。 30年近い休止期間を乗り越えて再びスタートを切った歯医者さんの建物。 2002年に内外装のリニューアルを行っているようです。 公式HPを見ていたら、今月末日(31日)の「アド街ック天国」でこの医院が紹介される旨が載っていました。 建築ファン必見(関東ローカルのネタかも...)?  埼玉県川越市幸町13-5  07年03月上旬

民具館

2007-03-09 07:08:57 | 徳島・高知




 明治19(1886)年に須崎警察署佐川分署として建てられる。 昭和5(1930)年に移築され青山文庫として使用され、昭和41(1966)年には農・商民具を展示する施設となりました。 昭和53(1978)年に現在地に再移築されています。  高知県佐川町甲356-2  07年01月上旬

双葉幼稚園

2007-03-08 07:08:53 | 北海道 その他のエリア



 大正11(1922)年築。 帯広で最初の幼稚園として明治44(1911)年に開設。 おとぎ話にでも出てきそうな赤いドームの建物は、2代目園長の臼田梅の設計によるもの。 八角形のホールを中心に放射状に8つの部屋を配し、360度全て(の園児)が見渡せるという理にかなったものだそうです。 彼女はF・L・ライト設計の幼稚園の図面を参考に、理想の園舎を作り上げたとも云われています。  北海道帯広市東4条南10丁目  06年05月上旬

 ※現役の幼稚園です。 見学の際はご注意ください。

旧大連自然博物館

2007-03-07 07:09:10 |  大連(中華人民共和国)





 霧に煙る廃洋館・・・ 実を言うと大連で一番心を奪われた建物はここでした。 ロシア人街の突き当たりにあるのですが、厚く垂れこめた霧の中から突然その姿を現した時には思わず息を呑んでしまいました。 煉瓦造・北欧ルネサンス様式の建物は、私の訪問時点ですでに7年くらい空家になっていたかと思われますが、静かな佇まいは時を忘れさせ、自分が今、いつの時代にいるのか分からなくなったような気がしました。

 分かる限りでこの建物に付いて述べると、帝政ロシア時代の1900年頃に東清鉄道事務所として建てられ、1902年にダーリニー市役所に。 1904年に開戦した日露戦争(1904~05)により大連の覇権が日本に移ると、1907年に南満州鉄道株式会社(満鉄)の本社となりました。 但し、ロシア軍が大連を引き払う時にこの建物に火を放ったらしく、屋根が落ちた無残な姿の写真が残っているので、内部は修復されオリジナルは外観(外壁)だけかもしれません。

 わずか1年で満鉄がここを引き払った後は、大連ヤマトホテルとして使用されました。 明治の文豪・夏目漱石が、1909年に満州と朝鮮を旅行した際に泊まったヤマトホテルとはここのようです。 このくだりは『満韓ところどころ』に記述があるそうです。 いつまでホテルとして使用されたのか分からないのですが、その後は満蒙資源館、大連自然博物館と変遷し、98年に博物館が移転するとそのまま空家・廃墟状態が続いているようです。

 帝政ロシア、日本、中国と、主を変えながら時代の波に揉まれてきたこの建物が、今後どうなってしまうのか非常に気になります。 これだけの歴史がある建物ですけど、それは中国にとっては即ち負の歴史でもあるわけですから・・・  中華人民共和国遼寧省大連市  05年11月上旬

九州海技学院

2007-03-06 17:41:45 | 大分・熊本・宮崎・鹿児島





 明治35(1902)年築。 元々は宇土郡役所として建てられ、大正15(1926)年に三角(みすみ)町役場、昭和32(1957)年に現在の九州海技学院へと移り変わってきました。 海の男を養成する国内唯一の公立機関として現在も活躍中です。 マリンブルーの塗装が目に鮮やかなのですが、昔の写真を見るとこの部分は茶色。 かなり地味~な建物にしか見えず、今の方がそれっぽくていいと思います。  熊本県宇城(うき)市三角町三角浦1193  05年05月上旬

 ※10年01月上旬再訪。 写真の追加・変更を行いました。