古河掛水倶楽部

2007-06-29 07:08:06 | 北関東3県 (茨城・栃木・群馬)











 16世紀中頃に発見された足尾銅山は明治に入り官営となりましたが、産出量が激減し民間に払い下げられました。 払い下げ(明治10年 1877)を受け経営に乗り出した古河市兵衛は技術革新に務め、廃山同然だった銅山を見事に再生。 銅の一大産地として国家の繁栄に多大な貢献を果たしました。 この建物は明治32(1899)年に足尾銅山の迎賓館として建設され、明治末期に一部を洋風2階建てに改築。 政府高官や要人の接待・宿泊場所として使用され、華やかなるひと時を提供しました。

 現在も古河機械金属㈱の福利厚生施設として現役の建物ですが、土日祝日に限って公開されています。 建物向かって左手の旧館から内部に入ると和洋折衷の建物である事が見て取れます。 新館(2階建て部分)の1階部分は食堂になっておりマントルピースに目が釘付け。 正面向かって右手の建物は撞球場になっていて、国産最古級といわれるビリヤード台が置かれていました。 他にも鉱山電話ミニ資料館、明治44(1911)年築の旧幹部社宅、防空壕(?)を通って回り込む新館裏手の眺め、書庫として建設された煉瓦倉庫(明治43年築??)等々、見所いっぱいの建築群でした。  栃木県日光市足尾町  07年04月中旬

江別市ガラス工芸館

2007-06-28 07:09:10 | 北海道 その他のエリア




 「北海煉瓦合資会社」の代表社員であった石田惣喜知氏の邸宅として昭和21(1946)年に建設。 『道南・道央の建築探訪』によると、給与代わりに会社から受け取った規格外の製品を用いて自ら設計、建築したとあります。 現在はもとにあった場所から40メートルほど曳家され、鉄筋コンクリートの補強がされた後、ガラス工房として活用されています。 活用されるにあたり内部はかなり改変されているみたいで、住居であった面影はほとんど残っていないような感じでした。  北海道江別市野幌代々木町53  06年05月上旬

 ※建築年については昭和18年とか同20年という資料もあります。

旧長野種馬所

2007-06-27 07:07:54 |  長野県






 明治39(1906)年開設。 現在は長野牧場という家畜改良センターになっています。 一番最初の写真の建物はかつての庁舎の建物(明治40年築)で、今は牧場資料館となっており春の花見や秋の牧場祭などには公開されているようです。 その他の建物は詳細不明ですが、結構いい味が出ているのでそこそこ古そうな感じ。 上田で思いのほか時間を費やし旧中込学校の開館時間に間に合わず見学できませんでしたが、こちらはこちらでホノボノとしていて気が緩みました。 適当に写真を撮った後は心の浄化。 日が落ちるまでヤギさんと戯れておりました。  長野県佐久市新子田1889  07年06月下旬

信州大学繊維学部講堂

2007-06-26 07:05:51 |  長野県




 旧上田蚕糸(さんし)専門学校の講堂として昭和4(1929)年に建てられたもので、同校は蚕業に関する我が国初の高等教育機関として設立されたものです。 建物には蚕糸を象徴する桑、蛾、繭が意匠されているといいますが、外観からは見つける事が出来ませんでした。 三角の出窓が独特な表情を作り出していて面白い建物です。  長野県上田市常田3-15-1 信州大学構内  07年06月下旬

大岬旧海軍望楼

2007-06-25 07:11:10 | 北海道 その他のエリア




 ロシア艦隊を監視する為の国境の備えとして、明治35(1902)年に旧帝国海軍により設けられた望楼。日露戦争(1904~05)の終結によりその役目を終えたかに思われましたが、その後は無線通信所としての機能を与えられ、情報の伝達という重要な役割を果たしました。
 
 心地よい海風を体に受け、ゆっくりと望楼に登っていくと目の前には宗谷海峡が広がっていました。日本が軍事大国に突き進んでいった事を少なからず物語るような建物も、今では観光客の絶好の展望スポットとして、その目を楽しませる手助けをしています。天気の良く晴れた日にはここから遠く樺太(サハリン)の姿も見えるそうです。  北海道稚内市宗谷村  06年05月上旬

旧宇和島警察署

2007-06-24 17:37:49 | 愛媛・香川





 明治17(1884)年築。 設計者不詳なのですが、まだ中央でも洋風の建物がポツポツと建ち始めたばかりの時代に、四国の片隅にこれほどの物が建ったのは、当時のこの地方の進取の風土が成せるものだったのではないかとも云われます。 警察署としての役目を終えた後は、昭和27(1952)年に西海町(現・愛南町)に買収・移築され、町役場として使用。 老朽化が進み、新役場が建設されるのに伴って平成4(1992)年に宇和島市に再移築され、現在は宇和島市立歴史資料館として活用されています。  愛媛県宇和島市住吉町2-4-36  07年01月上旬他

旧栗林商会社屋

2007-06-22 07:13:07 | 北海道 その他のエリア



 昭和8(1933)年築。05年まで道南バス室蘭西営業所として使用されていましたが、同社の撤退後は使われておらず、ついに昨年(06年)の9月に解体となってしまったようです。すっきりとしない薄曇の天気がこの建物の将来を暗示しているようだったのが、今になって思い出されます。  北海道室蘭市海岸町1-22  06年04月下旬

旧北海道漁業公社

2007-06-21 07:11:11 | 北海道主要部 (札幌・小樽・函館)






 元々は浅野セメント函館営業所として建てられたもので、現在は函館大手町ハウスとしてカフェになっています(大正7年築 1918)。 写真等で見知っていた建物と違っていたので、てっきり新しい建物かと思いましたが、近年(2004年頃?)古写真を参考に創建時の姿に復元されたようです。 10年以上も放置され、朽ち果てる寸前だった建物を修復するとは…関係者の苦労が偲ばれます。 そのかいあって石造のような外観(実際は木造)、正面の3連アーチやバルコニー、塔屋など往時の姿はこんなにも素晴らしかったのかと、ため息が出るような美しさ。 棟梁の村木甚三郎は旧函館区公会堂や旧小林写真館などを手がけ、函館では名を知られた工事請負人だったようです。  北海道函館市大手町5-1  06年04月下旬他

旧七谷郵便局

2007-06-20 07:07:54 | 山梨・新潟





 七谷郵便局の裏手の木立の中に、昔の郵便局が静かに隠れていました。 県庁技師の設計、施工は地元の名工・佐藤定一棟梁により昭和10(1935)年に完成した建物は、次に扉が開かれるまで今は暫しの休眠中。  新潟県加茂市黒水  07年06月中旬

新津記念館

2007-06-19 07:10:27 | 山梨・新潟




 石油王・新津恒吉により、取引先であったライジングサン石油(現・昭和シェル石油)の外国人技師を迎えるゲストハウスとして建てられた西洋館(昭和13年 1938)。

 新潟が国内の石油産出で有名だとは初めて知りましたが、この建物もまた驚きでした。敗戦により進駐軍に接収され、10年後に返還された時には建物は荒廃していたといわれますが、平成に入ってからの修復工事によりその見事な姿はほぼ完全に蘇っていました。1・2階のステンドグラス、天井の漆喰装飾、シャンデリア等々・・・ 県内ではトップクラスの洋館として必見に値するものだと思います。  新潟県新潟市中央区旭町通1-754-34  07年06月中旬

旧岩谷堂共立病院

2007-06-15 07:04:44 | きた東北 (青森・秋田・岩手)






 現・明治記念館(明治7年 1874)。明治11年までという短期間だけ病院として開院し、その後は学校や町役場にもなったという建物。現在は病院時代の資料や、教育関連の古い資料(教科書等)が展示され無料で公開されています。

 NHKラジオ放送劇『鐘の鳴る丘』の舞台となり劇中に登場する<緑の丘の赤い屋根>のモチーフは、岩手県江刺市(現・奥州市)であり、この建物がその原型になったようです。作者である菊田一夫(1908~1972)は大戦中に家族を江刺市の旅館の離れに疎開させており、その旅館の小川を隔てた丘の上に、とんがり帽子の赤い屋根・時計台のある洋館(つまりこの建物)を目にしていたといわれます。平成8(1996)年には建物の前に「とんがり帽子」の歌碑が建てられ、朝夕には塔から流れるメロディが丘の上に響き渡っているそうです。  岩手県奥州市江刺区南町4-8  05年10月上旬

駒澤大学耕雲館

2007-06-14 07:16:22 |  東京都




 昭和3(1928)年築。現在は駒澤大学禅文化歴史博物館として、曹洞宗を中心とした禅文化に関する資料等の展示が行われていますが、創建当初は図書館として整備された建物です。内部の中央吹き抜け大ホールは荘厳で見所充分。設計者の菅原榮蔵の意図したとおり崇高な空間となっていました。基本的に平日のみの公開なので見学の際には注意が必要(内部も撮影禁止でした)。  東京都世田谷区駒沢1-23-1 駒澤大学キャンパス内  05年12月上旬

小岩井農場本部事務所

2007-06-13 07:08:59 | きた東北 (青森・秋田・岩手)



 創業明治24(1891)年の西洋式近代農場で、日本の酪農の歴史と共に歩み続ける小岩井農場の本部事務所として創建(明治36年 1903)。 共同創始者の小野義真(日本鉄道副社長)、岩崎彌之助(三菱社長)、井上勝(鉄道局長官)の3人の頭文字をとって「小岩井」農場と命名されたといいます。
 
 この牧場は盛岡に高等農林学校(現・岩手大学農学部)が設置されて以降は実習生受け入れの場ともなっており、卒業生である宮沢賢治はこの牧場の景色を愛し、長編詩「小岩井農場」の中で放牧地の風景を「最高の場所」と讃えており、この事務所の事を「本部の気取った建物」とも書き記しています。 高木の無かった牧場初期には事務所2階の展望台から農場全体が見渡せたそうですが、現在ではその役目は果たせないものとなっており、歴史の積み重ねによる景色の移り変わりを感じる事が出来ます。  岩手県雫石町丸谷地  05年10月上旬


松商学園高校校舎・旧講堂

2007-06-12 07:04:12 |  長野県





 大きな木造校舎とRCの旧講堂(共に昭和11年 1936)。当初は校舎も鉄筋コンクリート造の構想だったといわれますが、着工するにあたって木造へと方針転換されたようです。講堂は何処かで見た事があるような姿をしていますが、創建当初はその独創的な設計で見学者が後を絶たなかったという話も。この高校はドラマ「白線流し」の舞台・松本北高校となったり、高校野球の甲子園の常連校でもあります。 長野県松本市県3丁目  07年04月上旬