旧武州銀行川越支店

2020-09-17 12:36:15 | 埼玉・千葉


 昭和45(1970)年から川越商工会議所として使用されているこの建物は、昭和3(1928)年に武州銀行の川越支店として建てられたもの。 通り2面にドリス式のオーダーを備え、いかにも銀行建築らしい古典様式のデザインを纏っています。 設計者の前田健二郎(1892~1975)は福島で生まれ東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業、逓信省から第一銀行建築掛技師を経て大正13(1924)年に自らの建築事務所を開設して独立し、武州銀行の浦和本店(1927・昭和2年)や同・岩槻支店(1929・昭和4年)なども手掛けていました。   埼玉県川越市仲町1ー12  11年06月下旬

 ※参考文献『銀座モダンと都市意匠 今和次郎/前田健二郎/山脇巌/山口文象』 1993
      『埼玉県大正建造物緊急調査報告書』 1985



 先細りになったドリス式のオーダー。 古写真を見ると浦和本店は正面に1・2階を貫く4本のコリント式の大オーダーがありました。 川口支店(1930・昭和5年 設計者不明)にはイオニア式のオーダーがあり、支店により意匠を微妙に違えていた事が分かります。


 武州銀行は大正7(1918)年に設立され埼玉の中央銀行としての地位を担い、幾度かの合併の後に昭和18(1943)年の四行大合併により新設された埼玉銀行へと受け継がれました。


 鉄筋が通常の倍も使用されるなど壁の最も厚い所は135センチもあり、耐震耐火に気を使った非常に堅牢な造り。




 地下室にはパラペットに開口を持つ排気口があり、換気に留意する工夫が見られるという。


 前田健二郎は勤め人時代だった大正末期に主な設計コンペで連戦連勝し、建築界にその名を轟かせました。 当時のコンペは設計図やパースのみによる審査になっており、美術学校の図案科卒業で絵が上手だった前田の腕が威力を存分に発揮したようです。

東玉大正館

2013-02-26 19:55:53 | 埼玉・千葉


 かつての城下町であり現在は人形の町として知られる岩槻に残るこの建物は、大正時代に中井銀行岩槻支店として建てられたもの。 正確な建築時期については不明ですが、基礎部分が誤って隣家の敷地にはみ出し、それを了承した隣家に感謝する大正10(1921)年の書状が残されており、その中で既に竣工している事を示す一文がある事から遅くともその時までには完成していたようです。  埼玉県さいたま市岩槻区本町3-13-9  11年02月上旬他

 ※参考『続・首都圏 名建築に逢う』 2009
    『建築家 保岡勝也の軌跡と川越』 2012

  


 木造かと思いましたが実はレンガ造。


 中井銀行は東京にあった地方銀行で日本橋に建てられていた大正6(1917)年築の本店は保岡勝也の設計でした。 浦和支店(1914?)も保岡の作品でしたが、この岩槻支店の設計者は不明のようです。


 直線的な建物ですが入口上部のみ半円アーチ。


 岩槻は日光御成街道の宿場町でした。 日光東照宮の造営に関わった工匠達がここに留まり、周辺に数多く植えられていた桐を使って箪笥を作ったり、桐の粉を糊で練り固めて人形作りを始めたのが現在の「人形の町」へと続いているそう。




 赤茶色のタイルが良いアクセントです。


 ショーウインドウに飾られた古写真には昭和銀行の文字。 中井銀行は昭和3(1928)年に昭和銀行に買収され、度重なる銀行の合併の後にこの建物は昭和35(1960)年から人形店の東玉(とうぎょく)の所有となっています。


 腰部分は石貼。




 ちょうど今、岩槻では「まちかど雛めぐり」を開催中(3月17日まで)。 人形職人の多くの作品や各商店に伝わる古い人形等が街を飾って観光客の目を楽しませているようです。

旧片桐邸

2013-01-21 07:23:15 | 埼玉・千葉


 電気問屋の経営で成功した片桐勝蔵氏が昭和13(1938)年に建てた邸宅。 木造瓦屋根の和風住宅に洋風意匠を取り込んだモダンな建物で、安田銀行の安田和重氏の紹介で設計者を選んで建てたものといわれます。 平成10(1998)年に片桐氏の娘さんから市川市に寄贈され、同市の文化活動を支える拠点のひとつとして開放されていましたが平成23(2011)年3月に発生した東日本大震災で建物は損傷。 修復費用などの問題から再建は断念され、建物も解体され跡地も売却される予定のようです。  千葉県市川市中山3-15-8  09年02月上旬ほか



 アプローチを抜けた先にある正面玄関。 3連の縦長窓が建物の特性を伝えています。


 照明器具の明かり、そしてステンドグラスを通して室内から伝わる灯火が訪問者を暖かく迎え入れる。


 この彫刻の飾り板(?)は何でしょうね。


 玄関と脇玄関の差異はあまり無さそう。


 入って奥にある洋間。 窓からはお庭が見え陽光が降り注ぎます。


 居室は全て畳敷きでフローリングの洋間はここだけ。 小さな丸窓にはステンドグラスが嵌まっています。 かつてはステンドグラスの横に暖炉もありましたが老朽化により撤去されたそうです。


 小鳥とチューリップの図柄が可愛らしい。 拙ブログのプロフィール欄でも使用させて頂いているお気に入りのものなので建物が解体されるのは本当に残念です…。






 廊下から洋間へ入る扉の上にも市松模様のステンドグラスがありました。


 ガラス扉。


 この縁側にも家族の思い出が一杯詰まっていそうですね。






 廊下側の障子には富士山と駿河湾を行き交う帆掛け船をあしらっています。


 

 食卓を囲んで家族の食事が今にも始まりそう。


 クランクの先にも和室があります。




 3間続きの和室の一番東の部屋。




 雨戸が隠れていました。


 台所は昭和の台所といった趣。


 造り付けの食器棚。


 玄関ホールに向かって廊下を進みます。


 途中にあった風呂場。 痕跡から判断するに風呂釜は小さそうです。


 玄関ホールに戻ってきました。 係の方の解説を聞きながら熱心に写真を撮っていたら建物好きという事が伝わったのか、通常は非公開の2階へ上がっても良いと言って下さいました。


 2階へ。 訪問時は補修工事用の足場が建物に掛かっていたので外の景色を撮らなかったのが悔やまれます。


 2階は和室が2間ありました。








 邸宅は少し高台にあるので南側の眺望は開けており、建った当時は他に高い建物も無かったから2階からは海まで見渡せたようです。






 外に出てお庭へ回ります。 庭側からの写真は後日再訪して撮り直したものになります。




 洋間にはグリーンのスペイン瓦が葺かれ、当時流行った南欧風のテイスト。


 震災が憎らしい。


 門の上のオブジェは市内在住の彫刻家の作品。 市民にも愛された建物が姿を消していきます。

旧濱野医院

2012-04-25 19:44:57 | 埼玉・千葉


 濱野医院は浦安における西洋医学の医院としては一番早く、明治20(1887)年頃に堀江で開業したといわれます。 同40(1907)年に医院は子息に引き継がれて現在地に移転、昭和に入ってからは初代のお孫さんにあたる方が診療を続け、それは平成8(1996)年まで続きました。 建物は昭和4(1929)年築の医院併用住宅、2階建ての洋館(医院)に平屋の和風住宅を組み合わせたもの。 この建物も浦安では一番最初の洋風建築であったそうです。  千葉県浦安市堀江3-1-8  09年12月中旬



 公開されている建物に入るのは左の平屋部分から。


 医院部の玄関は閉じられています。


 ヤツデと看板。 子供の頃、家の近所にあった小さな個人医院にも玄関先にヤツデが植えてあったのを思い出しました。


 鋭角な切妻屋根が少しトンガった印象を与えますが、妻面の伸びやかな装飾がその印象を和らげています。
 

 医院部の裏手にある客座敷。 ちょっとピンボケ(汗)。


 「つどいの広場」として乳幼児と保護者達の交流の場所としても使われています。 こういう活用はいいですね。 


 医院と住宅を分ける中廊下。


 2階は和室が2間あるようですが非公開(非活用)です。


 診察室へ。


 今すぐにでも診察が始められそう。




 先生はもう来ません。




 薬局部分の壁には懐かしい感じの医薬品。


 ラシックスというのは聞いたことがありますが、それ以外は分からないや。。




 

 履き物を脱いでお待ちください。


 待合室。




 本日休診です。


 裏手を流れる境川。 市街地整備と境川の護岸改修工事により、来年(2013年)の3月一杯まで2年間の閉館に入っているそうです。

埼玉りそな銀行川越支店

2012-04-18 20:10:12 | 埼玉・千葉


 創業明治11(1878)年の第八十五国立銀行は、明治31(1898)年に私立銀行の第八十五銀行となって大正7(1918)年にこの建物を本店として建設。 SRC造(鉄骨鉄筋コンクリート造)の建物は正面にあたる北西の隅部にドーム屋根を載せた3階建て、地面からその塔屋の先までの高さは約25メートルにもなり当時の川越の建築では一番の高さを誇りました。 設計の保岡勝也(1877~1942)は東京帝国大学で辰野金吾に師事し、卒業後は三菱に入社してコンドル~曾禰達蔵と続いた丸の内オフィスビル街の構築に技師長として多大な貢献をして独立、地方銀行など商業建築の設計を皮切りに我が国最初期の住宅作家へと転身を遂げていく事になります。  埼玉県川越市幸町4-1  07年3月上旬他

 ※参考『埼玉県大正建造物緊急調査報告書』 1985
    『近代埼玉の建築探訪』 2006
    『一丁倫敦と丸の内スタイル』 2009
    『建築家 保岡勝也の軌跡と川越』 2012



 川越といえば黒漆喰の土蔵造りの町屋が建ち並ぶ。 その中でこの白タイル貼りの洋風建築は今以上に衝撃的な存在だったでしょう。




 川越と保岡を結びつけたのは川越の豪商で和菓子屋・亀屋を経営する山崎嘉七。


 嘉七は当時、川越貯蓄銀行と八十五銀行の取締役を務め両銀行の本店設計を保岡に依頼。 後に自身の隠居所(旧山崎家別邸として現存・大正14年)も保岡の手により完成しています。




 平滑な建物で明治期の銀行建築のような仰々しい装飾はありません。




 窓と窓の間に縞模様の控え壁。




 増築部も同様の意匠で連続させて違和感の低減に注意を払っています。


 保岡は八十五銀行の支店も5行(本庄・志木・小川・松山・上尾)設計してますが現存するのは松山支店の倉庫のみ。 川越での保岡の作品は川越貯蓄銀行本店(大正4年及び昭和5年の計2棟)が取り壊されていますが、他に旧山吉デパート(現・保刈歯科医院 昭和11年)が現存しています。

旧船津眼科医院

2012-03-30 07:06:09 | 埼玉・千葉


 日光東照宮へと続く日光御成街道沿いに立つ木造医院。 建設時期は資料により大正年間とも昭和7(1932)年ともなっているのですが、建物の設計者といわれる大川勇が東京の建築設計会社から独立して自身の設計事務所を開いたのが昭和4(1929)年となっているので、後者の説の方が有力なのかも知れません。 但し、大川の設計した旧草加小学校西校舎(現・草加市立歴史民俗資料館)は独立前の大正15年の作品なので、大正時代の建築という可能性も捨てきれません。  埼玉県川口市鳩ヶ谷本町  10年11月下旬



 鳩ヶ谷市は去年(2011年)の10月に川口市に編入合併。


 2階のアーチ窓の周りはザラッとしたグレーっぽいタイルを貼って風合いを変えています。




 スパニッシュ風の面格子。


 庇を支える持ち送りも装飾性の高いもの。




 金属製の優美な装飾品は全てオリジナルが残っているように見えます。




 左右対称を崩し、破風を立ち上げた南西面(1枚目写真)からの視線を強く意識したようなデザインです。


 南の破風に八芒星の窓。

津宮の建物

2012-02-16 19:36:51 | 埼玉・千葉


 香取駅の北側を走る国道沿いで見つけた小さな洋館。 確証はありませんがお隣の津宮郵便局の旧局舎と思えます。 この冬は各地で厳しい寒さが続いていますが、萌黄色の建物にちょっとだけ春を先取りしたような気分になりました。  千葉県香取市津宮  12年02月上旬



 庇の上に「局便郵宮津」という看板が掲げられていたのでしょうか。


 大小の引違い窓を2段重ねています。


 目の前を車が引っ切り無しに通っていますが、人通りはほとんどありません。


 看板は意図的にこの位置に建てられたのでは?




 春の足音が聞こえてきます。

旧岩槻警察署

2011-11-24 18:41:01 | 埼玉・千葉


 現在は岩槻郷土資料館として活用されているこの建物は岩槻警察署庁舎として昭和5(1930)年に完成したもの。 当時の岩槻町では初めてのRC造建築として県の土木課技師により設計され、施工は地元の小川啓次郎が行いました。  埼玉県さいたま市岩槻区本町2-2-34  10年11月下旬

 ※参考 『近代埼玉の建築探訪』 2006



 塔屋部分。 窓には全て鉄柵が取り付けられています。


 昔の写真を見ると玄関ポーチ部分と同じデザインの石造の門柱がここにありました。


 裏側から。


 付属の平屋建て。




 塀のデザインも昔のままっぽい。


 2階部分をセットバックさせてバルコニーにしているみたい。


 中に入るとカウンターと太くて立派な円柱。




 扉のガラス面にあった植物模様の装飾。 昔のものでしょうか。


 壁や柱、天井は全て白く統一されていて非常にモダン。


 梁の部分に施された装飾が天井周りと上手く調和していて美しい。


 アーチ型の扉がメルヘンチック。


 階段室へ。


 これ、好きです。


 2階に上がってみたいね。


 この部屋は留置場っぽい雰囲気がします。








 全体的なアールデコの中に表現派風のデザインも混じっているように感じます。
 

 施工を担当した小川氏の会社はこの建物の竣工から3年後に倒産。 昭和の金融恐慌~世界恐慌の真っ只中であったものの「採算を度外視して立派な庁舎を建てたのも一因」と近所に噂されたという。

銚子市公正市民館

2010-09-03 07:11:15 | 埼玉・千葉


 濱口儀兵衛商店(ヤマサ醤油の前身)の十代目・濱口梧洞の組織した㈶公正会の会館として大正15(1926)年に建設。 図書室を中心に大小の集会室を設け、夜間中学である公正学院を開いたりするなど独自の社会教育事業を行いました。 昭和23(1948)年に施設は銚子市に移管され、公正市民館と改称し地域の社会教育活動の中心として近年まで機能し続けました。  千葉県銚子市新生町2-1-5  10年08月下旬他

 ※参考 『総覧 日本の建築 2 関東』  1989





 現在は地区のコミュニティセンターとして活用。


 柱頭はかなり簡略化されたデザイン。




 天女が描かれたステンドグラス。


 取り外した跡があるのでこの蝶番は古くないかも。




 2階へ上がる階段下の装飾。


 分かりやすい解説をどうぞ。


 濱口梧洞翁の胸像。


 設計者の高橋清輔は東京・有楽町にあった米国貿易商事の営繕技師だったという。


 
 ※参考  同じ醤油醸造業者の興した社会事業施設としては、こちらの興風会館も同様です。 野田醤油(現在のキッコーマン)により昭和4(1929)年に建設されたもの(千葉県野田市)。

旧武毛銀行本店

2010-09-02 07:09:04 | 埼玉・千葉


 「国神銀行」と金融業の「共栄」が合併して明治35(1902)年に誕生した武毛銀行の本店新社屋として大正7(1918)年に完成。 煉瓦造(資料によっては木造レンガ積みとも)の建物ですが、女性の白粉(おしろい)化粧のように正面と側面の3分の1ほどを白色系のタイルで覆って明るい雰囲気に仕上げています。  埼玉県秩父市下吉田3871-1  08年03月下旬

 ※参考 『近代埼玉の建築探訪』 2006 



 「登録文化財」のプレートが誇らしげな正面玄関。


 2階部分の装飾。 大正時代の建築という事もあり、古典様式から一歩進んだようなデザイン。




 レンガは小口積み。




 この建物が建った頃の武毛銀行は資本金50万円を超える大銀行でしたが、大正11(1922)年に秩父銀行と合併してその歴史に幕を閉じる事になります。

旧石井歯科医院

2010-04-09 07:08:25 | 埼玉・千葉




 館山で見つけた小さな歯科医院。 詳細は不明ですがこのエリアの他の近代建築の年代から推定すると、大正末から昭和初期頃に建てられたものではないでしょうか。 ちっぽけでも患者に落ち着きや安らぎを与える、そんな診察空間を演出してくれそうです。  千葉県館山市北条  07年01月上旬他

 ※追記 関東大震災(大正12年)直後に建てられたものとの資料がありました。


 ※おまけ 同じ区域にある小原歯科医院。 大正13(1924)年に建てられたという現役の歯科医院です。 規模や雰囲気が石井歯科と似ています。  

旧橋本歯科医院

2010-04-08 07:11:15 | 埼玉・千葉




 大正~昭和頃に建てられたという個人医院。 裏手に居住用と思われる和館が接続していますが、もうこの建物には人の住む気配は感じられません。 先日2年ぶりに訪問しましたが外壁のヒビ割れ・剥離が進行していて、老朽化は加速度を増しています。  千葉県鴨川市  08年03月上旬他


坂田医院旧診療所

2010-03-01 07:08:54 | 埼玉・千葉







 昭和6(1931)年竣工の医院建築。 平屋建てという事もありロー&ワイドなフォルムが視覚的に強調されています。 正面側にはスクラッチタイルが貼られていますが裏手はコンクリ剥き出しのまま、鉄扉の錆具合が良い味わいを出しています。 内部には現役当時の医療器具なども残されているようで映画やドラマのロケ地として度々利用されているようです。  埼玉県熊谷市妻沼1420  09年09月中旬



 ※10年11月中旬再訪。 内部写真を追加。





























法華経寺聖教殿

2009-12-21 07:11:06 | 埼玉・千葉






 法華経寺は日蓮の有力信者であった富木常忍(とき・つねのぶ 1216~1299)が邸内に建てた法華堂を始まりとする日蓮宗の中心寺院。 聖教殿は法華経寺に伝わる『立正安国論』や『観心本尊抄』(共に国宝)といった寺宝を収蔵する宝蔵として昭和6(1931)年に完成しました。 耐震耐火を考えたRC造(SRC造とも)の建物は伊藤忠太の設計、構造設計は東大本郷キャンパスの建造物群で有名な内田祥三が行っています。 モザイクタイルの貼られた丸屋根に配された様々な霊獣が如何にも伊藤忠太・・といった印象で、馬・牛二頭立ての柱頭飾り(?)は非常にユニークです。 一年に一度、11月3日の文化の日に行われる「お風入れ」で内部公開を行っているそうです。  千葉県市川市中山2-10-1  09年02月上旬



旧日高郵便局

2009-12-13 15:20:09 | 埼玉・千葉




 国道407号沿いで見つけた建物。 図書館で調べた埼玉県の近代化遺産リストには旧日高郵便局という名前は無く、住所的に旧高萩郵便局(戦前築)というのが該当するのではないかと思われます(確証はありません)。 玄関の張り出し部分のみ外装の仕上げが違うのは後補だから?  埼玉県日高市高萩  08年03月下旬